「生きるために生きる」と考えたら楽になった話

大学生になって「死にたい」と思うことが増えた。この言葉は「辛い」とか「助けてほしい」とか色々な言い換えができると思う。
その中で、私の「死にたい」は「逃げたい」だ。

目の前のやるべき事から 逃げたい。
努力できない自分から 逃げたい。
この先のろくでもない未来から 逃げたい。

この考えは本当に恐ろしい。現実逃避しながら「死ねば逃れられる」とか思ってしまうのだ。

そんな私が今日、「絶対に死んだらダメだ」と思わされるTwitterの投稿を見た。きっかけは、いつものように「就活  死にたい」と検索していたことだった。就活生のツイートに紛れて、あるリプライを見つけた私は、気になりその方のアカウントをのぞいていた。それは自死遺族の方のものだった。

娘を自殺で亡くした悲しみや後悔が綴られていたのだが、私はそれらを見ながらボロボロ泣いてしまった。他人事とは思えなかったのだ。
仮に私が死んだら、家族を、友達をこんなにも悲しませてしまうのだと。私という自我が存在しない世界でも、私の存在という重みは残り少なからず影響を与えてしまうのだと。

その時私は決意した「絶対に生きよう」と。
母親を悲しませたくない、という気持ちが私の死にたいを圧倒的に上回った。そして、これまでいつ死んでもいいやと半ば投げやりに生きることから、「生きるために生きる」という考えに変わった。
そうしたら、何だか不思議と前向きになれた。
これまではよく「なんで生きてるの、生きてる意味なんてない」と考えていたのが、「なんで生きるの?それは生きるため」というよくわからない思考にたどり着いたのだ。自ら死ぬことを手放して、よりよく生きるために生きることを受け入れたと言う感じかもしれない。

とにもかくにも、前より少し前向きになり、生きようと思えた日になった。

「生きるために生きる」
自分の中で不思議としっくりくるこの言葉を、しばらく大切にしたい。


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