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おとぎ話『南極稲荷神社』

 
 
 
世の中は日々SNSの誹謗中傷と新しいものにあふれている。
けれど田舎の神社は、スマホもWi-Fiも縁がなく、ただ変わり映えのないしゃばい風景が広がるだけ。
『ああ、ガチだるい』と、退屈しきった狐は足元の石ころを蹴りました
 
毎日、参道に続く同じ石段と苔むした鳥居、季節ごとに変わらない少ない参拝客たち。お賽銭も大して潤うことなく、狐は、ため息をつくばかりです。
 
そんなある日のこと、久しく姿を見せなかったたぬきが、妙に格好をつけてやってきました。たぬきは、まるでどこかの大物にでもなったかのように胸を張り、狐に見せびらかすようにギャップの帽子に派手なサングラス、コーチのバッグを肩にかけ、金ピカのチェーンを首に巻いていました。
「ヘーイメーン!ワッサー!ブロー」前とは違う酷い英語被れのたぬきに、狐は思わず、「久しぶりだな、たぬき。なんだい、そのファンキーな恰好は?」と聞きました。
 
「あーこれ?イケてるっしょ?いやーアメリカからちょっとホームタウンの様子見に帰ってきてみたんだけどYo!」
たぬきは意気揚々と語り出します。「狐さんYo!ニューヨークって知ってるか?あれはまじでアーサムなプレースでYo。ビルは高いし、食べ物は全部ビッグサイズだし、日本なんか、ど田舎もいいところだ。アメリカに比べたら、まるでゴミぽこみたいなもんさ!」
 
狐はたぬきの話にすっかり心を奪われました。ニューヨークの摩天楼、夜通し続くパーティー、どこへ行っても陽気で楽しげな人々ーーそれは狐がこれまで想像したこともない、夢のような世界でした。
「本当に、そんなすんばらしい場所があるんだな……」狐はぼんやりと呟きました。
そして、こんな限界集落の神社に留まっている場合じゃないと思い、すぐに旅の準備を始めました。
 
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とある満月の夜、狐は森のお仲間たちにお別れを告げるため、ゆっくりと大きな木の根元に腰を下ろし、みんなを呼び寄せました。
 
黒い瞳を輝かせた鹿が首をかしげて「ぬん?」と声を漏らし、「ほんとに行くしか?そんな遠くまで行ったら寂しくなっちゃうべ」と心配そうに言いました。
 
猪は鼻を鳴らして羨ましそうに「いいなぁ!アタシも本場のハンバーガーを食べてみたいブヒ!」と叫びます。
 
熊は大きな手で身体を支え、少し考えてから、「そうか、でもあっちは治安が悪いって聞くから、気をつけるんだぞ」と静かに言いました。
 
小さなリスは顔を上げて狐をじっと見つめ、「チチチ!帰りたくなったら、いつでも帰ってくるんだチュ!オイラたちはずっと待ってるチュよ!」と小声で励まします。
 
そんな可愛らしいリスを見て、「頭からパクッと一口食いたい」という衝動をぐっと堪えた狐は、感謝の気持ちを込めて微笑みました。
「ありがとな、みんな。だけど妾は行くんだ。夢と希望にあふれる国、ニューヨークで新たな自由を謳歌するために!」
狐の心はもうすでに、たぬきが語ったあの新大陸に飛び立っていたのでした。
 
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出発の日、山形から電車に揺られ6時間、ようやく成田空港に到着した狐は、パスポートがないと海外に出られないことに気づき、したり顔で貨物室に忍び込むことに決めました。荷物が詰め込まれるのを確認しながら、狐はさっと小さくなってひょいっと飛び込みます。
 
「ここなら誰にも見つからない」と、狐は狭い隙間に身を沈め、飛行機が滑走路を走り始め、エンジンの音が唸る中、アメリカへの旅立ちに胸を高鳴らせます。「さらば、田舎の神社。そして、こんにちはニューヨーク!」狐は新しい冒険の始まりに、心を躍らせたのでした。
 
ニューヨークに降り立った狐は、その光景に目を奪われました。
たぬきが語った通り、巨大なビルが空に向かってそびえ立ち、交差点には人が行き交い、どこを見ても賑わいで満ちています。
狐はそのきらびやかな街並みに圧倒され、興奮を抑えきれずに歩き回りました。
 
