街の沈黙
23時59分。
街は沈黙していた。
さっきまで遠くでパトカーのサイレンが鳴っていたがそれも聞こえなくなった。
サイレンはまだどこかで聞こえてるだろうが、ここでは沈黙だけが聞こえる。
自宅の2階、自室。
NetflixかAmazon PrimeかDisney+、どのアプリを開こうか迷っていると、「特にどれも求めていないのでは?」と自分の声が聞こえたので、開くのをやめた。
YouTubeで焚き火の動画でも見ていたら何かいい案が浮かぶかも、と思ったけど、また自分の声が聞こえた。
「友人と会話している時にふと訪れる、拡がるような静寂は好きなのに、何故今この瞬間は何か音を欲しがるんだろう」
ある本で、人は沈黙を嫌うということについて書かれていた。
人は何もしていない時に自分の内から聞こえる声が鬱陶しいので、とりあえず何かをしようとする。
確かそんなような内容だった。
私が静寂が好きだ。
でも、時に本当にしたいと思っていないことで時間を埋めようとする。
何もしていない時間、何も聞こえていない時間を無理に充実させようとすることがある。
サイレンの音が消えて、焚き火の動画を見ようとした瞬間に、完全なる静寂に気が付いた。
今、街は沈黙している。
"誰も"喋っていない。
空調の音は聞こえているけど、それはノーカウント。
街が沈黙している時のこの静寂。
意識が遠くまで広がって、ほとんど何も音を拾っていないのに、全ての音を拾えているかのようなこの静寂。
自分の内側も、ほとんど何も言わない。
今この瞬間、ここはゼロだ。
ただ存在だけしている。
存在しているということ以外、何もしていない。
万物の本分だ。
何を求めるでもなく、この静寂を味わう。
そうしていると、やがて「した方がよさそう」なことや「しなければいけない」と思い込んでいることではなく、"自分"から「してみようかな?」と思うことや「したい」と思うことが自然に湧いてくる。
そして今、文字を打っている。
私は今、ただ存在している。