死を想うということ
高校の同級生は在学中に亡くなった。重い病を患わっていた。初めて同じクラスになった時にはもう彼の病状はかなり悪かったようで、あまり顔を合わせたことが無かった。
亡くなったのは僕が彼のことを知った翌年のことだ。ちょうど受験期の、周りのことなど考える余裕が全くなかった頃だった。彼とは元々接点がなく、会話を交わした記憶すらない。また、3学年時には彼とはクラスも分かれていたのだが、告別式には出た。出なければ後悔すると感じたからだ。
もう何年も前の事だけど、今こうやって彼の死を唐突に思い出したのは、当時のクラスメイトで構成されたグループラインを人探しのために開いたら、亡くなった彼のアカウントがいまだに残っていたからである。
一言メッセージには「家に帰りたい」という言葉が残されていた。僕はひどく辛い気持ちになった。彼はもうこの世にはいないけれど、彼の言葉と想いは残り続ける。ただ、みんなそれが見えないだけなのだ。
安易だけど、自分は生きているんだと思った。生きている事より、死を想うことの方が、なぜか生々しく、突き刺さるような痛みを伴っている。生きているのに、生きているという実感を得るのは難しいが、死を想うことによって、自分が生きているのだと感じるのは浅ましいことだろうか。
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