#121【雑記】もうひとりの母の訃報
私には、二人の「母」がいた。正確には、「母」と慕う人・・・。
家を出て、社会人になった頃、車の車検でお世話になった整備工場の経営者兼工場長夫人。父と同じ昭和12年生まれ。
工場を継いだのは私と同級の三男坊。これが現在の社長。私はずっと「若社長」と呼んでいる。もう30年以上、この整備工場にお世話になっている。
今日、車検が上がった車を取りに行くと、いつもは店舗にいない若社長が現われ、「会長」となっていたお母様の訃報を教えてくれた。
「う・・・そ・・・。」
言葉にならなかった。
若社長とは、つい半年程まえ、お母様が「要介護2」の認定を受け、認知症の症状も少しづつ出ていた様子で、週3でディサービスに通い始めた事や、「認知症介護」について、情報交換したりしたばかりだったのに・・・。
「すいません。Ilsaさんには、僕から直接、お伝えしたくて、スタッフには口止めしていたんです。お袋が、いつも、”あの娘は、本当の娘みたいだ”と言って、可愛がっていましたから・・・。葬儀の方は、もう歳でしたから、”家族葬”でと。llsaさんに、ご連絡できなくて・・・申し訳なかったです・・・。」
「うん・・・。わかった。いいよ。大丈夫。じゃ、後日、あらためて、お焼香させて頂いて良い?」
「ええ。もちろん。お袋も喜ぶと思うので・・・。是非、自宅の方へ寄って下さい。」
「うん・・・。ありがと・・・。取りあえず、また直ぐ連絡しますね。」
身体がガタンと、落ちそうになるのを必死で押え、いつもの調子を装い、工場を後にした。
実家の母と折り合いが悪く、喧嘩して家を出て来た様な私を、よく気にかけてくれた。
仕事で嫌な事があった時、プライベートで嫌な事があった時、別に用事はないのに、ふらりと工場の事務所を訪ねると、いつも、笑顔でお茶を入れてくれて、お茶菓子を沢山出してくれて、たわいのないお喋りに花を咲かせた。
それはみんな、「母に話したいこと」ばかりだった・・・。
だから、いつしか、”お母さん🩷”と、呼んでいた。
”お母さん”にも、娘がいなかったから、丁度良かったのかも知れない。
本当の母親には話せなかった秘密も、ボロボロに傷ついた心も、何でも受け止めて、そして、いつも、こう言ってくれた。
ハチャメチャだった若い頃に、こう言ってくれた人は、忘れられない。
経営者夫人としての、寸分迷いのない采配も最強だった。工場のスタッフ達全員の”良きお母さん”だった人・・・。
壊れた車の隅々まで、見事に修理するように、傷ついた人の心を隅々まで、よく看て治せる人だった。
いつか、自分が経営者になったら、こんな采配を振るってみたいと思った。
そして、私が法人を開設した時、一番、喜んでくれたのも、”お母さん”だった。今度会う時には、会社を閉める旨、報告しようと思っていた。
”お母さん”なら、「今まで、よく頑張ったよ~。いいと思うよw」
きっと、そう言ってくれる・・・。
そうすれば、あきらめがつく・・・。
だが、報告する前に、逝ってしまった・・・。
おかあさん・・・、
これから、私は誰に、私の人生の報告をすればいいの?
本当の母親よりも、”母”だった人が逝ってしまった・・・。
今夜の涙は尽きそうにない ―――。