早速、狐は蓄えていた妖力を使い、ザ・イケてるアメリカンのチャンネーに変身。すると、目の前にマクラーレンが止まり、馴れ馴れしい陽キャの若者たちが車から降りてきて声をかけてきました。
 
「Hey sexy, hop in! We’re hittin’ a crazy party – it’s gonna be wild!」
 
ろくに英語もできない狐は少し戸惑いながらも、「パーティー」という言葉に目を輝かせます。若者たちの誘いに応じて車に乗り込むと、男たちはさりげなく腰や肩に手を回してきました。
 
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「これがニューヨーク流か…」狐は違和感を感じつつも、期待を膨らませ、そのまま彼らと一緒に車を進めました。
 
クラブに足を踏み入れると、カラフルなネオンライトが煌めき、ファンクに浸ります。
 
さらに、どこかスパイシーで土っぽい香りがする緑の入ったクッキーが回ってきて、狐は試しに一口かじりました。すると、不思議な浮遊感が全身に広がり、気づけばどんどん気分が高揚して視界がぼんやりと揺れ始めます。狐は深く酔いしれたまま、意識がふわふわと遠のいていきました。
 
次の日、見知らぬベッドで裸のまま目を覚ました狐は、隣で爆睡している白人男を見て、今度は彼の姿に化けることに決めました。カジュアルなスーツ姿で街を歩き回り、スタバでニューヨーカーぶってトッピングたっぷりのなんとかフラペチーノを注文したり、豪華なディナーに舌鼓を打ったりして、アメリカ生活を満喫します。
 
「USA最高ー!」
 
狐は例の「緑」にどっぷりハマり、ビルの屋上でチルしながら、こんな日々がずっと続けばいいのにと、ぼんやり思うのでした。
 
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、狐は少しずつに体の異変に気づき始めました。変身の術を使うたびに体が重くなり、妖力がどんどん薄れていくのです。以前のように自在に化けることができず、変身が短時間しか持たなくなりました。お金も底を突き、もう豪遊を続けることもできません。
 
「妾は何しにここまで来たのじゃ…」
 
狐の目には、かつて輝いて見えた街が、次第に色映えのしないただの灰色の風景に変わっていきました。鏡に映る自分を見て、狐の心は疲弊していきました。
 
困り果てた狐は、若い東洋人の女の子に化けて、「sugar daddy」を頼ることに。
しかし、街角に立つ狐には、冷たい視線やささやきが容赦なく飛んできます。
「Yo, look at that.  Chinese pussy right there. Bet she’s tight with that tiny ass. Haha!」
侮辱の言葉に狐はうつむき、気が緩んだ瞬間にしっぽが出てしまいました。黒人の男たちがそれを掴もうとするのを見て、狐は慌てて逃げ出しました。
 
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数ヶ月が過ぎ、ついには元の姿に戻りかけてスラム街で膝を抱えて途方に暮れていると、背後から声が聞こえてきます。
 
「こんなところで何してるんだ?見たところ、不法移民だろ?」
 
振り返ると、汚れたコートを羽織り、ひげ面のラクーンが狐を見つめていました。狐は思わず涙目になりながら、アメリカでの辛い経験をラクーンに打ち明けました。ラクーンは苦笑いを浮かべ、肩をすくめながら言います。
 
「あんた、アメリカが夢の国だと思ってたのか?ここはディズニーランドなんかじゃないんだよ。金がなけりゃ這い上がるどころか、まともな治療も受けられない、生き地獄さ。俺は君たちが羨ましいよ。君たちの国は街もきれいで、ちゃんと治療もしてもらえて、安全な暮らしができるって聞いたからな」
 
狐はラクーンの言葉に驚きました。アメリカは、ここで生きる者たちにとっても理想の国ではなかったのです。漠然とした憧れに流され、それがどれだけ現実とかけ離れていたのかを思い知らされます。狐は、自分のミーハー気質を恥じ、後悔がひしひしと胸に迫りました。
 
