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連載(26):経済を意識的にコントロールする(続き)

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

経済を意識的にコントロールする(続き)

それではここで、これまで地球上で採用されていた社会主義社会と、私の提唱する奉仕社会との相違点を比べてみることにしましょう。その違いがはっきりするはずです。

[これまで地球上で行われていた社会主義社会]
・生産手段の公的所有
・労働力は個人の財産
・計画生産経済
・能力と労働量(質と量)に準じた配分
・貨幣制度あり
・一党独裁による専制政治
・人権を無視した不自由な世界
・官吏と国民の区分けあり
・国民の目的と使命が不明
・唯物的教育

[私の提唱する奉仕世界]
・生産手段の公的所有
・労働力は社会的財産
・計画消費経済
・能力と労働量に左右されない平等な配分
・自由収得制度(貨幣なし)
・国民主権を根底にした民主政治
・人権が保障された自由な世界
・すべての国民が官吏
・国民は目的と使命を悟っている
・宇宙法を理解させた唯心的教育

一般的に計画経済は、生産性や多様性において資本主義経済より劣るといわれています。

たしかに、そうなのかもしれない。しかし、私たちは儲けるため、財を増やすために生れてきたのではないのです。

何度も言うように、人格を磨き、この地上に理想世界を築くために生まれてきたのです。その目的の前に、生産性や多様性がどれほどの価値があるというのでしょうか?。むしろ質の向上ということになれば、市場経済よりも計画経済の方がはるかにくみしやすいでしょう。

人生の目的は人格向上にあり、それは労働に対する熱意や努力や工夫といったものと重なるものだからです。したがって、人生の目的に熱心になればなるほど労働に対する熱意も高まり、それが質の向上をどこまでもおし上げるのです。」

「くどいようですが、どうも指令型社会というと不自由を強いられるようで良いイメージがもてないのですが?。」

「あなたは大変な誤解をしているようです。この世界は決して指令型社会ではありません。国民主権が尊重され、国民の意向が正しく反映される民主的な社会です。

それに本当の自由は、放逸な自由の中にはないのですよ。自由・自由と息巻いているアメリカも、その放逸な自由ゆえに、世界一の犯罪大国といわれているではありませんか。家に鍵をかけ、銃を持ち、自分の財産と命を守らなくてはならない。また都会の裏道は歩いてはならないといわれるほど、危険は身近なものとなってしまいました。

世界一治安がいき届いている日本でさえも、最近では深夜にコンビニが襲われる、マンションに強盗が押し入る、銀行が襲われる、住宅街で拳銃が発射される、などの事件も珍しくなくなってしまいました。

これらの治安問題もさりながら、経済問題においては一層深刻でしょう。商取引規制や貿易規制など、いまや規制花盛り時代となってしまいましたが、これも放逸な自由経済なるがゆえの障壁といえるでしょう。どちらも放逸な自由を求めるあまり、かえって不自由を強いられているのです。これは、自由の大枠をきっちりと押さえていないために生じた弊害なのです。

これは次のような譬えで表現できるでしょう。

『自由に目覚めた馬(人間)たちは、なにものにも束縛されない自由な放牧地を望みました。そこで彼らは、囲いも柵もない自由な天地を広い原野の中に求めたのです。ところがしばらくすると、あまり放逸な自由を得たゆえに自由のぶつかりあいが生じ、多くの問題が持ち上ってきました。そこで仕方なく彼らは、対処療法的に野原に柵を巡らせ自由の衝突をさけようとしたのですが、次からつぎへと問題が持ち上がってきたために、柵はそこらじゅうに張り巡らされるようになり、いまや柵の扉を開けることに多くの労力を費やさねばならないほどになったのです。

このように放逸な自由を望んだ馬たちは、不自由な世界に身を縮めて生きなければならなくなったわけですが、少々不自由でも囲いのある放牧地を望んだなら、その中で大いに自由を謳歌できたことでしょう。』

柵とは、資本主義社会や社会主義社会(法律や規則で縛られた社会)であり、囲いとは、奉仕社会(良心が自らを縛る社会)のことです。

この囲いは、あなたが思っているような不自由な囲いではありません。民主主義も行き届き、人権も大いに守られ、教育の自由も、労働の自由も、居住の自由も、収得の自由も、何もかも資本主義社会より自由な世界です。

ただひとつ不自由に見えるとすれば、経済の営みが意識的に行われている点だけでしょう。しかしこれだって、慣れてしまえばそう堅苦しいものではないのです。

またこの社会は、

労働者イコール官吏イコール国民イコール主権者

ですから、問題提議は下からなされ、それがまた下によって試行されるといった自由があります。それだけに国民一人ひとりの意向が反映されやすく、それが均整のとれた社会繁栄を約束するのです。

さてここまで、奉仕世界の柱というべき奉仕経済について語ってきました。実にユニークな経済システムだと思われるかもしれませんが、経済とは本来このように、人が意識的にコントロールできる簡素なものでなくてはならないのです。いや経済ばかりではない、あらゆる仕組みは簡素簡潔でなければならないのです。

なぜ人は複雑多様を好むのでしょうか?。世の中が複雑怪奇になればなるほど、混迷の度は深まっていく、これは歴史が証明するところです。いってみれば今日の社会は、機械時計のようなものです。たしかに見掛けは頑丈そうにみえますが、一旦故障すると手に負えません。あちらを取り替え、こちらを付け足し、しまいには何がなんだか分からなくなり、バラバラに解体しなければならなくなります。

その点、奉仕社会は日時計です。少々辛抱はいりますが、日時計は故障がありませんから安心です。

単純明快、矛盾なし。

これが奉仕社会の誇りなのです。ではなぜ多様化は悪なのでしょうか?。それは、利害得失の絡みが多様化をもたらすからです。言い換えれば、欲望が多様性を助長するのです。近年多様性がもてはやされておりますが、これは人の迷いの深まりを意味し、決して喜ぶべきことではないのです。

社会は経済の背に乗って進展して行くといわれますが、もし奉仕経済が導入されたら、政治や教育や福祉などの社会制度はどう変わって行くか?、次に考えてみることにしましょう。」

(つづく)

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