美しい時
この週末、気分が良くなるってこんなことだった!と思えた瞬間がありました。良き瞬間が2度ありましたが、うち1つをお話しします。
上野の東京都美術館で「Walls & Bridges」展を見てきました。過去のお仕事の関係で足を運んだのですが、確認したかった作品よりも、むしろ別の作品がより気になりました。というより、そうそう、こういう世界観が私好きなのよ、と再発見。ジョナス・メカスの映像作品《歩みつつ垣間見た美しい時の数々》が良き瞬間をくれました。
ただただ耽美な世界に揺蕩う時間をくれたのです。愛に溢れる日常の一瞬を追憶する映像作品でした。日常はほんの一瞬で失われるからこそ美しいということを作家が認識した上で制作されているというのも鑑賞者としてもすぐに気付きます。それでも本当に美しい。最近都内近郊で目にする展覧会があまりに現代志向が強く、かつある一定レベル以上の美的な部分にまで昇華されていないもの(←あくまで自分目線です)が多いのか、あるいは展覧会として昇華されていないのか、自分は鑑賞者として無意識に疲れてしまっていたのかもしれません。ジョナスのあの世界観を見ると、ポーランドやフランスの映画を思い出したり、ロッテ・ヤコビの登場に驚いたりとか、米国の東海岸の森林を歩く幻想的な光景からもソローを想ったりしました。あの映像の繋げ方を見ると、ベンヤミンのパサージュの映像版かも、などと個人的には思いました。
会場でメカスの年表を見ると、なんと「ウォールデン」とありました。ちなみにヤコビの年表をたった今確認したところ、NH州コンコルド死去とあり、まさにソロー!と思いました。いやはや。そしてジョナスとヤコビはKZとの歴史とも重なりますし、ここでもドイツ繋がりで自分的にはもう久々に点と点が繋がったような日でした。
このように鑑賞を味わうことができたのは、もちろん展覧会のおかげですが、ただ天候のせいもあるかもと思いました。1週間前に来ていても気分が悪くてここまで世界観に集中することはできなかったと思います。
ちなみに、ジョナス・メカスの展示エリアに足を運んだ際にまず思ったのは、企画者が本当に見せたかったのは、このスチルなの?ということでした。隣の展示室での増山たづ子の作品の見せ方からしても、見せたい世界観はこれではないはず、と奇妙な感覚を味わいました。メカスの展示室の奥に投影されている映像を見て、こっちじゃん!と思いました。作品リストには映像作品自体(スチルはこの映像作品を含めた複数作品からのもの)が記載されておらず、大人の理由があるのかわかりません。展覧会全体をお邪魔しましたが、企画者の一番思い入れのある作品(かつおそらく一番見せたかった作品)はやはりジョナス・メカスの映像作品であるように思えました。また、他に4名の作家を紹介するこの展覧会はオリパラ企画というよりも、秋や冬に思索の機会として見せるに相応しい展覧会かと思います。オリパラ企画とするためになされた選択がどこか不協和音を感じさせるのは良いことなのかどうなのか。
※今更ながら知りましたが、日本ではジョナス・メカスのファンが大昔から多いようです。