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甲冑好きが戦国BASARAの「真田幸村」の甲冑を分析、考察してみた
今回はタイトル通り、真田幸村の甲冑を分析してみます。
ちなみに本名は「真田信繁」です!
前々回解説したあつ森の「かっちゅう」の分析、考察はこちらから
改めて甲冑とは
頭に被る「兜」と体を守る「鎧」の2つの総称。
時代の戦闘方式の変化と共にその姿を変え、古墳~奈良時代には「短甲」と「挂甲」、平安時代には「大鎧」、南北朝・室町時代は「胴丸」「腹巻」、安土桃山時代には「当世具足」が主に用いられた。
では今回も個人の見解でやっていきます!
(使用しているイラストは私がざっくりトレースしたもので、綺麗に表示されない事もあると思いますがご了承ください。後諸々甲冑に関する書籍を読んで勉強していますが、もし情報に誤り等がありましたらコメント欄にご指摘のほうよろしくお願いします、フォローしに参ります←)
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初めに目に付く特徴的な篭手は、両手が背中で繋がっている構造上、「指貫篭手」ではないかと考えます。
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・指貫篭手とは左右両手部分が繋がっている篭手。安土桃山時代から発生した当世具足と同じ時期に現れた。
そのまま視線を腰に変えて、草摺は素懸縅であるように見えます
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・素懸縅とは、2本1組の縅毛を上から下に菱形上に縅すやり方、主に板札に用いる。
縅毛同士に大きな隙間ができ、毛引縅より簡単に製作出来るようになった。
安土桃山時代から発生したと考えられる。
すね当ては、前回の伊達政宗と同じく「筒臑当」である可能性があります。
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・筒臑当とは、平安時代から存在しておりそこから戦国時代まで改良されてきた。
今回のは上下を結ぶ「上下結」だと思われる。
今回分析、考察して分かったことは、主に安土桃山時代に発生した篭手、草摺等で構成されているなと感じました。
真田幸村(真田信繁)が主に活躍した時代が、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてなので、それに合わせたデザインなのだと考えました。
次回は刀剣乱舞で考察してみたいのですが…まだ極の刀剣男士がいないのでその前の見た目での考察になるかも(汗
またぼちぼち気長に待っててください🙇♀️