『敏感期』と『観察』
ママ1年生の頃、いろんな育児本を読んで路頭に迷っていた。
ある程度、大きくなった今
やっぱり大切にしていて良かったなと感じるのは
今、彼女は何の敏感期なのか?と観察すること
そして、集中している時にそっと見守ること
ティッシュを引っ張り出し続けるのにも意味がある
というのはだいぶ浸透してきている気がするけれど
子どもたちのどんな動作も、何かの機能・能力を上げたいからこそその動きを自ら特訓している
だから親の都合で奪わない、邪魔しない
少しくらい寝る時間が遅くなったとしても
あの、仕事をやり終えた後の満足気な表情と、経験値が上がった瞬間を大切にしたいな
見守れる余裕がある自分でいたいなと思って、乳幼児期を育てていた。
先日、たまたま読んだ本。
『ママ、ひとりでするのを手伝ってね』
原作 相良敦子
マンガ あべようこ
モンテッソーリを分かりやすくマンガにしたもので、敏感期が分かりやすくまとめられいた。
とっても素敵な本で、最近よく考えている
『観察』と『観測』
の違い、の話も思い起こされた。
敏感期を見る時も、もしかしたら陥る方もいるかもしれない。
本能的にうまくキャッチできた方は大丈夫かもしれない。
子育てに限らず大切なこと。
観測は、ある程度予測しながら物事を観察すること
それに対して観察は、ただただその物事を、なんの思考も予測も判断もせずにまっすぐに見つめること。
これがなかなか難しい。
人間って見ているようで見ていないのです。
実は人って、目の前の情報の4%しか脳に入れてなくて、最終的に経験や知識で判別しちゃっているの。
色眼鏡、とでも言いましょうか。
だからどうしても主観が入ってしまう。
この主観を外して、ただただ自分の子どもが何を欲しているのか、何を怒ってるのか(笑)
観察する。
赤ちゃんの頃、あーーこれはただ眠いヤツだな、とかなんとなく分かるアレ。
アレをずっと続ける感じ?
少し大きくなってくると、どうしても期待とか願望とか時間の都合とかで、なかなかまっすぐ見てあげられなくなるのだけど。
これ、昨日書き損ねた『ノンジャッジ』とも関わってくる。
また今度ちゃんと書こう。
noteたのしい。
備忘録だなぁー。