KK ANALYSIS - 0001 UNIFORMITY
ABSTRACT
KIKO KOSTADINOVといえば、ワークウェアやランニングシューズを連想する方が多いだろう。デビューを果たして以来、KIKO KOSTADINOVの衣服はたびたび「ワーク」や「機能性utility」といった概念になぞらえて認知されてきた。黎明期の工業的なデザインや、asicsなどとのコラボレーションによって定着したイメージだろうか。しかし、いざコレクションを見返してみると、作業着を参照した表現は年々減ってきていることに気付かされる。代わりに、表現の抽象度が一層高まり、言語化が難しいデザインが増えている。どうやら、ワークを参照したディティールはけっしてKIKO KOSTADINOVの本質ではないようだ。では、KIKO KOSTADINOVの衣服に共通する普遍的な哲学とは一体どのような要素に表象するのだろうか?本稿では、この問いに迫る。
KIKO KOSTADINOVの背景や発展の歴史に関する記事は多いが、ブランドの哲学philosophyについて体系的に考察する文章は少ない。そこで、本稿では「制服性 Uniformity」というキーワードを取り上げ、KIKO KOSTADINOVの哲学を理解するための足がかりを模索する。
(以下、ブランド名は「KIKO KOSTADINOV」として、デザイナー本人は「キコ」と表記する)
UNIFORMITY: 制服性
哲学者の鷲田清一によれば、制服は社会の中で個人に確定したイメージを与える。というのも、制服には一義的な社会的意味と行動の規範が明示されているからに他ならない。たとえば、サラリーマンの背広や作業員の空調服などはどれも特定の規律・社会への従順さを表す制服の一例だ。要は、「制服」は個人を「属性」に還元する。そして、特定の集団ないし職種に個人を還元する衣服が「制服」であるとすれば、おそらく制服ではない衣服を探す方が難しくなる。もはやUNIQLOや古着を用いたスタイリングだって、個人を「綺麗め系」や「グランジ系」といった具合の「属性」に還元するという点では、一種の「制服」として成立してしまう。このようにして、あらゆる衣服が制服化した社会では、衣服を着るという行為は主体的な自己表現よりも、あらかじめ規定されたパターンに沿って自分を社会に挿入するための手段として機能すると考える。
時にして個人を抹消して「属性」に変換してしまうという「制服」の強力な作用について理解したところで、KIKO KOSTADINOVについて考えてみる。これまでの議論をふまえて私見を述べると、キコがつくる衣服の最大の魅力は「制服」からの解放をもたらすという点にあると考える。というのも、彼がつくる衣服は一見「シャツ」や「ジャケット」として認識することができても、手にとってよく観察してみるとどのジャンルにも該当しないことに気付かされるケースが多い。一見無骨なワークジャケットかと思いきや、生地が上質でエレガントなウールで、ディティールに関してはミリタリーの要素も併せ持ち、でも色味はポップで可愛らしく...というような具合に、ひとつの衣服だけで「ワーク」「エレガンス」「ミリタリー」「ポップさ」の全てを感じ取ることだってある。「ワーク」という単語だけでは彼の作る衣服を説明し切ることは不可能に近い。要は、彼の仕事は”classless”であり、特定の「時代」や「属性」と結びつけて一義的に解釈することができない。
それでもなお、彼の衣服にはたしかに、一貫したまとまりがある。というのも、実際にキコが手がけた衣服に袖を通すと、それが彼の仕事であると直感的に分かることが多い。「KIKO KOSTADINOV風」な雰囲気を帯びたテックやワークをテーマにしたブランドはそれなりにあるが、それでもKIKO KOSTADINOVの衣服は一目でそれとわかる。そうさせるのは、彼の作品に貫徹する「曖昧さ」に他ならない。彼の衣服はノスタルジックな雰囲気を持ちつつも、参照元が特定できない「新しくてよくわからない」ものである。その理由は、キコによれば、彼が衣服をつくる際にあらゆる年代の文化を参照しつつも、それらを意図的に元の文脈から完全に切り離す形でデザインに落とし込んでいるためだと言う。かくして、Kikoは「ワーク」といった属性に類型化されることを避けつつモードの世界で確固たる立場を確立してきた。
総括
これまでの話を整理する。KIKO KOSTADINOVの作品は、衣服に宿る「制服性uniformity」を克服しているという点に真骨頂がある。引用元を明示せず、貫徹した曖昧さを宿した衣服は「個人を属性に還元する」という制服の作用を無効化する。故に、彼の作品を「ワークウェア」と断言することはできない。それが面白さの一因だ。
とは言っても、歴史を振り返ると「制服性」を克服しようとする試みはこれまでも見られてきた。たとえば、フランスの旧制度階級社会では、貴族の衣服には仕立てや裏地、襟、飾り紐といった細部にまで厳格な規定があった。こういった構造に対抗するために市民階級はドレスダウンを志向し、単色・無彩色の地味な衣服、つまり現代における「背広」の原型を身につけたという。その背広が、現代ではオフィスワーカーの代表的な制服になってしまったのは実に皮肉だが。
・・・
今後、自分で書き溜めてきたメモや集めてきた資料を少しずつ添削してnote上で公開していけたらなと思っています。
モチベーションに繋がるので、感想や指摘などお気軽にどうぞ!