じゃない方の、ハニワ展
東京国立博物館の『はにわ』展が話題になっている。
「行きたいけどどうせ混んでいるだろうし…おや、埴輪の展覧会がもうひとつあるぞ」ということで、東京国立近代美術館で開催中の『ハニワと土偶の近代』展に行ってきた。
東博の『はにわ』では、古墳から出土したもの、つまり教科書でお馴染みの“ガチ埴輪”が展示されている。
対して近代美術館の『ハニワと土偶の近代』では、“埴輪をモチーフとした美術作品”が展示されている。タイトルに「近代」とあるとおり、戦時〜近代の作家による絵画や写真、立体、NHKの「おーい!はに丸」に至るまで、様々な埴輪作品が鑑賞できる。
展示会のタイトルも、「はにわ」と「ハニワ」で差別化しているのだろうか。
そもそも埴輪とは何か。土偶とどう違うのか。
NHKや文化センターのサイトを見ると、どちらも人や動物をかたどった土製の焼き物で、埴輪は古墳時代、土偶は縄文時代につくられたもの。ということだった。他のサイトを見ても、「つくられた時代が違う」程度のことしか書いていなかったけれど、作風もかなり異なる。
土偶は曲線的でかなりデフォルメされていて、顔もスジをつけたりして表現されている。『ドラえもん のび太と日本誕生』に出てくる「ツチダマ」を思い出す人も多いだろう。
埴輪は土偶と比べると、かなり“スン”としている。シンプルなフォルムだ。目と口が穴になっているのが最も強烈な特徴だろう。パッと見はかわいい。しかし、よく見たら目口が空洞で、そこに気づくとちょっとゾッとする。かわいさと虚無感が同居しているのが埴輪のすごいところだと思う。
さて肝心の『ハニワと土偶の近代』展。結論から言うと結構良かった。時代によって埴輪に背負わせる意味が変わっていく大きなうねりの中を歩くような、明治〜戦争〜近代〜現代が、埴輪という存在をとおしてつながっていく感覚になれたからだ。
ちなみに、「ハニワと土偶の〜」とあるが、ほぼハニワである。
明治〜大正は、デカくてゆるい絵画作品が主だった。個人的には、冒頭はあまり刺さらず。しかしこの後から、私は呼吸を忘れていく。
1938年、国家総動員法が交付され、埴輪は「戦争に赴く若い兵士」として意味づけられた。埴輪の顔は、日本人の理想として提唱され、戦争への共感を集める象徴となっていった。といった趣旨の解説があった。
なんということだ。「埴輪ってかわいいよね〜。マスコット売ってたら買っちゃおうかな!」などと考えていた私には衝撃だった。価値観は時代によって変わるということを改めて痛感させられる。体温が3度くらい下がったような気がした。
戦後から近代、埴輪に対する見方はガラッと変わる。岡本太郎やイサム・ノグチによって、埴輪を美的に愛でるという価値が見出される。「埴輪かわいいよ埴輪」ということですね、わかります。私の気持ちが再び目を覚まし、先ほど下がった体温も平熱に戻る。
様々な作品があったが、今回私がいちばん「好きだな」というか「かっこいいな」と思ったのは、斎藤清の版画作品群。図形的でグラフィカルに描かれた土偶や埴輪がモダンでかっこよかった。彼ら表情はどこかほのぼのとしていて、シックな色合いとのギャップがあるのもおもしろくて、惹きつけられた。木版画の素朴な雰囲気も良き。
あと個人的に好きだったのは、武者小路実篤の『卓上の静物』。「家の庭から古い土器が出てきたらいいよなぁ〜」と思っていた武者小路氏が描いたもの。にんじんやじゃがいもと一緒に土器が描かれているのが微笑ましい。私も、庭から土偶が出てきてほしい。
他にも、複数の作家たちによる埴輪像を一同に集めた展示も見応えがあった。「ぼくがかんがえたさいきょうのはにわ」コーナーといったところか。
などと思いを巡らせながら会場を進むと、2024年制作の作品(衣真一郎『古墳のある風景』)に辿り着き、私は現在に戻ってきた。そしてそのまま、吸い込まれるようにミュージアムショップへ…。
毎回ミュージアムショップでは、物欲と理性が争いを繰り広げる。今回もなかなかの激戦だった。悩み抜いた末、先ほど紹介した斎藤清氏の『埴輪(婦人)』がプリントされた手ぬぐいを購入した。
土偶の箸置きもかなり迷ったが、うちにはすでに使いきれないほど箸置きがあるので諦めた。でも、ずっと忘れられない。買えば良かったかもしれない。
埴輪のマスコットも良かった。でもこれは買わなくて良かったと思う。
東京国立近代美術館『ハニワと土偶の近代』は、12月22日まで。
東博で埴輪の魅力にハマってしまった方は、ぜひこちらも訪れてみてほしい。おもしろかったよ。
『ハニワと土偶の近代』公式サイト
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