結局、どこに行っても楽園などないと痛感したのです。
 
ラクーンはそんな狐に食べ残しのドーナツを差し出し、「元気でな」と一言だけ言ってその場を去っていきました。
そして何日か後、狐は移民・関税執行局の職員たちに捕まり、日本へ強制送還されることになりました。
 
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帰国した狐を待っていたのは、荒れ果てた神社でした。大雨で土砂崩れが起き、神社は跡形もなく流されてしまい、狐が歩き回っても鹿も、猪も、リスも、熊も、誰の姿もありません。あの夜の温かな声が胸に蘇り、喪失感に打ちひしがれるも、もう誰も迎えてはくれないのです。
狐は、すべてが失われ、もう戻る場所などどこにもないと感じました。
 
夜道をとぼとぼ歩いていると、道端にたぬきがうずくまっていました。狐に気づいたたぬきは、恐る恐る目を伏せて声をかけました。
 
「お、おかえり、狐。アメリカ、どうだった?」
 
狐が「行ってきたよ」と返すと、たぬきは気まずそうに視線をそらし、ぼそりと告白しました。「きつね、ごめん……実はアメリカなんて行ってなくて、神奈川の米軍基地に行っただけなんだぽん」
 
狐は微かに笑い、「いいんだ、たぬき。いい旅だったよ」とだけ言って、再び歩き出しました。
 
帰る場所も、仲間も、もうどこにもない――そう思うと、狐は自分が漂うようにどこへともなく歩き続けるしかないのだと感じました。かつて信じたものすべてが失われ、もう二度と元には戻れない。
狐は再び旅に出る決意をしました。もはや世界中を転々とするしかないのだ、と。
 
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それから3年、狐は25カ国を旅しましたが、どこにも自分の居場所は見つかりませんでした。絶えない人種差別、文化と言語の壁、そして孤独。狐は旅の果てに、どこに行っても人間社会はクソだということに気づきました。
 
「人間のいないところで暮らしたい……」
 
悟りを開いた狐が最後にたどり着いたのは、南極の凍てつく大地でした。果てしなく広がる真っ白な氷原を見渡し、「ここなら誰もいない」と心に思いながら、氷の上に腰を下ろし、白い大地と一体になるように静かに呼吸を整えました。
 
その時、数羽のペンギンがヨチヨチと近づいてきました。狐をじっと見つめると、ペンギンたちは首をかしげ、「お前誰ペン?ここに住むなら、南極住民税と発展基金を払ってもらうペン!」と、代表らしき一羽が告げました。
 
狐は一瞬戸惑いましたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、「ほぅ、そうかそうか。だが、妾もただでは払えんからな、提案がある」とわざとらしく考え込む素振りを見せました。「ここに神社を建ててはどうじゃ?神社があれば参拝客がやってきて、南極ももっと栄えるだろう」
 
「神社って何ペン?」「こんなところに人が来るペン?」と、ペンギンたちは首をかしげます。
 
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狐はニヤリと笑い、「参拝客というのは、神社に願いごとをしに来る人間のことじゃ。そして神社があればご利益がある。君たちが望むもの、すべて手に入るぞ」と言い、「幻惑の術」を使って手をかざしました。
 
氷の上に揺らめく薄い霧が立ち上がり、そこには、山のような魚、南極に押し寄せる観光客たち、溢れかえるシャンパンとおっぱいなど、幻想が映し出されました。ペンギンたちは目をガン開かせ、「うわぁ……しゅごいペン……」と息をのみました。
 
狐は満足げに微笑み、「妾に従えば、毎日ハッピーに暮らせるぞ。後、神社は宗教法人だから、納税義務は免除してもらおうか」と付け加えました。
 
おバカなペンギンたちはすっかり信じ込み、「やるペン!神社を作るペン!」「おっぱいなら免税だペン!」と叫びながら、氷を運び始めました。こうして、南極に稲荷神社が建ち、狐は静かに、そして誇らしげにその地に根を下ろしました。
 
世界を渡り歩いた末、南極でひとりきりの暮らしを選んだ狐は、どこにいようが、自分の行く先は自分で作るしかないことを実感しました。南極の静寂の中、狐の笑い声が風に乗って、どこまでも続く純白の氷の荒野に溶け込んでいきました。これが、「南極稲荷神社」のはじまりのおはなしでした。
 
 
 
おしまい♪
 

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