旗を掲げる。
この土地が持つ引力はわかりやすい。
だが“額に入れた絵”じゃ誰もが前を通り過ぎるだけだ。
それは自然豊かな東北や九州、全てが揃う東京や大阪、名勝が知れ渡る土地、、
いわゆる『観光地』が成り立つのは、受け皿と人流を掴んだ場所だからであり、“良い場所”だから豊かになるわけではない。
反面、観光地として知れ渡った土地が、そのアドバンテージにあぐらをかき、アップデートもブラッシュアップも掘り下げも発信もせずに衰退していくのはよくある話だ。
人が引き寄せられるのは力がある土地であり、昔から豊かさの種を繋いできた「人と神仏の融和」が宿る場所だ。
【神子原(みこはら)】
名前負けしない、まごうことなく素晴らしい土地。
広く知られてはおらず、そこで暮らす人々の心も美しい。
だが今、まさに消えそうになっている。
日本全国、少子高齢化は等しく進んでいる。
だが、都市圏からの距離に関わらず(事実神子原は金沢市や富山市からは僅か1時間の距離だ)、山間地、僻地、と行政がレッテルを貼り、道路計画から外れていると人はそこを「もう間に合わない田舎」と決めつける。。
そこに生きる人たちが繋いできた“価値”は、たいした意味はなく、市街地や中核都市へのアクセスのみが正義とされ、人口(税収)の為に不自然な土地を造成分譲し、川をいじり、砂を止め、海岸を、ローカル海産業を破壊していく。
若い(幼い)人口の移動は難しくない。
仕事や子育てやアクセス状況をニンジンとしてぶら下げ、ふるさとの不自由さを強調すれば良い。
だが、人生の大半をその土地で重ねてきた人口を動かすことは出来ない。
それは深く根を張り、生態系の一部となった“土地の心”だからだ。
神を怖れ仏を敬うならば、心を引き剥がす事がいかに罪深く、愚かしいことであるのかを推して識るべきであるが、、
そもそも神を殺して、仏をアパートの孤独死に似せていくような“心を失った”人々の群れが、“心の無い政治”へ流れるのも、ある意味当然なのかもしれかい。
【神宿 -kamiyadori- 】
神宿るこの土地、この家々、人々の心を守りたい。
それは、自分の魂を守ることと等しいと理解した。
#サウナ #READYFOR #クラウドファンディング
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