女1人、大谷翔平を見に行った話⑥
帰国の日
7/21、早朝。身支度を整え、荷物を持ってチェックアウト。3泊4日お世話になった宿は快適だった。駅まで歩いていると、歩道の真ん中には全裸の男性が股間を隠して立っていた。着ていたと思しき服が周囲に散らばっていた。何も気にしていない素振りで通り過ぎたものの、心の中は「うわ、最終日にもロサンゼルスっぽいもの見せてくれんじゃん」と沸いていた。
駅ビルのスタバで朝食を。日本にはないドリンクとサンドイッチをいただく。ドリンクには名前を入れてくれた。わたしは「I'm スズカ、S.U.Z.U.K.A」と伝えたのだが、ラベルには「ZUZUKA」の文字が。惜しい!でも、ほぼスズカなのでおっけい。これもまた楽しい思い出となった。
ユニオン駅に向かい、空港行きのバスに乗る。降りる場所を間違えるも、空港職員らしき人に聞いててくてく歩いた。今回の旅で思ったのが、みんな質問すると親切に答えてくれる。地下鉄の方向やバスの行き先など、たくさん知らない人に声をかけて質問したが、みんな丁寧に教えてくれた。中には、わたしの降りる駅になった時に再度声をかけてくれた人もいた。英語講師として、この経験は子供達に伝えていきたい。
無事ターミナルに着き、お土産が入ったカバンを預ける。空港でも水汲み場があったので汲んで、お土産屋などを散策。サンドイッチと少しのお菓子を買い込み、また13時間のフライトだ。
大森靖子「前説ADvance」
この日は朝から、ずっと大森靖子の「前説ADvance」という曲を聴いていた。サビの「前説アドバンス 笑い飛ばせない今までの人生」というフレーズが特に胸に突き刺さっていた。
鬱で辛かったこと、思うように生きられないままにまた仕事も辞めてしまったこと。そんな現状から半ば逃げる様に飛び出した旅で、わたしはこれまで生きてきたことが一つも無駄ではなかったと感じていた。
小学校で野球を始め、中学でも続けようと思ったけれどいじめられて辞めたこと。不登校だったこと。それでも英語を学びたくて大学進学したこと。アメリカ留学の予定がコロナ禍で無くなったこと。小学校の卒業文集に書いた「新聞記者になる」夢が叶ったこと。でも鬱で2回休職して結局2年半しか働けなかったこと。障害者手帳を取得したこと。転職先でもまた上手くできなくて7ヶ月で辞めちゃったこと。全然笑い飛ばせない、むしろ一つ一つが思い出すだけで痛い。それでも、その時に野球を好きになれたから、その時に英語を話せる様になったから、少しだけど自分でお金を稼げたから。わたしは憧れのアメリカに、自分の力でたどり着けた。
全部間違えてきたと思った人生も、それはそれで正解だったのだ。
夫や義実家からの反対を、無視してよかった。死ぬまで思い出し続けたいと思える旅になったから。もし夫たちの言う通りに行くのをやめていたら、死ぬ前に後悔していたと思う。死に際に夫や義実家を責めたくても、もしかしたらみんな死んでいるかもしれないし、意味がない。自分の責任の範囲なら、多少の無理を貫くことも大切だと感じた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。あーあ、また海外行きたいな。
おわり。