ひとり残らず
広い世界の真ん中にぽつんとわたしが立っている。
取り囲むようにさまざまな人がぼそぼそと何かを話している。近い人、遠い人、手を繋ぐ人、繋がない人、同じ距離から同じ目線でわたしを見つめる人間など一人もいない。ひとり残らずばらばらだ。
物理的には近い場所に立っていながら目を逸らす人、斜め上から睨みつける人、背中を見つめ続ける人。手の届かない場所にいながら今にも触れてきそうな人。人人人。
見ている角度が違うから彼らの意見はてんでばらばら。優しいんだねと微笑みを向けられたかと思えば他人をそんなに甘やかすなそれは優しさとはいえないと叱られる。
ひとつになろう。なれないよ。
時にわたしはあなたになり
あなたはわたしになるけれど
それは重なり合っている瞬間だけ。
わたしはわたしであなたはあなた。
わたしがわたしであり続けること。
あなたがあなたであり続けること。
それでも共に生きたいと願うこと。
たとえ共に生きられなくともあなたという存在を
ブローチのように胸に留めて生きること。
同じではないということがどうしてこんなにも怒りを悲しみを生むのだろう。
これまでは近い場所で求めていた寄り添ってほしいという願いがSNSによって遥か遠く遠くまで飛ばされるようになってしまった。
わたしは今苦しいの。わかってよ。
近いけど遠い。遠いけど近い。
SNSとの距離感を正確に掴むことは難しい。
幸せな誰かを貶したいわけではない。
胸の奥に穴が空いて今はとっても寒いから
涙を流す場所もないから誰かに聞いてほしい。
小さな小さな幸せを見つけたから道端の花を差し出すように言葉を紡ぐ。見て。花が咲いていたよ。
わたしにとってSNSとはそういう場所。
年が明けた。めでたい。おめでとうが飛び交う街。
めでたくない人もいる。じっと天井を見つめている人もいるのだろう。ひとり残らずみんなばらばら。世界はひとつにはなれない。
伝えたいことはたくさんある。あれもこれも言葉にしてどこかに置いておきたい。紅白の熱狂。昇る朝日の下を一直線にのびる雲。しかしながらあるひとつの悲しい出来事が頭の中を埋め尽くしている。まだ言葉にはできないからただじっとしている。
わたしは今嬉しいのだからあなたも喜びなさいいや喜ぶべきだ。そうやって自分中心に世界を回し喜怒哀楽の一致を強要する人間とは距離を置いてもいい。だってそんなの無理だから。
あなたにはずっと笑っていてほしい。
そんなの無理だから。
笑っても泣いても怒ってもいい。
笑ったり泣いたり怒ったりしながら生きていくあなたを見ていたい。
悲しいことがあれば笑わせてあげたい。
嬉しいことがあれば一緒に喜びたい。
ひとつにならなくてもいい。
ひとり残らずばらばらのまま時々手を繋ごう。