【竹笋生】たけのこしょうず「うまいこと、なっとるわ」立夏/末候🍀
「うまいこと、なっとるわ」
これは、我が家のバアバアちゃんが、残してくれた言葉。
バアバアちゃんとは、夫ヨッシーさんの母であり、私にとっては姑。
うちの孫たち(たびたび登場する中学生ボーイズ)にとっては曾祖母にあたるひと。
私がバアちゃんだから、バアちゃんの2乗でバアバアちゃん、私がネーミングさせて頂いた。
このバアバアちゃん、とてもパワフルで何にでも挑戦する活動的なひとだったが、大正生まれの頑固な義父が亡くなって1年程は、元気が無く本当にしょんぼりしていた。
だが、一周忌を境にボランティアをやると皆んなに宣言した。
いろんな人に声をかけ「千婆鶴」というグループを作り、衣裳を手作りし、寸劇の台本を考え、施設への訪問活動を10年以上も続けた。
バアバアちゃんにとっては、青春真っ只中みたいな時期だったに違いない。
普段は朝飯前から畑仕事をし、ほがらかで私にも言いたい事を言い(私も負けてはいなかったが)友人が多く、めちゃくちゃ子煩悩なひとだった。
前の空き地で、ちょこちょこと動き回るひ孫ボーイズたちを相手にサッカーまでやってのける元気な80歳だった。
きっと、この人は百歳まで元気に生きるんだろうなぁと当時の私は思っていた。
そんな元気だったバアバアちゃんが、脳梗塞で入院したのは、85才の6月頃だった。
入院したばかりの頃は、立ち上がるどころか、病院のベッドの上に座ることさえ出来ない状態だった。
元気な人だから、自分の身体が動かないことに人一倍ショックを受けていたと思う。
でも頑張り屋のバアバアちゃん、先生や看護師さんをはじめ、理学療法士さん作業療法士さんの指導のもと、毎日毎日トレーニングに勤しんだ。
今日はひとりで立てたんですよ。
今日、3歩も歩けました。
階段上がる練習しましたよ。
パジャマの着替、一人で出来ました。
お部屋から食堂まで車椅子使わずに行けましたよ。
毎日お見舞いに行くたびに理学療法士さんや作業療法士さんから報告を受けた。
3ヶ月の入院で無事に家に戻る事ができたバアバアちゃん。
現在は中学生になっているボーイズたちも、その頃は幼稚園児、確か4歳と5歳位だったはず。
同居ではなかったが、毎週土曜日は園へお迎えに行き、うちでお風呂に入れ夕飯を食べさせて両親の仕事終わりを待つ、を繰り返していた。
夫が二人をお風呂に入れ、私が夕飯の支度をしつつひとりずつ順番に、居間にいるバアバアちゃんの所へ連れて行き、あとの着替えをお願いしていた。
身体が不自由になった後も、自分でやっとこさ着替えが出来るようになった彼らに向かって、バアバアちゃんが指示を飛ばすスタイルで、このお風呂上がりリレーは続いていた。
彼らが出来ないことはバアバアちゃんが教えるし、バアバアちゃんが出来ない事は彼らが助けてあげる。
バアバアちゃんがいてくれたおかげで、彼らの優しい部分が育まれたと思っている。
家族の介護が始まると、もう何処にも行けないよ、なんて言われたりするが、天の邪鬼な私は、いやいや! 行けるでしょ?と考えた。
退院してしばらくして、手始めに能登の温泉へ行こうと計画を立てた。
車椅子使用のお部屋と内風呂があるところを探した。
今まで夫と3人で出かけると運転は私で助手席は夫、バアバアちゃんは後ろの席と決まっていた。
でも、助手席がスライドドアになっている私の車は、車椅子からの乗り降りが楽チンなゆえ、助手席がバアバアちゃんの指定席となった。
ドライブの途中も道の駅ごとに休憩すれば、♿専用駐車スペースはあるし、トイレも使いやすくて近いし、めちゃくちゃ便利に出来ている。
これだけ整っていれる日本ならば、何処だって行ける気がした。
能登の温泉で困ったことは、ヒノキの内風呂が大き過ぎて母に怖い思いをさせてしまったこと。
麻痺がある人は足に力が入らず浮いてしまう事の怖さを実感した。
とは言え、夫には助けてと頼めない。
私だって息子にお風呂の介助をされるのは絶対いやだから。
翌年の旅行計画には、東京に住む義妹に協力をお願いした。
「お母さんと温泉行かん?」
快く賛成してくれて山梨で合流し、富士山を見たあと、奥飛騨の温泉を目指した。
さすが実の娘、頭もワシャワシャ、身体もゴシゴシ思いっきりよく洗ってあげていた。
私はハイ!シャンプー、ハイ!タオルとお手伝い。
お風呂の後の食事も楽しかった。
「来年の米寿のお祝いはお母さんの好きなハワイにでも行こうか!」
ナンテ話も出たが、旅行はそれが最後となってしまった。
その年の8月に入って急にバアバアちゃんの食欲が落ちてきて夏バテかと病院へ行った。
点滴と血液検査で帰ったが、次の日に担当医から大きな病院で見てもらうようにと連絡があった。
翌日、CT検査で膵臓がんが見つかり、そのまま入院することに。
もう肝臓や他の臓器にも転移していて治療は無理だと言われた。
お盆には一時退院をし、来てくれた妹と一緒にお墓参りも済ませた。
妹を空港まで送り、バアバアちゃんは再び病院へ。
食欲も少しずつ落ちて来て、大好きなゼリーさえ全部食べられなくなっていた。
そんな頃から、母は昼間でもうつらうつらとしている事が多くなった。
そんなある日、母がポツンとつぶやいた。
「うまいこと、なっとるわ」
「何がうまいこと、なっとるん?」
私の質問に、関連が無さそうな答えが返ってきた。
「みんな、ちゃーんと考えとる」
「誰が考えとるん?」
それっきり話は終わってしまった。
お盆から一週間で、また妹を呼んで欲しいと言い出したバアバアちゃん。
すぐに来てくれた妹に夕食のうどんを食べさせてもらったが、それが最後の食事となり、次の朝からバアバアちゃんは眠り続けた。
それから一週間が過ぎ、バアバアちゃんの誕生日、目が覚めないバアバアちゃんのベッドの周りをバースデー仕様に飾りつけをし、息子と嫁のMちゃん、そして子供たち(ボーイズ)4人で一緒に撮った写真をラインで送ってきてくれた。
その翌日、バアバアちゃんは天国へと旅立った。
あれから、あの時の言葉を時々思い出す。
「うまいこと、なっとるわ」
「みんな、ちゃーんと考えとる」
私は思う。
あの時、バアバアちゃんのベッドの周りには、先にあっちの世界に旅立ったご先祖様や友人知人たちがお迎えに来てくれていたのではないかと。
みんなが
「後の事は心配はいらんよ。安心して旅立っておいで。残された家族も、それぞれに色んなを経験するかもしれんが、それは必要なことなんや」
とかなんとか。
ご先祖様もちゃーんと考えて下さって、私たちの成長に必要な事しか、この先起こらないと言うことか?
そう思ってしまった私は、更に呑気に人生を送ることとなってしまった。
オマケに亡くなる時に、皆が迎えに来てくれるのなら、この先安心して生きていける。
それは、私だけではなく、誰にとっても命を繋いでくれたご先祖様がいるわけで、ならば命がつきるまで安心して、精一杯生き抜きなさいと言うメッセージなのではないか。
あの時のバアバアちゃんの言葉を、私はお守りのように心のすみっこに抱き続けて、これからも生きていくだろう。