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感情について
僕はつくづく愛に溢れた人間だと思う。ただその愛情を注ぐべき対象を持たないから注がないだけだ。
ワイン・ボトルは固くコルクで栓をされているから、周りに綺麗なワイングラスがあっても、ワインを注ぐことができない。きっと中身は、芳醇な香りを放つ上品な赤ワインだろう。ただ、ボトルそのものは黒くて透明度は低いから、その中身は外からだと良く見えない。
どんなグラスでもいいけれど、しかるべきグラスに注ぎたい。そのためにはしかるべきグラスが必要だし、それをやっと見つけたとしても、既に中身が入っているかもしれない。そもそも「おまえみたいな中途半端な年代物なんか嫌だね」と拒否されることだって良くある話だ。そしてさらには、ソムリエナイフだって必要なのである。注ぐためには、まず栓を抜かなきゃいけない。
時々、中の液体の容積が増してボトルが決壊してしまいそうになる。まるでハンドルをどれだけ絞っても蛇口からとめどなく溢れ出てしまうように。
感情の処理に、二十歳前後の頃は随分手間取った記憶が合る。有り余る感情のやり場が無かった。そしてなにより考える時間が合った。今思えば、ワイン・ボトルはよく粉々に砕け、中身をそこら中にぶちまけていたのだと思う。
今は結構頑丈なつくりだし、コルクは固く絞められているような気がする。ちょっと面白くないね。
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