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<戦後レジーム> を撃つ 第1巻: 「近代思想と保守の死」編 ( 期間限定 公開ビデオ ① ② )…(8月20日まで公開)
こちらの note👇は続きで、公開ビデオは ③ 本目になります。
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<戦後レジーム>を撃つ
ビデオ① https://in.newhistory.jp/tase1_2108_gene?cap=HS1
ビデオ② https://in.newhistory.jp/tase1_2108_gene_vsl?cap=HS4
差出人: 田中英道
件名: 【新講座】田中英道が「20世紀」を問う
日付: 2021年8月12日
「ようやく戦後日本の正体が分かりました…」
東北大学 名誉教授であり、
ボローニャ大学・ローマ大学でも
客員教授を務められる田中英道先生から...
ついに、これまでの研究人生における
集大成とも呼べる超大作が発表されました。
その名も...
田中英道×岡島実の新講座シリーズ
<戦後レジーム>を撃つ
第1巻:
「近代思想と保守の死」編 です。
講座の詳細はこちらをクリックして
ご確認ください...
↓
新シリーズの詳細はこちら
<戦後レジーム>を撃つ
https://in.newhistory.jp/tase1_2108_gene?cap=HS1
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今回の講座では、
三島由紀夫と
2人の近代保守の死について
その真相に迫ります。
戦後の「近代」日本は、
まさに激動の時代。
高度成長期に、学生闘争や安保闘争…
戦後日本の象徴となった出来事はなぜ起きたのか?
20世紀とは一体、何の時代だったのか?
1960年代以降を生きた
全ての日本人の方に見ていただきたい、
そんな講座が完成しました。
その詳細はこちらをクリックして
ご確認ください...
↓
新シリーズの詳細はこちら
<戦後レジーム>を撃つ
https://in.newhistory.jp/tase1_2108_gene?cap=HS1
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(8月13日)
なぜ三島由紀夫は「自決」したのか?
「天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!」
1970年11月25日。
その日、近代保守の文豪・三島由紀夫が自決した。
カリスマ・三島由紀夫は
なぜ死ななければならなかったのか?
なぜあのような死に方を選んだのか?
あれから50年が経過した今も、
彼の「死」の真意は闇に包まれたままだが…
東北大学名誉教授・田中先生はこう語る。
「三島はただ自決したのではない。
彼を死に追い込んだ黒幕がいる…」
三島由紀夫を死に追いやったモノの正体とは…
↓
>三島由紀夫…死の真相に迫る
平成に入り、
三島と同じ運命を辿る2人の近代保守が現れた。
江藤淳(えとうじゅん)
西部邁(にしべすすむ)
戦後の保守思想を代表する知識人たちである。
しかし、「左翼的思想」に正面から
向かった彼らが最終的に選んだのは、
三島と同じ、
「自決」だった。
戦後から平成にかけての「近代化」の時代の中で、
彼らは生きることを拒んだのである。
なぜ、近代を代表する保守の3人が
同じように「自死」を、
選んでしまったのだろうか?
近代保守3人は一体何と戦ったのか?
その戦いの末に導き出した
「死の意味」とは何だったのか…?
戦後76年間、
誰も明らかにできなかった「謎」の答えが、
今、ようやく明らかになろうとしている…
↓
>詳細はこちらから
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(8月14日)
【告白】安保闘争を扇動した黒幕
先日、初公開したこちらの新動画は
既にご覧いただけましたか?
まだの方はこちらからどうぞ
↓↓
>新しい動画を観る
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※これは田中英道氏の実話です…
From 田中英道
「国会議事堂に乗り込む!」
1960年6月15日の朝。
その日、東大自治会委員長、
西部氏の演説を皮切りに、
「安保闘争」は始まりました。
何を隠そう、
私もその場にいた当事者の1人です。
西部氏の演説が終わり、
彼の指示に従って私たちは
国会に向かいました。
そうして、全学連の学生たちは、
木造の門を壊して内部に入ったのです。
当然、私も一緒に構内に入り、
国会を占拠するつもりでした。
しかし、実際は、
構内に入って警官隊と激しく衝突するだけ…
最後に残ったのは、
学生・警官双方のけが人数百名と
東大生、樺美智子(かんばみちこ)さんの死だけでした。
私は、その時にようやく気づいたのです。
この安保闘争、学生運動には
「何の意味もなかった」と。
議会を占拠し、政府を変える、
などと言う「革命思想」は
具体的には何もなかったのです。
となれば、この活動は
ただ騒乱を起こすだけの暴力行為に
他ならなかったことになります。
それでは、
なぜ、インテリたちが
こんな暴挙に出てしまったのでしょうか?
安保だけではありません。
1969年の東大安田講堂攻防戦も、
1970年のよど号ハイジャック事件も、
1972年のあさま山荘事件も…
私たち団塊の世代が生きた1960年代は
まさに反抗・反逆の時代でした。
「あの時代」に反抗することで、
何かを追い求めたのです。
しかし、その一方で、
当時を生きた多くの日本人が、
「私たちは一体何に反抗していたのだろうか…?」
「何に向かって叫び、何のために、
暴力をかざしたのだろうか…?」と、
未だにその明確な答えも、
追い求めたものの正体も見つけられぬまま、
歳を重ねてしまっています。
高度経済成長期の真っ只中、
経済的にも豊かになりゆく国で、
どんな「巨大な敵」に私たちは
立ち向かっていたというのでしょうか?
