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【鶺鴒鳴】せきれいなく『ニックネームはPochi』白露/次候🍀


現在の私は、お気楽代表みたいな呑気なバアちゃんだが、小さい頃はメチャ神経質で、笑われるのが大嫌いで、自分の気持ちをうまく伝えられない子供だった。
何回も書いてきたが、友人を作るのが下手っぴで、自分から友達を作る技など持ち合わせていなかった。


だから、高校生になって未知のクラスメイトの中に放り込まれた時の不安は、計り知れなかった。
そんな時に、1個後ろのIちゃんが声をかけてくれて仲良くなれたのは、正しく天の助け「神様ありがとう!」だった。


そのあとの二人で写真部に入り、一番最初に部員として参加した学校行事は、確か相撲大会の写真撮影。
他の新入部員はサッカーとかテニスとかもっと華やかな会場に行ったのに、何で私達(確かIちゃんも)は相撲なんだ?
あんな大きな身体が落ちて来るかも知れないのに「もっと近くに行って撮ってこい!」なんていう無慈悲な先輩たち。
怖かったぁ〜私は運動音痴なんだぞ!
あの大きな身体が飛んできたらどうすりゃいいんだ。


とは言っても、中学までろくに部活動をやって来なかった私にとって、この縦の繋がりが部活動は妙に楽しかった。
高校生になってからの思い出ベスト10を上げるとすれば、全て部活にまつわることばかりになるだろう。


そんな中で、始めての文化祭の準備が始まった。
展示物のパネルの準備や会場として使う教室の飾り付けなど、放課後以外の日曜も学校へ行って準備を進めていた。
思い出しても楽しい時間だった。


な~んて、偉そうなこと言ってるが、その頃の私は、皆が忙しそうに動き回る姿をジッと見つめていた。
どう動いていいか、何を手伝えばいいのか分からなかったのだ。
今では、知らない人にまで話しかけ、楽しい事を思いつくと勝手に身体が動いてしまう私だが、学生の頃は正しく指示待ち人間だった。


一応は1個上のS先輩に向かって「私は、何したらいいですか?」とひと言だけ訊ねた。
そしたら「あっ、ちょっとそこで待ってて」と言われた。
忙しさも一段落して皆が部室に戻ってきた時、部室の隅っこにずっと座っている私にS先輩が気付いた。
「おまえ、そこで何してるん?」
「エッ?あっ、さっき先輩が、ここで待ってろって」
呆れ返る皆の深いため息。
「待て!って言われたからって皆こんなに忙しかったのに、ずっとそこにおったんか?オマエはポチか!」
テナ訳で、それから卒業にいたるまで。部活の時も教室でも、私はポチと呼ばれるようになった。


でも、何かこの呼ばれ方、そんなに嫌じゃなかったっていうか好きだった。
それはその後の3年間の部活が楽しかったからだろう。
この名付け親のS先輩、社会人になったばかりの私の悲しい19才の誕生日を祝ってくれた人でもある。
その頃には、もう夫ヨッシーさんと出会った後で、ちゃんと誕生日まで教えたのに、何の連絡もよこさないヨッシーさん。
誕生日はいつって聞いたよね!!
まぁ二十歳の誕生日は一生の思い出になるくらい祝ってもらったので良いのですが。
お時間ある方はコチラも参考に♡



このワケの分からない事態を兄のような存在のS先輩に訴えたら、きっとオレが祝ってやるから、そんなに落ち込むなと慰められた。
改めて思い出すと二人だけだったし、まるで傍目にはデートみたいだったが、ご馳走になったのは確か焼き魚定食。
でも染み染みと嬉しかった。
仲良しだったIちゃんは地元を離れ東京へ行ってしまったし、その頃の相談相手は地元の大学に通っていたS先輩のみ。
ほんと、お世話になりました🍀


ポチに関する最近の思い出は、還暦同窓会、久しぶりに近況を兼ねて自己紹介をすることになった。
昔の話せない私を皆が気にかけてくれて
「ポチ、頑張れ〜!」
の声が飛んできた。
還暦になっても、呼んでくれるあだ名を付けてくれたS先輩に感謝している。


同窓会の翌日の晩、写真部4人でS先輩の焼肉屋さんに顔を出した。
始めてあった日から45年。
「コレは俺からの還暦祝いだ」
お皿に乗った美味しそうなお肉をプレゼントしてくれた。
「ありがとうございます!うまい!」
パクパク食べる私達に、
「お前ら、もっと味わって食え!」
後できいたら、お肉はシャトーブリアン、一切れ千円とか?
S先輩、ゴチになりました🍀
思い出したら会いたくなったぁ〜💞

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