吉野ケ里遺跡 ムラからクニへと発展した弥生時代の環壕集落跡 国の特別史跡 吉野ケ里歴史公園
吉野ヶ里遺跡は、小さな「ムラ」が弥生時代に「クニ」の中心となる大環壕集落へと発展する過程が分かるように造られており、きわめて極めて学術的に価値の高い遺跡として、1991年に国の特別史跡に指定されました。
縄文時代後期には、吉野ヶ里丘陵の周辺部に人が生活していたと推定されています。
吉野ケ里に人が生活し始めた大きな理由として、この地域が海と近かったことにあると考えられています。当時の有明海は吉野ヶ里から約2~3kmの位置にありました。
発掘当初は邪馬台国ではないかとの見方もあったようですが、現在は 九州北部にあった複数の「クニ」の1つに過ぎないのではないかという見方もされています。
弥生時代になり水田稲作の成功によって守るべき財産が生まれた。
勝ったムラは負けたムラを支配下に置き、さらに大きな集落群が「クニ」となりました。
吉野ヶ里の周りにはいくつもの遺跡があり、ここは当時たくさんあったクニの中の一つの首都であったと考えられています。それもかなりの力を持ったクニの都市です。
吉野ケ里集落のまつりごとを行う最重要施設の北内郭の主祭殿には、最高司祭者(巫女)が祈祷している場面がリアルに再現されています。
いわゆるシャーマン(巫女・祈祷師)が当時は存在していたようです。
わたしたちの祖先は いまから何万年も前から さまざまな問題や苦悩を解決するために、神に祈って共同体の安寧を祈願したり、祖霊に感謝を捧げたり、予言を行ったりしました。
日本人の先祖の姿をリアルに感じることができる歴史公園になっています。
卑弥呼や「邪馬台国」など どちらも決定的証拠がなく謎に包まれています。
多少謎に包まれていた方が夢がありますね。
■吉野ヶ里歴史公園
〒842-0035
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
TEL:0952-55-9333
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