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NPB公式戦開催球場 一関希望ヶ丘球場 跡

NPBが公式戦を開催した球場は300か所近くあります。

大連や台湾など、海外でも行われています。



軽くですが全ての球場を調べたのですが、1か所だけどうしてもわからない場所がありました。

一関希望ヶ丘球場です。





NPB公式には1950年開場となっており、現在も存在していることになっています。
ただ、この土地には一関工業高校が建てられており、野球場としては一般的に使用されていないように思えます。




現在の航空写真です。↓


きれいな球場は存在していますが、東側にグラウンド、そして一関工業高校の校舎が確認できます。

一関工業高校の野球部が使用していると考えるのが普通です。




この航空写真は1947年11月1日に米軍が撮影したものです。

〇円の中が球場がある住所ですので1947年には存在していません。


この写真から3年後の1950年に巨人主催で公式戦が2試合、中日が主催の1試合、計3試合行われています。

公式戦が開催されたのは、この1950年のみです。



この写真は1962年9月27日に撮影されたものです。
NPBが開催されてから12年後の写真ですね。

何となく球場が残っているように見えます。
現在の球場と形は大きく変わってないようにも思えます。

一関工業高校は1959年創立とあります。

つまり、この頃には既に一関工業高校は開校しており、この1962年の写真は開校から3年後の写真です。

東側に校舎が建っているのも、この写真で確認できます。









どこを探しても手掛かりがなく、一関市スポーツ振興課に問い合わせてみたところ、次のような回答をいただきました。


・一関希望ヶ丘球場について、もともとは市営球場として存在していましたが、現・一関工業高等学校が建設される際、一関工業高等学校の敷地として移管されていることから、現在は野球場として存在しておりません。その後、市営球場は東台に建設され、さらに一関運動公園野球場も整備されました。現在も一関工業高等学校のグラウンドとして使用されております。

そのほかのことについてもお調べいたしましたが、野球場の建設に関する経緯や建設年月等は資料がなく回答できかねます。
建設当時の詳細につきましては回答できず申し訳ございません。

一関市スポーツ振興課 担当者様


つまり希望ヶ丘球場は市営球場として作られましたが、現在は一関工業のグラウンドとして使用されているようです。

しかしながら、球場建設年月や、経緯などは市でもわからないようです。





NPB公式が1950年開場としている理由は確認できませんでした。

ただ、「野球場としては存在していない」との市からの回答がありました。

NPBの球場情報のページではNPB公式戦開催された全球場が載っています。
現存していない・もしくは野球場として使用されていない球場には「閉鎖」の印が付けられていますが、一関希望ヶ丘球場には付けられていません。

この点については、NPBの表記は誤っていることになります。








一関市役所スポーツ振興課の担当者様、この度はありがとうございました。





参考
NPB 球場情報 一関希望ヶ丘 | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
地理院地図 地理院地図 / GSI Maps|国土地理院
一関市スポーツ振興課 ご担当者様
日本プロ野球記録 ウスコイ企画
 1950/6/20 巨人‐西日本 1950GN (2689web.com)
 1950/9/26 巨人‐広島 1950GC (2689web.com)
 1950/9/26 中日‐西日本 1950DN (2689web.com)


2022.8.27 筆

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