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【緊急】新幹線出発まで、あと一時間

緊急事態は全てをダメにする。恋は盲目と言うけど、緊急事態も周りを見えなくする。視界がスマホ形に切り取られ、スマホ以外の情報は何も見えなくなってしまった今日この頃。

新幹線の出発まで、あと1時間。


金曜日の会社は憂鬱で、今日の金曜日はなおさら憂鬱で、木曜日に苦手なお客さんから予約があったおかげで昨日の夜は寝つきが悪かった。電話があった木曜日の夕方から、僕の憂鬱は助走を始めている。むしろ、金曜日にさらなる憂鬱を持ってこようと、憂鬱は会場のお客さんに手拍子を求める。自分から頭上で大きな音を出しながら、どんどん間隔が狭くなって、ゆっくりとしたパーーン、パーーン、パーンパーンから、金曜日の出勤する頃には拍手並の細かい破裂音が聞こえていた。

ただ、そんなことも、もう昔のこと。

ありがたいことに、周りの協力もあり、お昼には難敵とされるお客さんと戦い終え、なんだろうこの万能感…言葉の切り返し、微笑みながらの質疑応答。かつてない自分の能力値以上の立ち回りが、自分に自信を与えていた。というよりも自分の名札がもう「自信」になって「初めまして、おいら自信の塊っす」と紹介できるくらいオーラが溢れていた。

気がつけば、あと1時間で新幹線に乗り込む。計算上、定時で外に出て、あの電車に乗ってこう行けば30分前には、乗車駅までいけるはず。到着までの方程式はもう頭にある。あとは、定時を目指すのみ。

ただ、こういう時ってなんでだろう。ここ数週間の悪運が降り注ぐことあるよね。今じゃないって時に限って「連絡してないけど、来ちゃった」って、玄関開けたらいるんだよね。「ごめんねー悪運持ってきちゃったんだ、へへへ」って、照れ笑いしてんじゃないよ。まったく、コラ。

どうやら今から、別のエリアの上司が顔だけ出すらしい。「苦手な客を接客したら、万能感でチートキャラになった件」みたいに、なろう系小説の題材に出来るくらい無敵だった僕の旅は、ここから雲行きが怪しくなる。普段なら帰れる時間から、じわじわと時間が削られていく。

乗り遅れる!!

上司が帰る時には、火災連絡があった消防隊員のスピードで服を着替えて準備するが、時間は取り返せない。時間には追いつかず、緊急事態が始まった。僕は最寄りの駅までタクシーに飛び乗った。

出発まで、あと20分


新幹線に乗る駅まで着いた。旅の醍醐味でもある駅弁と飲み物だけは調達するため、発券をする時間を短縮して、駅弁シンキングタイムに時間を割きたい。既にQRコードをスクショして、いつでも出せる状態にしてある。さながらガンマンの早撃ちのように、発券機にかざしてみせる。

時間が迫ってる緊張感はあるものの、両隣の方に焦ってる姿は見せられないため、発券機の前では紳士な表情を保つ。画面には、サイト別に存在する複数の発券サービスが並ぶ。その中で、的確に発券サービスを押して、赤く光るQRコード読み取り口に的確にQRコードをかざす。そう、的確に。なのに、冷淡な口ぶりで読み取れませんと文字が出る。

うん、今の僕には、君の言葉は刺さるよ、気をつけてね。そうだね、伝えないといけないもんね。でもさ、でもさ、大人げないかもしれないけど、今の僕には逆撫でする言葉になるから、伝え方間違えないでね。跳ね除けられた影響で、もしかして発券出来なかったりする?という疑惑が浮かび、汗が背中から出てくる。画面上に出た「もう一度かざす」を丁寧に押し、QRカードをかざす。再度、読み取れませんとメッセージが出た。

あのさぁ、別にいいけどさ、俺じゃなかったらだよ?俺じゃなかったら、本当危なかったよ。このままだと、もう一度かざしてくださいで、拳振りかざしてくる人いるからね。気をつけよーね。表情には出さずとも、画面を何度もタッチしている首を傾げた男は、どう見ても焦っている。まさかの事態だった。

発券機のボタンを押す、QRコードをかざす、切符を受け取るの3STEPで終わるところが、発券機のボタンを押す、QRコードをかざす、QRカードをかざす、QRカードを……あと何STEPで見逃してくれるのだろう。画面に表示されるサービスを一つずつ試していく。初対面のサービスでも、初めましてからありがとうございましたまで一瞬で移り変わりながら、お見合いパーティーみたいに全通り試してみるが、やはり反応しない。

電車はもう到着してるのか?もうこの頃には、恋は盲目状態のスマホサイズの視野でしかなくなっていたと思う。もちろん、発券機前に居座るのも申し訳ないから適度に移動して、駅員さんに聞くために改札まで向かったりした。でも、悪運は降り注いでるもんだから、ツアー?か何かの行列がチケットを提示するため、駅員さんのいる窓口を封鎖している。移動することも覚悟の決断なのに、今日の運勢はことごとく踏みにじってくる。もう、バックの背中に当たっているクッション部分は、汗を含んで凍らす前の保冷剤くらいにブニブニし始めた気がする。タイムリミットは、残酷だ。

出発まで、あと10分。


発券機に戻り、問い合わせ番号の手入力から、アプローチを試みる。結局、遠回りこそ最大の近道になる場合が多々ある。人生と一緒。切符の発券と人生は同じである。メールに記載された問い合わせ番号を入力し、次の画面に進むと暗証番号を入力画面に移行した。暗証番号?…iPhoneユーザーの僕はすべてをFaceIDに任しているため、とっさに暗証番号が出ない。スマホの設定画面から、パスワード閲覧を探すが、その時だけ多分…その項目が無かったと思う。僕はappleが何か仕組んだんじゃないかと睨んでる。apple側が冗談のつもりで、僕を焦らせようとしているはずだ。もうバックのクッション部分は、お出しを吸った高野豆腐みたいにジュンジュンなのに。責任転換で心を落ち着かせるスタイルを見出すが、もう時間がない。


乗り遅れる!!

