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水とサイン
さらさらと水に流れていくかのような文章を書きたいと思った。右から左に一定のリズムで流れていく川をイメージさせるかのような文章。少し動的で勢いがある自分の文体を如何にゆったりさせるか。そういうのは深夜帯の方が書きやすいと思う。仕事終わりのひと段落したときに書いても疲れが滲み出てしまう。書きたいときに書けばいいのだ。思い立ったが吉日!駄文でもなんでも詰め込んでやる精神の日。時間帯毎に若干変わる文体。テンションが高い日、低い日、普通の日、てんで思い浮かばんな!の日。工夫しないと、他の文体とあまり変わらないなんてこともよくあることだ。せっかく何か文章を書くんだったら、自分にしか書けない内容を書いてみたいと思う。あれこれ思いつくままに書き殴っても意味がないと聞く。本当にそうかな?駄文でも書いてたら楽しくなるよ。そしてそのうち勢いに乗って文体が踊ってくるような、リズムを刻むような自分だけのオリジナル文体が出来上がる。オリジナル文体、文章にも生命の息吹を…!を一箇所に集めて、数年後に読んでみるとまた違った味わいがある。少し前の私の状況が見えてくる。何を楽しもうとしたのか、とか、何に興味があったとか。思い出のアルバムを捲るみたいな心地良さ。今は今の地点に立ってるから自分を自分として捉えることができない。少し時間が経つと過去の自分を見返せるようになる。日記と記録のいいところ。過去に思ったあれこれを書き留めて振り返ることができる。振り返っても振り返らなくても、積もった分量が書いてきた実績になる。実績なんてそんなカッコいいものじゃないか。見返してみると確かに実績なのだ。何冊読んだとか、ノート何冊使ったとか。積み上げていく楽しさ。束にしたときにここまでやって来たんだからという気持ちになれる。それがまた自信に繋がる。目に見える量が今をアシストしてくれる。これでいい、これでいい、That’s right!今だけを真っ直ぐ見つめて健気に純粋に地を歩いていく。足を地面に下ろして軽く後ろに蹴る、、、。長い距離を息つく暇なくずっと歩いてると不安も悩みも消し飛ぶ。今これだけを歩いていくんだ!他のことは気にかけない。いや、気にならない。気にかけないで一旦端に追いやる。覚えて忘れてまた覚えて気がついたときには手にしてる。それが自然と身につけたもの。身につけたものは武器になるけど、その武器をぶんぶん振り回して踏ん反り返っても意味がない。そうやって振り回してると落ちて欲しくない筋肉までなくなってしまう。運動したら休ませるクーリングダウンも必要だ。疲れたら自然と寝る。有り余るエネルギーを使い果たしたから、動けないで眠るしかない。瞼が重くなって眠りに落ちる。こんな日常がずっと続いたらいいなと思う。静かに呼吸して横になって寝ることが贅沢な日だったと気づくときもある。眠れない夜に、、、。何もしたくないときもある。ぼけ〜っと無意味に一点だけ見つめてどこに焦点を合わせてるかもわからない、この世のものじゃない視界が幕開けた。ぼうっとどこでもない場所を見つめて意識をゆっくり地上に戻していく。ずっと同じ体勢だと一点見つめるだけでも、どこかにエネルギーを落としてくる。疲れる、たま眠る、目を閉じる、眠れないときは目だけ閉じてみる。瞼の下の目がキョロキョロ動く。これはよろしくない兆候だ!って目ん玉を潰しにかかる私。やめろし。気づいたら寝てる。気がつけば朝。ドタバタの朝。遅刻遅刻〜!ってアニメによくあるような走りをかましてくる。時間に余裕を持つことがこんなに大事だったなんて!って思ったりする。電車に間に合って息を整えて今日が始まる。始まりの合図と終わりの合図。合図はどこにもない、合図はどこにでもある。合図を愛す。広い距離を見渡したら何かに気づくときがある。視界が開けたの合図。流れる水は今日もどこかへ流れ落ちる。
明日はどこに流れていこう?