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第4話 EUの原産地規則交渉官の苦労

(2018年5月8日、第19話として公開。2021年12月9日、note に再掲。)

 2018年4月19日の日経新聞朝刊に、「日EU・EPAが7月中旬に署名され、来年3月の英国のEU離脱前に発効」との予測記事が掲載されました。そこで、前回に引き続き、今回もEU関連を中心に、EUとの原産地規則交渉で感じた先方交渉官の苦労話を綴ってみたいと思います。

 一般論として、官民を問わず、国際的な交渉において交渉者が考慮に入れなければならないことは、置かれた立場、交渉者相手の資質・性格・お国柄、交渉内容、交渉のタイミング等の様々な要素があり、苦労といっても一言で言えるようなものではないと思います。政府間交渉においては、例えば、我が国では相手国に対して発言するにしても、国として(i)何を、(ii)どのように、(iii)どのタイミングで発言するかを決めてから行うことが通例です。セットされた発言要領をそのまま読み上げるのであれば、発言のタイミングさえ間違えなければ、それほど難しいことはではありません。しかしながら、議論が展開していくと、読み上げるべきテキストは存在しないので、対処方針の内容から逸脱しない範囲内で、神経を張り詰めて、言葉を選んで発言することになります。その意味で、外務省の方々は、他の関係省庁の足並みが揃わない時に、日本国として何を言えるのか、何を言ってはいけないのかの判断を求められ、苦労されます。

 一方で、他国の交渉官の発言を聴いていると、国内で関係部局との調整を経た発言であるのか疑問に思う場面に遭遇したことが間々あります。また、交渉官の個人的意見と推測される内容を延々と聞かされて、うんざりしたこともあります。極端な例を挙げれば、調和作業における同一国の発言が、WCOの場とWTOの場で、時を置かずして逆になっていたこともありました。このような発言をする国の意見が尊重されることはありません。

 EU(旧EC)は、地域統合の第一歩として関税同盟を結成し、域外国に対する対外共通関税の設定、通商交渉権限の欧州委員会への移譲を早々と実現させました。したがって、EUを相手にする貿易交渉においては欧州委員会だけが発言します。といっても、EU加盟国が欧州委員会の裁量に全部お任せということはありません。事前の打合せを通じて、EU28ヶ国としての意見をまとめる訳ですが、これ自体、既に大変な国際交渉です。

 WCOでは公式会合が主なので、欧州委員会の交渉官はEU加盟国職員と共に出席します。そのため、EUの交渉官は、常にEU加盟国担当者の目と耳を気にしながら発言しなければなりません。一方、WTOでは、(i)オブザーバーの出席が可能で議事録を作成する公式会合、(ii)WTO加盟国なら出席可能なオープンな非公式会合、(iii)議長又は提唱国から招かれた国だけが出席する非公式会合等、様々な会合が開かれています。ちなみに、WTOの非公式会合にはオブザーバー(EU加盟国政府担当者、国際機関職員等)は、原則として参加できず、事務局による議事録も残しません。WTOにおいては、欧州委員会の交渉官が「大勢の陪審員の前で証言台に立たされて」発言する公式会合より、EU加盟国の目と耳を気にせずに自由に発言できる非公式会合の開催を好むのはよく理解できるところです。WTOの非公式会合でジョークを交えて率直な意見を述べる交渉官が、公式会合に臨むと議場の半分を占めるEU加盟国の大代表団を前に定型的な「対処方針」を読み上げる姿には、「あなたも大変ですね」と同情を禁じえません。

 欧州委員会で調和作業の交渉官を務めた幾人ものシニア・オフィサー達の中で、筆者が親しく接することができたのは、皆オランダ人でした。1994年の調和作業の立上げ準備段階からブラッセルでの技術的検討の終了まで一貫して交渉官を務めたリチャード・バンラーン氏は、既に鬼籍に入りました。1990年代の後半、ブラッセル郊外の自宅に招かれた時は、いかめしい顔付きに似合わない不器用な笑顔で接してくれました。機械類への付加価値基準導入で一歩も退かず、議場で四面楚歌の中で孤軍奮闘した彼が、時々見せた疲労困憊の表情は今でも鮮明に覚えています。晩年はあまり幸せな状況ではなかったと聞いています。

 ジュネーブでの交渉相手であったイングリッド・フェルラーケン女史は、昨年、欧州委員会を定年退職したと聞きました。同女史は、当時、WTO原産地規則委員会議長であったベラ・トレステンセン女史(ブラジル政府代表部職員)、故エキ・キムWTO事務局参事官(原産地規則担当)とともに、調和作業を完遂させるべく我が国の原産地チームが常に接触を保っていた「仲間」でした。我が国の機微な問題にも理解を示してくれて、支持表明してくれる国が全くない状況であえて支持発言をしてくれたこともありました。欧州で唯一ともいえる野球を愛するオランダでソフトボールの選手として活躍し、我が国がワールド・ベースボール・クラシックで優勝した時には、お祝いの言葉を述べてくれました。数年前のことになりますが、ブラッセル出張時に、幸いにも同女史に会うことができました。お互いに年を取ったことを再認識しつつも、十数年前の交渉時の思い出話に時を忘れてしまいました。イングリッドは、出身国のオランダには戻らず、フランスのブリターニュ地方のコテージで、年金生活を楽しむとのこと。一度家を見においでと言われているので、いつか自慢の庭でワインとチーズで語り合える日が来ることを願っています。


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