発券と人生が一緒なら、発券出来ない僕の人生は、すでにどん詰まりということか。こうなったら新しい切符を買うほうが楽になれるのか?…と、この状況から逃げ出す方法を考えてしまっている。まるで拷問を受けてる時の思考だ。苦痛から脱出するために、向き合うことをやめようとしている。時間に迫られて、僕は今、現実から逃げ出そうとしています。ストレス値も相当高くなっている時、勝利の女神は人型になって僕の前に現れた。初めて見たが、案内人と腕章をつけた男性が隣の外国人に操作説明をし始めたのだ。こんなことあるのかと驚きながら、今の自分に出来るのは、早く終わってくれと念を送ることだけ。子供の時以来か、しばらくの我慢が出来ずにかまってほしいと人に頼ろうとすること。じれったい、早くこっちを向いてくれ、俺とアイコンタクトしろ、あれ?恋は盲目ってこういうこと?と今なら冷静になってるからこんなことも書ける。ただ当時は、案内人の方に心の順番待ちをすることしか助かる道がなかった。しばらくして、外国人の発券が終わり、こちらに語り掛けてくれた。そして、なんかQRコードで発券できた。意味わからん。またappleのせいか?しつこいぞ。こうなってくると、appleのいやがらせ陰謀論も多少信憑性が高まってくる。


出発まで、あと8分。


もうお弁当は諦めた。これからの長距離移動に水分だけは手に入れたい。急いで、駅のホームにある売店に向かう。ホームの売店では、みんなバタバタだ。時間に迫られた親子が売店にて、セールか!と思うほどの強引さで店頭の商品をカゴに入れている。しかし、何もわかっていない息子がおにぎり一つ選ぶのに時間をかけていたら、レジにいた母親が、息子との距離があるのに「早くこっち来て!早く早く!」と叫んでいる。マラソンのバトンパスか。こっちこっちじゃないんだよ。

僕も自分の飲み物を買うため、列に並ぶ。時間はないものの、ぷらっとこだまを予約している自分は、飲み物の引き換えチケットを持っており、これだけは交換したいと思っていた。しかも、これまでの多数のトラブルを旅に持ち込みたくないため、ビールを買って気晴らしといきますかとなっていた。新幹線とビールなんて、旅を楽しむシチュエーションとして素晴らしい。時間がないと分かっていながらもこういうのは大事だ。順番がやってきて、レジに商品を置くと「このビール、大きいやつでもチケットの対象だよ」と優しく教えてくれた。ねぇ売店のおばさんよ、僕の後ろ見てくださいよ、待ってるお客さんいるのに、また冷蔵庫に戻って商品入れ替えるのは出来ませんって、まず新幹線来ちゃいますからね?と、視界も器も狭くなってる僕には、優しさのボールを受け取れるグローブが無かった。

大丈夫ですぅーと伝え、急かすように会計を促してしまったが、スマホにある引き換えチケットが読み込まない。どこにそんなに水分を隠し持っているのか分からないが、未だに背中に汗をかく。さっきまでの陽気な気持ちを返してくれよ。神様は、越えられない壁は与えないって言うけど、こんな短期スパンで置かずに、長期的な目線で俺を育ててほしいと思う。

新幹線、到着。

乗り遅れる!!


「ここは通信が弱くてねぇ」と気遣う言葉をかけてくれるあばさんに、一瞬でも感謝を忘れたことを反省したが、もう乗車する新幹線はホームに到着してしまった。到着したことを確認したことで、緊張感は最高潮になる。あの電車に乗るから、もう引き換えチケット使わず、クレジットカードで全部買うことを伝え、一刻も早くこの場を離れようとする。しかし、おばさんの親切心は折れない。ゆっくりやってみたら?もう一度やったら出来るんじゃない?と語り掛けてくれる。このやりとりを後から考えると、レジの入力を引き換えチケットで購入したと入力してしまったため、おばさんもチケットを出してもらわないと、こっちも困るという状況だったんじゃないかなと思う。そこから、全部払いますとやってみたら?の応酬を数回行う。新幹線はもうそこに来ているのに、何も状況が良くなっていない環境に不安感が増していく。後ろのお客さんにも申し訳ない気持ちが追加攻撃で、HPを削ってくる。まだ痛めつけるのかと今日の悪運を再度憎み、appleのいやがらせ陰謀論は確実なものとなった。


新幹線、出発。


新幹線に乗った僕の座席には、売店で買ったビールと他数品が置いてある。数々のトラブルといやがらせ工作をくぐりぬけ、席でほっとしている。背中はぐっちょりと濡れて、戦いの厳しさを物語っているように感じる。売店では、なんとか商品を買うことに成功し、新幹線に駆け込むことが出来た。思えば、退勤時から数十分の出来事だったが、濃度で言ったら天下一品のこってりくらいドロドロで、人生が詰まっていた。出した汗の分、ビールが美味い。

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