もどかしさよありがとう。
望みの輪郭がぼやぼやっと淡くなる時がある。
ある時にはこれをしたいあれをしたいって、はっきり望みが浮かんでて行動に移せる時もある。
でもある時は、かなりぼやっとしてて、何もせずぼーっとしていれば成り立つ、みたいな状態になる。
もちろんそれまで思いついていたやりたいことはやりたいことのままなんだけど、それらは時によって"今"やりたいことではなかったりして、
そうすると「今この瞬間のワクワクを優先して生きる」ということを実践していきたい時に、うーん何をしよう、とちょっと困ることになる。
困る?
ということは、何かしらをしていなければいけない、と信じ込んでいるということか。
なぜ何かしらをしなければいけないと考えているんだろうか。
きっと何かしらをしていない自分には十分に価値がない、何かしら意味のあることをしていないと今生きている意味がないとか、そんな観念がありそうだ。
そんな観念があるなら価値ある"何かしら"をしていないと誰かに何か言われるんじゃないかと外側の意見が気になってしまうのも頷ける。
何かをしていないとだめというのはいつ植え付けられたんだろうか。
いや、いつ植え付けられたかは特にわからなくても、ほとんどの大人と呼ばれる人種は忙しくしているから、それを見てるだけでもそうしなければいけないのでは?と錯覚しそうになる。
今この瞬間心地良いと感じることに基づいて生きる、というのはこれからもおそらく変わらない。
何かしなければいけないというのがただの幻想であるのは明らかだ。
そんな決まり事はないのだから。
かといってぼーっとするのが心地良い時は、何もしていないことに焦りなんて感じないことがほとんどな気がする。
何かしたいことがあるのは"判っている"けど、それが何かわからない、輪郭がぼやけているから、もどかしいのかもしれない。
じゃあとりあえずは、判明したら行動に移してあげよう、とだけゆるく心得ておいて、このもどかしさを十分に味わう、楽しむとするか。
これも、何かの観念がなければ感じることのできなかった感覚。
もどかしさと、それを生んでくれた観念よ、ありがとう。