連載(48):人類の夜明|奉仕世界の社会風景
奉仕世界の社会風景
奉仕経済が浸透するにつれ、社会に様々な変化が生まれてくると思うが、ではどのような変化が生まれるのか見てみることにしましょう。
国内社会における変化
○ 儲ける必要のなくなった奉仕社会では、人口分布は均一化し、今のような過密都市は無くなる。
○ 人集めが必要なくなった奉仕社会では、村おこしや町おこしなどが不要になる。
○ 類は類を呼ぶ法則により、似通った人たちが居住する都市国家・村国家が生まれる。
○ 地方色豊かな都市国家・村国家が生まれる。
○ 物や人の移動が少なくなることによって、交通事情は大きく変わる。もう交通渋滞も交通事故も昔話になる。
○ 競い合い、奪い合い、争い合いのなくなった奉仕社会では、あらゆる犯罪がなくなる。したがって、警察も、検察官も、裁判所も、刑務所も、弁護士も、いらなくなる。
○ 必要以外の情報が流されなくなった社会では、迷いが少なくなり、欲望や感情も刺激されなくなるので、正しい生き方ができるようになる。
○ 社会から銃などの凶器が一掃される。
○ 人間の本性を知ることにより、物の偏り、人の偏り、生活の偏りなど、あらゆる偏りが解消される。
○ 奉仕社会における介護は、特例を除いて各家庭に委ねられることになる。
○ ストレスが少なくなることにより、事故や病気や自殺が減ってゆく。もう今日のような沢山の医者や病院はいらなくなる。
○ 勉強勉強!試験試験!とお尻を叩かれなくなった子供たちに笑顔が戻る。もう学級崩壊も校内暴力もいじめもなくなる。
○ 儲ける必要がなくなった奉仕社会では、土地も労働力も有り余るほど生まれる。したがって、建物は上から横に広がり、労働力はかゆいところに手の届く使い方がされる。豊かな社会とは、このように有り余る自由な労働力と土地を有した社会なのである。
国際社会における変化
○ 国家間の争いがなくなった奉仕世界では、一切の武器、一切の軍備は不要になる。したがって、軍事施設は工場に、滑走路は田畑に、軍人は奉仕労働者に、姿を変えるだろう。
○ 世界の人口密度は、国土の面積に比例したバランスのとれた配分になる。
○ 人種や民族の存在意味を知ることにより、人々の意識の中に国境線がなくなってゆく。「人類は一つ、人類はみな家族」の意識が、当然のごとく定着する。
○ 人の欲が静まることによって自然は息を吹き返し、水も、空気も、土も、昔のような清澄さを取り戻す。もう台風・竜巻・豪雨・雷・地震などに悩まされることがなくなる。
○ 商業活動がなくなることにより、陸・海・空の交通量は激減する。当然、交通事故も船舶事故も飛行機事故もなくなっていくだろう。
○ 資源が人類全体の物として使われることにより、乱開発は無くなる。
ザーッと奉仕社会の変化を見てきましたが、では具体的にどのような変化が訪れるのか、奉仕社会の世情の一端を覗いてみることにしましょう。
街の景観
朝の通勤、街ゆく人々の顔はどこか喜びにあふれています。
生活に追われることもなく、利益追求に悩まされることもないので、心に余裕があるせいでしょう。
だから眉間に立ち皺を入れたり、しかめっ面をして歩いている人など一人も見当たりません。
大通りには、エゴの象徴であるマイカーなどは見られないし、宣伝用のケバケバしい看板や、ノボリ旗なども見られない。
道端には空き缶やタバコの吸い殻や紙屑などは落ちていないし、もちろん浮浪者の影などみじんも見られない。
ダミ声を発して自己主張を繰り返す政治家の姿も、ノボリを掲げて気勢を上げる労働者のデモ隊も、軍艦マーチを奏でて連なる右翼団体の車も見られず、街の景観は美しく静穏そのものです。
通学風景もほほえましいほど和やかです。
車が走っていないので、子供たちは道を歩くのに神経を使う必要がありません。
また居住地に近いところに学校があるので、余裕をもって通学ができます。
学校の近くに工場があったり、飲み屋があったり、遊戯場があるといったことがないから、悪に染まったり事故に出会う機会もない。
また住宅地や学校の周りには、緑多い公園が用意されているので、自然に接する機会もずっと多くなる。
休日ともなると、その公園から子供たちのはしゃぐ声が一日中聞こえてくるのです。
社会情勢
社会情勢も誠に穏やかです。
新聞を開いてみても、テレビをつけてみても、円がどうなったとか、株がどうなったとか、経済摩擦がどうとか、不況がどうとか、ドコドコの国が飢餓で苦しんでいるとか、地球環境がどうなったとか、交通事故の死者が何人になったとか、殺人事件が何件増えたとか、テロで何人死んだとか、そんな殺伐とした報道は一切見られません。
目や耳から入ってくるのは、微笑ましいものばかりです。
それもこれも、労働本位制を柱とした奉仕経済が定着したお陰です。
何せ、儲ける必要も利益を得る必要も無いのですから、争いの起きようがないのです。
人生の目的が人格を磨くことにある社会では、外側(物)より内側(心)に目を向けますので、競い合いも、奪い合いも、戦い合いも、起きようがないのです。
自然の景観
このように街の環境はいうに及ばず、自然環境もまた清らかで美しいのです。
