見出し画像

『少年批評宣言』(2023)②

 少年とは何か。渋滞の元となるような羅針盤には頼らず、熱にうかされて舵を取るものである。個人的な嵐も、誰かのバイオリズムに乗って思い過ごす者である。時には仲間の力を借りつつも、心の赴くままに、「この海で一番自由な奴」を目指して旅を続けるものこそが少年である。
 大人とは何か。大人も以前は少年であった。ある失格した人間の「大人とは、裏切られた青年の姿である」という発言は的を得ている。このバラバラな道化自身、本当は青年として見て欲しかったのだろうか。ある大人たちは、自由の名のもとに海賊行為を繰り返す。誰かの大切なものを奪い、盗み、傷つける。また、ある大人たちは、正義の名のもと、治安維持のため奔走する。時として、その正義もまた、誰かの大切なものを奪い、傷つけているとは知らずに。
 少年もまた、誰かのものを盗むことがある。そもそも、少年が最初に能力を得たのは、偉大な大人たちが苦労して運んできたものを偶然盗み貪ったためである。そして、少年もまた正義を掲げて拳をふるい他を傷つける。
 少年は矛盾している。「人は死ぬぞ」と冷静に振る舞いながら、本当に大切な存在を目の前で失ったとき、誰よりも混乱し慟哭をあげた。少年は自分の弱さを実感すると同時に、自分を見失い、仲間に手を上げた。
 しかし少年は旅を続けた。生きている大切な仲間たちのために。少年は失ったものから目を背けたのか。否、少年の背後には常に失ったものの炎が燃えていた。ニ年後、少年は再び泡沫の町から、仲間たちと共に旅を始めていてる。
 少年批評とはなにか。少年批評は、少年が友情・努力・勝利の名の元に大人を批評することである。少年は一人では生きていけない。時には周囲の少年や大人たちとの友情を頼りにしなければならない。少年は無力である。常に夢のためになんらかの努力を続けている。少年は敗北する。しかし、そのたびに何度も蘇り、勝利を試みる。
 少年の批評は、しばしば論理的にジャンプしている。ただ、そんなことは関係ない。
   
   批評は面白ければいいんだ

少年に心内描写はいらない。ただ、がむしゃらに仲間のために拳をふるうだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?