女1人、大谷翔平を見に行った話①
25歳女、仕事辞めたてのフリーターが1人で初渡米した。大谷翔平を見に、ロサンゼルスへ。3泊4日の旅に出ると踏ん切りが付いたのは、出発日1週間前の2024年7月11日だった。
この文章は、死ぬ前に見返して「面白い旅だったな」と思うために書き残す。
弾丸旅行のきっかけ〜死ぬまでにやりたいことリストと24万円
わたしは幼少期から野球が好きだった。小学3年生から少年団で野球を始め、紅一点ながらもキャプテンを務めた。中学の部活動でも野球を続けるものの、男女の体力差についていけず中学2年で退部した。その後はプロ野球、主に北海道日本ハムファイターズを応援していた。
大学時代、付きまとう希死念慮への対抗策として「死ぬまでにやりたいことリスト」を作成した。当時好きだった深夜ラジオのパーソナリティになりたいとか、ウユニ塩湖に行きたいとか。国内外、現実性の有無を問わず書き連ねた中に「No.6 MLB現地観戦」があった。どうせ死ぬなら、大好きな野球の本場に辿り着いてから死のうと思っていた。
それからしばらくは、そのことも忘れていた。時折リストを見返しても、アメリカに行くお金も時間もなかった。大学を卒業して新聞社に入社し、結婚し、2度の休職を経て退職。転職した観光施設の広報担当は、たった7ヶ月で辞めてしまった。
週1回の英語講師以外の予定が無くなった頃、ハローワークから「就業促進定着手当」として24万円が振り込まれた。連日報道される大谷翔平フィーバーが、やりたいことリストのひと項目を思い出させた。わたしにとって大金のそれを、アメリカ旅に注ぎ込むことにした。
ボトルネック〜周囲からの心配
アメリカに行きたい、と夫に伝えた時、反応は好ましくなかった。「1人で行くのは心配だからやめてほしい」「向こうで鬱がひどくなったらどうするの」。夫はパスポートを持っていないため、わたしが1人で渡米して何かあった時のことをひどく心配していた。わたし自身も海外は韓国にしか行ったことがなく、銃社会のアメリカに少し怖さがあった。
それでも、今行きたかった。今後子供ができたら海外旅行は当分行けないだろうし、働いていたらまとまった時間を作ることも難しい。でも今なら。ほぼニートのような暮らしだけれど、お金はある。何度も見ていた航空券サイトとドジャースのチケットページ。
夫にこれ以上反対されるのはしんどかったので、彼が仕事中に渡航を決めた。航空券を取ってしまえば踏ん切りもついた。アメリカ入国に必要なESTAを申請し、ホテルと観戦チケットを取った。流れるようにクレジットカードの番号を打ち込む。ハローワークの手当に加え、社会人1年目からのつみたてNISAが火を吹いた瞬間だった。
続く。