歌いたいこと書きたいこと、伝えたいこと

そういえば大学1年生のバンドサークルに出入りしていた頃、膨大な数の作曲を手掛けている先輩にこんなことを言われた。「伝えたいことがない?ならそれを歌えば良いじゃん」。

僕はそんなのクソだと思った。せめて人に聞かせるのならば、死ぬほど苦しんでやっと捻り出したような言葉を伝えるべきだと思っていた。かと言って、実際に僕が歌うことなんてどうしようもないことだったし、それは何かを伝えるためというよりも、消化しきれない想いを細切れの言葉で繋いでは吐き出すための手段でしかなかった。

僕の文章に対する態度もほとんど同じようなものだ。文章を綴ることには色々な目的がある。仕事、つまり誰かのためであったり、特定の誰かのためであったり、純粋に自分のためであったりする。このnoteで、僕はいつだって自分のために書いている。けれど、読んでくれる人が少しでも面白がってくれればいいと思っている。

コンスタントに書き続けていたnoteだけど、最近は熱が冷めたように更新が滞るようになった。それはTwitterでも同じだ。書きたいことがない。書きたいと思えなくなってしまった。起きた出来事、そしてそこから感じたこと、なにもかもが「書きたい」という欲求に行き着くまでに途切れてしまう。

自分を突き動かすものがもはや分からない。けれども、無理して書く必要はないというのが基本的なスタンスとして僕にはある。何か突き動かされたときに書けば良い。だから、義務的に綴ったものにはあまり価値が無く、そこに集まる声も偽物だと思っています。あくまで僕にとっては。

こんなことを書いているうちに、何を伝えたいのかを忘れてしまった。几帳面な僕は冒頭に習い、今度は「伝えたいことが何かわからなくなった」ということを綴っている。

みんなは誰のために、なんのためにnoteを書いているの?

とりあえず僕は、今眺めているこの夕陽の綺麗さを、どう例えようか考えている。

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井出崎・イン・ザ・スープ
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