水槽のロブスター
僕にとっての教訓そのものである映画『ギルバート・グレイプ』を見返した。その教訓、いやテーマを象徴した「水槽のロブスター」というフレーズが僕の心をつかんで離さなくなった。もちろんその要因は、10代の重く苦しい僕自身の思い出を振り起すような本当に個人的なものなのだけれど。
この映画は、重度の自閉症を持つ弟と、歩くことすらままならない極度の肥満症である母親を持つ青年の、どこにも行けない閉鎖的な片田舎暮らしを描いたものだ。外の広さを知らない彼はまさに「水槽のロブスター」であり、作中ではどこにも行けないことを暗喩するこのような描写が随所にちりばめられている。
この映画を見ると、10代の自分をよく思い出して心が締め付けられる。
地元の空気に馴染めない僕はいつも本当の居場所を夢想するありふれた青年だった。両親は仲が悪く、父は古風な考えで僕を手元に置きたがったが母は僕を外にやりたいと考えていた。その割に裕福な家庭でもなく、国立大学に進学するような勤勉さもなく、まさにどん詰まりで家には重い空気が常に漂っていた。
それでも私立大学の最高峰へ入学するとなればだれも文句を言わないだろうと検討を付け、怠惰な僕でも三科目ならば…と負の感情をエネルギーに替えて半ば強引に東京へ飛び出した(地元から大学へ通うという提案は最後まで付きまとったのだけれど)。
では今はそうではないかと言うと、そう言い切れない。家族や人間関係はもちろん、僕は会社という組織の中で、数字やステータス、お金、果てしない欲望に足をからめとられている。水槽の中から世の中のことを分かったつもりになっているだけなのかもしれない。無限の情報にアクセスできるようにはなったが水槽の中からでは本当の人の心に触れることができない。
物語では奔放に旅を続ける少女が主人公の旅立ちの契機になるのだが、現実はそうもいかない。相変わらず僕の生活にはロマンスが無いし、それを見出すだけの気力もない。しかも世の中は鬱屈とした方向に進んでいる。
あ、行きつけの喫茶店に勤めている小松奈々似の店員さんがショートになっていてそれを指摘したら凄く照れ笑いして好きになっちゃいました。なんだ、あるじゃん。ロマンス。
良かったら話しかけてください