再生の焔
農村部に住んでいると“火”は身近である。
消防の観点からは「危険行為!今直ぐやめてください」になるのだが、野焼きや薪ボイラー、囲炉裏に薪ストーブ、神社の行事、、
火が燃えているのが嫌いな人は少ないと思う。
だがそれはとても危険で、場合により命を奪うこともある。
“畏れ”
と同時に、焼かれて灰(炭化、炭素に戻る)になることは“再生”の象徴でもあるからだ。
神の技を人が擬似体験できる。
それが『火を放つ』こと。
木はその年輪が語るように重ねた年月の気候をレコードのようにため込んでいく。
一度火を与えられると、その年月が一気に解放され、柔らかく力強い、太陽の熱にも似たエネルギーとなり身体を貫きながら温めていく。。
日本という国が何百年、数千年と刻んできた“火に寄り添う日常”は“電気”という使用する人に見えない場所の自然を消費破壊するエネルギーにより淘汰されてしまった。
人はやがて元素へと還元されていく。
その「当たり前」を日々の暮らしに刻み込む、
この土地から“再生の焔”を掲げて。