私は、その後50年以上もの間、
研究を続けてきた中で…
ようやくその「違和感の正体」を
見つけることができました。
実は、戦後、
このような暴動が起こるように、
日本国民を扇動した黒幕の正体があったのです…
それは、、、
↓
>日本国民を苦しめた黒幕の正体を知る
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ビデオ② <戦後レジーム>を撃つ
差出人: 田中英道
件名: [New!]マッカーサーを操った"秘密結社"
日付: 2021年8月15日
【新しいビデオを初公開!!】
終戦から76年を迎えた
今日、8月15日…
日本の戦後史が始まったちょうどこの日に、
歴史の通説を塗り替える
衝撃の事実を暴露します…
↓
>新しい動画② を今すぐ観る
② <戦後レジーム>を撃つ
もしあなたが、
「戦後日本の占領政策は、
マッカーサー率いるGHQによって実施された」と
考えているのなら…
このビデオは衝撃的なものになるでしょう。
なぜなら、
「占領政策において、マッカーサーは
ただの手駒として操られただけ」であり…
戦後日本を支配した
本当の黒幕が“他”にいたことを
暴露してしまうからです…
↓
>新ビデオ② を今すぐ観る
② <戦後レジーム>を撃つ
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(8月16日)
日本の戦後史を変えた1束の極秘文書
昨日、初公開されたばかりの
こちらの動画はすでにご覧になりましたか?
今すぐこちらをクリックしてご覧いただけます
↓
>新しいビデオ② を今すぐ観る
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「この文書が解禁された日から、
日本の戦後史ががらっと変わってしまったのである…」
by田中英道
終戦から50年が経過した日。
米国国立公文書館から
1束の極秘文書が発掘された。
それは、これまでのモノと
比較しても明らかに異質…
左翼的な学者のほとんどが
文書に触れようとせず…
さらに、占領時代の研究をしている
保守学者でさえもあまり触れたがらないのである。
何か知られてはマズイ、
不都合な事実が書かれていたのだろうか…?
一体、それほどまでに
腫れ物にされてしまう内容とは何なのか…
今から、日本の戦後史を変えた
1束の機密文書の秘密を解き明かしていこう…
↓
>クリックして続きを観る
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差出人: 田中英道
件名: Q. なぜ皇居は爆撃されなかったのか?
日付: 2021年8月17日
76年以上前…
マッカーサーを操った黒幕の正体…
そして、時代を超え、
現代に生きる日本人の思想すらも
操り続ける犯人がいました…
↓
>続きはこちらから
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日本の「近代史」の中には、
いまだ未解決の謎が多く残っているのを
ご存知でしょうか?
実際、日米大戦について、
私たち日本人があまり言及しない謎があります。
それが、
「なぜ、天皇のいる皇居は爆撃されなかったのか」
ということです。
よくよく考えてみれば、
「確かにそうだ」と思いませんか?
実際、
「日本国民にとって、『天皇の死』は
原爆よりも日本を敗北させる効果的な方法であった」
というのは、当時の米国も認識をしていました。
それにも関わらず、
なぜか皇居や国会議事堂などは
一切爆撃されることはなかったのです…
これは一体なぜでしょうか?
実は、この謎を紐解く
1枚の極秘文書「通称:OSS文書」が
戦後50年が経過し、見つかりました。
それによると、
1942年4月時点で米国務省から、
皇居「爆撃回避」の指令が
出されていたというのです。
さらに、この文書によって明らかになった
衝撃の事実はこれだけではありません。
なんと、、
1945年中に、もしポツダム宣言が受諾されなければ
米軍のパラシュート部隊が皇居に降下する
作戦が計画されていたというのです。
しかし、その目的は、
決して「天皇を襲う」ことではなく…
あくまで皇居に降り立ち、
天皇に無条件降伏を訴えることだけが目的でした。
結局、ポツダム宣言が受諾され、
この作戦が実行されることはありませんでしたが、
決して、天皇のお命だけは危険に晒してはいけない
という方針が1942年の時点でとられていたのです…
占領期ではなく、大戦真っ只中で、
すでに天皇陛下を生かす方針が
決まっていたのは驚きですが、、
なぜ米国は天皇陛下を
生かすということにこだわったのでしょうか?
↓
>天皇陛下が生かされたワケを知る
実際、東京裁判でも
なぜか天皇が裁かれることはありませんでした。
本来、敗戦国のトップが
処刑されるのは当たり前にも関わらずです。
事実、アメリカを除く連合国は一様に
「天皇を処刑すべきだ」という意見をあげていました。
それでも、
東京裁判において天皇は
一度も法廷に呼び出されることもなく、
一切責任が追求されることもなかったのです。
なぜ、これほどまでに米国は
「天皇を生かす」ということを重要視していたのか…
皇居が爆撃されなかったことも、
東京裁判で天皇が裁かれなかったことも、
偶然の一致とは言い難いでしょう…
実は、当時、
天皇をどうしても殺したくないと考えていた
日本人以外の勢力がいたのです。
それは、もちろん善意からではなく…
天皇を生かし、利用することで、
日本の内部をボロボロにしようという
悪意からでした…
↓
>今すぐ続きを観てみる
PS.
実は、憲法1条に
「天皇陛下を象徴とする」と書かれたのにも
この勢力の謀略が絡んでいます…
一体、日本に何をしようとしたのでしょうか?
↓
>続きはこちらから
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明日のメルマガに つづく・・・✍️🐧💦