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ホモ・モビリタスの末路(発端)

いい気分で酔っている最中に水を刺すような連絡だったから、道ゆく人を振り返らせる大声だったとしても仕方ない。電話の先は実家の老父。いくら説得しても、頑として意見を変えないので、気がつけば声を限りに怒鳴っていた。宴席を離れ、雨天の軒下で、すぐそこを大勢の若者が往来する目の前で。

妹から入ったLINEによれば、同日午後に親父が交通事故を引き起こした。幸い本人も、同乗していた母にも怪我はなく、車両と相手方のカーポートに損害が出たくらいらしい。

問題は事故の内容である。電話に出た当人の申告によると、店舗の駐車場にバックで止めようとしたら、なぜか前方に向かって急発進し、民家のカーポートの柱に衝突したという。どうしてそうなったかは、よく覚えていない。ただし操作を間違えたつもりはなく、ひょっとすると先日リコール対象になったクルマだから、その辺りが悪さをしたんじゃないか。

とうとう来たか。往年の気忙しい姿から、うちの親に限って大丈夫と高を括っていたが、当然そんなはずはない。既に80代も後半に差し掛かり、元気に歩き回ってはいるものの、体は一回りしぼみ、姿勢は斜めに傾き、耳もだいぶ遠くなった。見て見ぬふりをしてきたツケがついに回ってきた感じだ。

ともあれ、前方に歩行者がいなかったのが不幸中の幸いである。これを奇貨に免許を返納してもらい、大人しくタクシーでも使ってもらおう。離れて暮らす兄弟の意見は異論の余地なく一致した。

ところが、である。本人に全くその気がないのである。

何を言っても、「注意するから大丈夫」の一点張り。しばしば世間を賑わせる高齢者の自動車事故を知らぬはずはかなろうに、「町内会長だから、いろんな会合がある」「母さんを病院に連れて行かないと」「タクシーなんてもったいない」「俺の気持ちも考えてくれ」と、言い訳に事欠かない。

困ったことに援軍が現れた。電話を代わったお袋に、助け船を出してもらうつもりが、「もうこっちは大丈夫だから」とまさかの造反だ。「代金は俺のカード払いでいいから、頼むからタクシーに乗ってほしい」と懇願しても、「だったら、もう病院に行かない」と謎の理屈を振りかざしてくる。親父より肝が据わっているのか、はなから聞く気がないだけなのか、こちらが声を荒げても一歩も引く気配がない。

何度か電話したが、議論は平行線を辿った。「アプリを使えばタクシーはすぐ来るし、妹がいる時は運転して貰えばいい」「俺が実家に戻って運転手をするよ。介護より楽だし」。あの手この手を繰り出すが、まるで暖簾に腕押しである。「だったら親子の縁を切るぞ」と奥の手を切り出しても、「それならそれで仕方ない」とにべもない。もはや神学論争だ。

埒が明かないので実家に戻って直談判した。

結論はこうなった。「町内会長の任期が切れる年度末までは運転したい」という親父の主張は飲む。ただし、その後はすぐに免許を返納してもらう。修理に数十万かかるという事故車の代わりに、思い切って新車を買う。踏み間違い防止など最新の安全機能を付けるためだ。代金は折半して、免許返納後はうちで引き取る。ただし、一度でも事故ったら即免許返納。物損や人身事故どころか、車体をちょっと擦るだけでも一発アウト。

これでなんとか納得してもらった。あとは来年3月まで、事故らないように祈るのみである。めでたし、めでたし。

………では終わらない。もっと大きな問題が解決されずに残っている。免許返納後の移動手段である。

基本は、「妹が運転、いなければタクシー」路線だ。ただしそれで事足りるかといえば、はなはだ心許ない。妹を頼りにできるのは、おおむね夜間や週末だけ。親父のスマホにタクシー配車アプリをインストールしてきたものの、高齢者向け端末の想定外の使いにくさに、ホーム画面にあるアイコンにすら気づかない認知能力を掛け合わせたら、スムーズな利用シーンは到底思い描けない。それなりの金額がこちらにのしかかるのを別としても。

昔は国鉄の駅に出るのに使った民間のバスは、もう午前中に数本あるかないかで、近くに止まるコミュニティバスもない。それでも実家は恵まれた方で、頑張って歩けばスーパーはあるし、さらに倍歩く労を厭わなければ、新設されたJRの駅もある。しかし、老体に鞭打つ手段をおすすめするわけにもいかない。そもそも夏場にそれほど歩かせようものなら、温暖化真っ盛りの今では、みすみす命を危険に晒すようなものだ。

だから本当は、高齢者でも便利に使える移動手段がほしいのである。親父は自転車を主張したが、危なっかしいことには代わりない。坂の上にある実家では電動アシスト付きが望ましいものの、他人にぶつけるのはもちろん、モーターの勢いに取り残された本人が、地べたに放り出されて大怪我を負う光景もうっすら浮かぶ。なぜか異様に叩かれているLUUPなんてもってのほか。というか、田舎にそんなものはない。「あれLUUPじゃん!」って目を見張ったら、自分の足で漕いでいた。

高齢者向けの低速EVなるものが販売されているようだが、いざ親が使うとなると色々なハードルが頭をよぎる。どこで買えるのか、いくらかかるのかはもちろん、自宅や出先の充電場所はどうか、故障したら誰にどう対応してもらえるのか、そもそも運転するんだったら、使い慣れた普通の乗用車の方がむしろ安全なんじゃないか……。

友達に相談しても妙案は思い浮かばない。それぞれ老親を抱えていながら、実家の立地や家族構成、近隣の賑わいや交通手段など、状況が千差万別なのである。

つい最近の仕事で、いわゆるソーシャルビジネスが儲からないのはニーズが細切れだから、という意見を聞いたばかり。まさにその実例を目の当たりにする思いだ。「幸せな家族はどれもみな同じように見えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」by アンナ・カレーニナ(望月哲男訳)ばりである。

だから結局考えるのを諦め、お得意の先送りに頼ることにした。それがいけなかったのかもしれない。ちょっとそこへ行くだけでも苦心惨憺する境遇に、突如として自分が陥った。足を骨折してしまったのである。

こちらに続く)


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