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連載(21):貨幣のいらない世界(続き)

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

[貨幣制度を撤廃する]

このように貨幣は、人の心を卑しくし多くの犯罪を生み出す厄介物となっているわけですが、どうしたことか人間はこの貨幣を手放そうとしません。

どうも私たちは、貨幣というものが元々この自然界にあり、どうしても使用しなければならないような思い込みをしているようですが、これは人間が社会生活を営む中で必要に迫られ造られた純に人的なものなのです。

ですからもし無くせるなら、一日も早く無くすべきなのです。

もし貨幣がなくなり、一切の損得勘定ができなくなれば、人々の欲望は沈静化することでしょう。

ではどうしたら、この社会から貨幣を無くすことができるのでしょうか?。

いうまでもなく、すべての価値が無くなったときでしょう。すなわち、

① すべてのものがタダになったとき。
② 比較衡量する必要がなくなったとき。
③ 損得や利害が生まれ無くなったとき。

もっとも、すべてのものがタダになれば比較衡量する必要もないし、損得や利害も生まれないわけですから、①と②と③は同じと考えてよいでしょう。

では六つの貨幣の職能のうち、価値尺度機能と交換価値機能に注目して下さい。

今日貨幣が必要なのは、違う品物の価値あるいは違う労働力の価値(サービス、アイデア、技術も含む)を共通単位で測り、その差異を埋める必要があるからです。

たとえば(A)という人が作った洋服と、(B)という人が作った靴下の商品価値は、今日の社会常識では明らかに違いますから、それを等価交換するわけにはいきません。

でも貨幣に置き換えることによって、それができるのです。

貨幣にはこのような価値尺度機能と交換価値機能があるわけですが、先程から話ているように、もしどんな物もどんなサービスも等価値なら、つまり純粋に奉仕労働力から生まれた物なら、価値はすべて同じになるので測る道具(貨幣)は不必要になってくるはずです。

すべてものが同じ重さなら測る必要がないので秤がいらないように、すべての物の価値が同じなら、それを貨幣という秤にかけて測る必要はないということです。

しかもその物やサービスが公的市場で扱われるなら、そこにもう貨幣などの介在物は必要ないでしょう。」

「それでは、価値の貯蔵は何がするのでしょうか?。」

「価値の貯蔵が必要ですと?。」

「そうです。私たちは貨幣を貯蓄することによって、必要な時に必要な分だけ物を買い取ることができるのです。もし貨幣がなければ、その役目は一体何がするのでしょうか?。」

「なぜ価値の貯蔵が必要でしょうか?。

食べる物も、着る物も、住む家も、医者にかかるのも、教育をうけるのも、旅行をするのも、電気、瓦斯、水道、すべてタダなのですよ。

それも、欲しい時にいつでも手に入れられるのですよ。

そのような社会に、価値の貯蔵が必要でしょうか?。

私たちには、無限の価値を秘めた労働力という財産があるではありませんか。

それは“打出の小槌”のように、なんでも生み出す財産なのですよ。

その“打ち出の小槌”を持っている私たちに、なぜ貨幣が必要でしょうか?。

残りの貨幣の機能、つまり支払いの手段、利潤を得る手段、権利の決済手段といった機能は、資本主義社会ならではのものですから、無くてもなんら問題はありますまい。」

「では、欲しいものをどうやって手に入れるのですか?。貨幣がなければ買うこともできないではありませんか?。それともご老人は、物々交換か配給制度にでもしようといわれるのですか?。」

「いいえ、物々交換も配給制もいらない、実に理想的な配分システムがあるではありませんか?。」

「理想的な配分システム?。」

「そうです。あなたは家で食事をする時お金を使いますか?。」

「私が稼いだお金で食べるのに、どうしてお金が必要でしょうか?。」

「それでは、お子さんから食事代を取りますか?。」

「いいえ、家族の一員ですからお金など取りません。」

「理想的な配分システムとはそれなのです。」

「えっ!?。」

(つづく)

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