空を見上げれば、透き通ったスカイブルーがどこまでも続いているし、地に目を落とせば、緑の外套をはおった野や山が私たちの目を痛いほどに射ってくる。
その合間を縫って流れる川も、輝くばかりの清澄さを見せている。
だから、空気も、水も、食べ物も、そのままでおいしいのです。
これもすべて、自然と和合した証です。
家庭
そんな社会で一番大切にされるのは家庭です。
私たちは家の外に喜びや幸せを見出そうとしますが、喜びや幸せは家庭内にあるのです。
その証拠に、家族の一人でも悩んでいたり病んでいれば、家族全員が滅入ってしまいます。
どんなにお金を持っていても、どんなに楽しいことをしていても、心から喜べないのです。
反対に家族全員が健康で悩みがなければ、つまらない楽しみでも心から酔えるのです。
奉仕世界では、何よりも家族の和を大切にします。
平和の源が家庭内にあることを誰もが自覚しているからです。
ですからこの世界には、家庭内暴力だとか校内暴力といったものは一切ありません。
子供は大人を写す鏡だとか、社会を写す鏡だとかいわれますが、まさにそのとおりで、家庭が平和なら子供も健やかに育つのです。
病院
平和の証は病院にも見られます。
いやこの社会では病院とはいわず、『癒しの館』あるいは『癒しの園』と呼ばれています。
館に入っても患者の数はまばらで、何とも閑静です。
その患者も外科が殆どです。心が平和だから病気も少ないのです。
今日、医療費が膨大となり国家予算を脅かすまでになっておりますが、これは心の病が増えている証です。
心が病むから肉体が病むのです。
心が病むのは社会が悪いからです。
いや、心が悪いから社会が病むのです。
つまり心と病と社会平和は、相関関係にあるということです。
学校
この社会の学校は、子供たちだけの学校ではありません。
すべての住民のための学校でもあるのです。
というのも、真理の勉強は大人になっても続けられているからです。
子供たちは学校で必要な知識を学びますが、同時に真理も学んでおり、それは大人になっても続けられているのです。
ですからこの社会では、大人と子供が同じ机を並べて学ぶ風景は当たり前になっているのです。
試験はありませんから、試験勉強で悩む必要はありません。
ですからこの社会には、苦学という言葉はないのです。
みな楽しく勉強しているのです。
収得市場
住宅街の一角に、かまぼこ型の大きな収得市場が用意されております。
そこには家具・調度品から日用品・食料品まで、家庭生活で欠かせない、すべての生活必需品が用意されております。
夕方ともなるとその市場に、多くの主婦たちが収得ボックスを引いて集まってきます。
その収得ボックスには仕分けされた容器が備えられ、そこに、醤油を、砂糖を、魚を、豆腐を、直接収納し持ち帰れるようになっております。
何の包装もしてありませんから、ゴミが一切出ないのです。
またこの社会では、どんな食べ物も一切保存剤は使っていません。
この社会の人たちは、買いだめしないのです。
その日収得した食料は、数日の内に使ってしまうからです。
日々収得市場に足を運び収得するのが、主婦の日課なのです。
ただし持ち帰る際には、必ずコンピューターに報告しなくてはなりません。でもそれは、ボタンを押すだけの簡単な作業です。
家庭や社会は、人の心をそのまま映し出します。人の心が美しければ、家庭も、社会も、美しいのです。
もし、家庭や社会から笑い声がこぼれるようになれば、その国は平和になります。その世界は平和になります。その星は平和になります。その宇宙は平和になります。
さて本日は図らずも、理想社会を紹介することになってしまいましたが、いかがでしたかな?。」
「はい、今の私の気持ちは半信半疑といったところでしょうか。」
「半信半疑?。」
「ええ、半信はいうまでもなく、人間の本性と目的がご老人のいうようなものであるかどうかという点において、半疑は人類は本当に奉仕社会システムを採用するようになるかどうかという点においてです。」
「半疑から答えましょう。
今日、人間の信仰対象はお金です。
殆どの人は、お金さえあれば幸せになると思っています。
しかし、その信仰もやがて崩れる時がくるでしょう。
つまり、お金に(資本主義経済に)裏切られる時がくるということです。
今まで絶対だと信じていたものに裏切られた人たちは、もう何を信じてよいか分からなくなります。
勿論、社会は大混乱に陥るでしょう。
しかし、その混乱の中から人々は新しい信仰対象を発見するのです。
新しい信仰対象とはいうまでもなく、奉仕労働力を柱とした奉仕経済・奉仕社会のことです。
この信仰対象は、決して人を裏切ることはありません。
また、どんな混乱にも揺らぐことはありません。
二十一世紀の信仰対象は、お金や物から絶対的価値を秘めたこの奉仕労働力・奉仕経済(労働は心がするので、信仰対象は心と言うことになる)に移っていくでしょう。
これは時代(歴史)の要請とも、地球の要請ともいえるものですから、人類は厭でも私の提唱する社会システムを採用しなければならなくなるのです。
前の半信、つまり人の心の謎については明日お答えすることにしましょう。この謎が解明されれば、奉仕社会の信頼性はますます確固たるものとなるはずです。」
(以上で第二章は終了です。次は第三章「宇宙と人間」に進みます。)