見出し画像

『ヤングケアラーという時間』を過ごしたわたし。

はじめまして。
かおたんです😄

興味をもっていただきありがとうございます‼️


~~~~~
誰でも、意識の有無に問わず、独自の時間(時代)の流れ方がありますが、わたしの人生において…生き方において、大きく影響を与えた時間がありました。

それは、『ヤングケアラーという時間』を過ごしたことです。

「ヤングケアラー」という名称を初めて聞いたのは、一昨年の秋に同じような境遇に育った方との出会いで知りました。

厚生労働省HPより。

わたしは、知的障害者の母と、働き者だけど情緒不安定で読み書きが不十分な父との間に生まれた第一子でした。

幼少期の事は、ほとんど覚えてませんが、神経質気味ながらも、ぼんやりしていたみたいです。

小学校前のわたし(4・5歳?)と弟と母。


わたしのケアラーとしての役割というか業務が始まったのは、
小学校に入って、出来ることが増えて、話がわかるようになってきた頃からだったと思います。(具体的にはいつからか覚えてませんが)

わたしはカウンセラーのように、母の話を聞いてました。
育った環境とか何か愚痴を繰り返し話していて、それを聞き続けてました。

読み書きが出来るようになると、母の読み書き代行もしてました。
どこかに出す書類とか、きょうだいの連絡帳とか通信簿のコメントを私なりに書いてました。
(母は字が汚いからとか、何故か将来の勉強の体で。)

消費者金融に一緒にお金を借りに行ったり、質屋を調べてモノを売りに一緒に行ったりもしました。
借金の支払いの催促の電話の対応もしてました。
中学校を卒業し社会に出て働きだすと、家の借金を払うようにもなりました。

違和感を全く感じてなかった訳じゃないと思うのですが(覚えてない)、社会に出るまでは疑問にたどりつきませんでした。
が、しかし…
もしかしたら、母の顔色を伺い(ヘソを曲げて不機嫌になることを避けるために)、あえて疑問に思わないようにして、受け身になっていた時もあったのではないかと、小中以降のわりとまだ鮮明に思い出せる苦悩から、推測してしまいます。(わたしが出来ないことに関しては、母はまるまる放棄して、ナイことになってました。)

働きだすと、いろんな大人と話すうちに、違和感がハッキリとしていき、『家はおかしいんだ』と思うようになりましたが、現実に変化を起こすことを考えもしない時期もありましたし、
起こせず悶々としてた時期もありました。
そして、家の借金を払うことに限界を感じ男性の所に逃げ出す23歳まで、月5~8万(少しずつ増えていった)を家に入れてました。

今思えば、他者に助けてもらえそうな状況がわりとあった方だと思うのですが、なんというか…美化されて、苦しみをわかってもらえなかったり、言い出せずに我慢を重ねたりで、自分を壊していった感じでした。

わたしの『ヤングケアラーの時間』は、ザックリとこんな感じで、その後、様々な出来事に影響を与えてるのですが…

自分の経験を語ることにより、反面教師的なヒントが、今リアルタイムで苦悩してる中高生のヤングケアラーさん達に届けばいいなぁと思って発信を始めました😃
そして、誰もが支援し合える世界を沢山の大人と創って生きたいと思ってます。


発信のみならず、直接お話も聞きたいと思ってます。


今すぐ答えを、思いを形に出来なくとも…
考えや思いを育てていくことは大事です。
いつかくる、個々の終わりの時に備え、今と未来「どう生きたいか?」一緒に考えたいです。
未来を一緒に創っていきましょう🎵

毎月・第2水曜日/お昼休み12:00~13:00
Clubhouseクラブハウスで、お話してます🍀
今月は、『11日』です😄

リアルタイムヤングケアラーさん。
元ヤングケアラーさん。
支援者さん。
この社会問題に関心があるかた。

ご参加お待ちしてます🙇

✳️アプリが必要です。


いいなと思ったら応援しよう!