捻くれ者の誕生。
定期的に都市部に行きたくなる。地方住みの人なら分かる感覚なんじゃないだろうか。
もっとも東京・大阪の大都市もいいけれど、僕はそれよりもひと回り規模が抑えられた都市部が好きです。(わかりやすく言うと、東京・大阪以外で地下鉄があるところ。)
ひと通りの文化が充実していながらもごみごみし過ぎていない感じが好きなんです。それらの街は、落ち着いた日常生活を送りつつ、少し足を伸ばせばあらゆる豊かさが手に入れられるのが魅力ですよね。(住んだことないくせに偉そうな口叩くなっていう声が聞こえて来る…)
僕は特に、福岡・神戸が文化的にも気候的にもマッチしていて好きです。(田舎者が何様のつもりだって声が聞こえて来る…)
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ですが、こんなことを考えていること自体が遅れている気がします。
実際、どんなに忙しい時期でも少なくとも3日に1回くらいの割合でこんなことに思いを巡らせています。
その度に「また無駄な行為をしてしまった。」とプチ反省会が開催されるんですよね笑。
「そもそも生まれも育ちも都市部ならこんなくだらないことを考えなくて済むなあ。」とか、「結局、世界水準を目指して活動できる人って都市部の人間だよな。それに比べて地方の人間は、都市部進出しか眼中にないよな。」などなど色々思ってしまう訳です。
これが非生産的な行為であることを頭では分かっているのですが、反射的に心が反応してひねくれたことばかり考えてしまうのです。
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勿論僕は根っからのひねくれ者ではなく、純粋無垢な少年として10数年間暮らしておりました。
ですが、あることを境にひねくれた考えを持つようになってしまいました。
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両親が関西にゆかりがあったこともあって、僕は西日本が好きで神戸は昔からお気に入りの街でした。
「神戸みたいな素敵な街っていいな。」
「色々な文化施設や商業施設があっていいな。」
僕の思うことはせいぜいこのくらいでした。
しかし、17,8歳の時に神戸に行ったときに目の当たりにした光景は今でも忘れられません。
学校帰りと思われる制服を着た中学生・高校生たちを見たのです。
何もおかしなことはない普通の日常風景なんですが、僕の心中は穏やかではありませんでした。
「あの人たちは生まれも育ちも神戸なんだ。」
「何の努力も必要とせずにこの素晴らしい環境を手にしているんだ。」
同じような日常生活を送っているはずなのに、彼らが談笑する姿は満たされていて、かけ離れた印象でした。
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それ以来、僕はひねくれた考えを頭に飼うようになったのです。飼い慣らされた考えはすくすくと成長していきました。
出身地格差、家庭格差、教育格差など...
今は、ある程度自分の心を制御できるようになってネガティブ感情に支配されることは少なくなりました。
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それでもやはり、どうしようもないときがあります。
大学生活やSNS界隈を通じてたまに思うのです。
「何でこんな民度低そうなふざけた奴が都市部出身なんだよ。」
「そんな奴が都市部に生を受けるのは都市環境の無駄遣い。」
ほんと、良くないですよね。捻くれてます。
そして行き場を無くした感情を抱え、こんな本に手を伸ばしてみるのです。
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それでは、おやすみなさい🌙