連載(27):国家の形態
国家の形態
「今日の地方自治体の最小単位が村なのに対して、奉仕国家の最小単位は人口数十万人を抱える都市です。(人口が少ない場合は村国家・村社会になる)これを都市国家と称しますが、この都市国家の特色はそれ自体が一つの国であり、独自の憲政を保ち、独自の行政形態を持っている点です。
そしてそこでは、自力の供給を原則とした自給自足体制が整えられ、地方色豊かな独特の生活基盤が築かれています。
今日地方政治は、中央が地方の実情にあわない政策を強引に押し進める形で行われていますが、奉仕世界はその土地の気候風土や人の気質や特性といったものを尊重し、それに即した地方自治が行えるようあらゆる権限を都市国家に委譲してあるのです。」
「それは、立法、司法、行政、の三権を持ちあわせた独立国家を意味するのでしょうか?。」
「有機的細胞国家とでも呼んだらよいでしょうか。」
「有機的細胞国家?。」
「つまり、都市国家群と国家(中央国家)の関係は相即的な関係となり、都市国家群同士は網状の神経を伸ばして堅く手をつなぎあう、いわゆる兄弟姉妹の関係にあります。中央国家はその中心にあってしっかりと情報の手綱を握り、都市国家群を率いているのです。これを人体に例えれば、頭脳は中央政府であり、都市国家群は諸器官と見立てることができるでしょう。
諸器官は色々な気質や特性を持っており、その特性の上に独自の生活機能を維持しています。爪は爪としての気質を、毛は毛としての特質を、皮膚は皮膚としての特性を発揮し、体全体の健康維持に寄与しているのです。
つまり、爪は爪の主権の下にその地域の実情にあった働きをし、毛は毛の主権を持って独自の働きをしているから地域の秩序が保たれ、また体全体の健全な営みも可能なのです。
もし中央国家がすべての指令を出そうものなら、それこそ地方の実情に合わない強引な働きを強いることになり、必ずや局所的病を引き起こすでしょう。そうなれば、いずれ体全体も病気になってしまうでしょう。」
「では、今日の都道府県という単位はなくなるのですか?。」
「さよう、都市国家(村国家)が国の最小単位となるのです。この方が国民の意向をまとめやすいでしょう。」
「でも地方が大切だからといって、地方の思うがままに政治を任しておいたのでは、国全体の秩序は保てないのではないでしょうか?。」
「もちろん、脳(中央国家)は脳としての大切な役目はあります。たとえば、都市国家の正しい行動規範を定めること、
すなわち、
・国法の制定
・エネルギーの適性開発・適正生産・適正配分・適正消費の規範を定める
・基本的な労働規範・社会規範・生活規範を定める
・基本的な教育方針を定める
などが脳(中央国家)の主な役目です。
ガン細胞の異常増殖は、地方が中央に対して起こす反逆行為のようなものですが、これとて脳(中央)が地方の実情を理解し思いやりある政治を行ったなら、決して起こることではないでしょう。ガン細胞の異常増殖は地方を破壊し、結局中央の命まで奪ってしまうわけですから、中央と地方の関係は相身互いの関係、運命共同体の関係にあるといえるでしょう。
要するに庶民生活に直接影響を与えるのは、中央政府ではなく地方政府だということです。インフラにしても、地域開発問題にしても、エネルギーや環境問題にしても、直接影響を受けるのは地域住民であり、それを処理してやれるのも地方政府なのです。特に多民族国家は、宗教や、慣習や、考え方や、文化などが違うわけですから、それを一つの枠に押し込めればどうしても反発が起こる。」
「それではご老人は、民族ごとに国家を作れとおっしゃるのですか?。」
「そうではありません。中心核がなくてはバラバラになるから国家は絶対必要ですが、あまり中央の権限を大きくすると、地方の特色が失われかねないばかりか、住民の創意工夫といったものや自立精神まで骨抜きにしかねない。だからできるだけ権限を地方に移譲し、自由な政策が立てられるようにすべきだといっているのです。そうすれば地方に活気をもたらすばかりでなく、国家もスマートな体型を維持できるでしょう。
そもそも愛国心とは、自分が直接所属する身近な団体、つまり、村・町・都市、といった地域を愛するところから生まれたもので、最初から国家に思いを寄せたものではなかったはずです。
祭りひとつ取ってみても、自分が直接参加できる町内祭りは一緒に楽しむことができるが、国家的祭りはどうも他人事になってしまう。これは、距離的隔たりが大きいからです。
ですから住民の政治向心力を地方都市域までと捕らえ、ここに政治の中心軸を据えるべきなのです。地方独自の文化も、そういった中から必ず育まれるでしょう。『地方分権政治』これはもう時代の要請なのです。
(つづく)