今日は中華が食べたい
「今日は中華が食べたい」
ある日の帰り、電車に乗ってたら隣の吊り革に捕まってたおじさんに突然話しかけられた。
「紫色が、紫色が好きなんです」
おじさんは震えた声でそう言ってた。訳が分からなかった。
ついつい「だからなんだよ」と言いそうになったけど、刺激したらどうなるかわからなくて怖かったので抑えた。とりあえず軽く会釈だけしといた。それまで読んでた本も、まだ何か言われるのかな、次は何言われるのかなとか考えちゃって全然内容に集中できなかった。
いっそのことおじさんを観察しようと思った。水色のニット帽、顎マスク、銀色の無精髭、目はどこか遠くを見つめてる。片耳だけはずれた黒いイヤホンからはORANGE RANGEの上海ハニーが微かに音漏れして聞こえてきてた。ジャケットとパンツはベージュで靴は汚れた白のスニーカー。あんた紫色はどうしたんだよ。
カオスな状況にさすがに笑ってしまいそうになったので正面に目線を向け直すと、窓越しにおじさんと目が合った。おじさんは目を合わせたまま口パクで
「おうううおおおあう」
と呟いた。この時は何故か怖さよりも内容が気になる気持ちが勝った。よくよく耳を澄ましてみると
「そうゆうこともある」
と小声で言っていた。
いくら紫色が好きでもさすがにその色の物を身に付けないこともある、ということだろうか。見知らぬ小汚い男に心を読まれているようで、ゾッとした。と同時に、どうせ読むならもっと読まれがいのある内容を読まれたかった。読まれがいってなんだ。
そうこうしているうちに最寄り駅に着いた。自意識過剰にも程があるが、こいつにこの駅で降りていることを知られるのなんかやだな、と思った。けどその反面、使う路線が同じとはいえおそらくもう会うことはないだろうと思うと少しだけ寂しく感じた。
電車を降りて、駅のホームからおじさんに目をやるとおじさんはまたこちらに向けて口パクで何かを伝えてきた。
「おうあ…うーあああえあい」
あの時おじさんがなんて言っていたか正確にはわからない。でもその日の晩、普段料理なんかしないおれが唐突にチャーハンを作ったのはおじさんの言葉が頭に浮かんだからだと、今では思う。