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思考録【20240709】

僕は弱いということに改めて気がついた。
ここでいう「弱い」とは身体的パワーのことではなく、主に精神的な部分についてのことである。
例えば僕は、自分より優れている人を目にしたとき精神力が衰退する。
センスがある人、美しい人、堂々としている人、芯を持った人。
彼らが僕の目の前に現れる度、僕の心が凄まじいスピードで疲弊するのを感じる。
『才悩人応援歌』で言うところの「得意な事があった事今じゃもう忘れてるのはそれを自分より得意な誰かが居たから」である。

卑屈になって、性格が悪化する。
こんな自分が嫌いだ!と心で叫んでみても、その声はどこかに消えてしまう。自分に自信がないこと、魅力がないこと、能力やセンスがないことがバレるのが怖いのだ。隠すために、隠れるのだ。

そんな時忘れているのは、
「僕は僕である」という意識だ。
無意識に誰かに合わせようとしたり、自分の脳で考えていなかったりする。
その時、僕は僕ではないのだ。誰かにつくられた自分。誰かに逃げた自分。

人間関係は、流れである。
どんな塵人間でも流れさえ上手く掴めれば、人望を集められるし、恋人だってできるだろう。社会で生きていく上で「流れ」というのは必要不可欠な要素だ。

そういえば僕が人間関係で疲れるタイミングはいつも
「自分の嫌だと感じる流れに抵抗できないまま、ただ流されていると気がついた時」だった。それが自分を見失うことや、疲弊に繋がる。

この問題をどうにかする方法として、具体的には二つあると僕は思っている。
一つは、「僕は僕である」という根拠のない意識を継続することだ。
もう一つは、実際に経験値を増やしてしまうということだ。
きっと後者の方がいいのだろうと思う。何故なら確実で、簡単だからだ。経験値を増やす、というのは「武器を増やす」ということだ。

武器は、なんでもいい。
趣味でも、特技でも、個性でも、トークでもなんでもいい。
僕が自分をつまらないと思うのは、僕は独りだと思ってしまうからだ。
武器を持たない独りぼっちの丸腰兵のようだと思ってしまう。

独りが怖いのは当然だ。
だったら独りにならなければいいのだ。

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