人生は気の表現
最近読んでいる西野流呼吸法(いや、ほんとどの本を読んでもおもしろいー(*^▽^*)たいてい30年くらい前のものだけど、まだまだ新鮮にも感じる内容!)の西野さんは元ダンサーなので宝塚の先生でもあったわけなんですが、こないだ録画しておいた星組さんの映像を観つつ笑 (たまにNHKあたりで流しているんですよね^。^) …
やーほんと、人の人生って、気の表現なんだな~ という感想。
すべては気に帰する、という感じ。!(^^)!
大元といわれる大本のエネルギーは同じでも、人間とか動力物とかそれぞれの個体に受け手としての、そこからの表現としての個性があるってことなんですねぇ。ダンサーさんたちの魅力それぞれ違いますよね~舞台ほどわかりやすくなくても日常生活の人間もみなそれぞれそうだ。
よく人生はその人の想像力の表現だなぁと思っていたのですが、想像力も気力から生じ、気力次第でいくらでも変化するもの。
”いま生きていることが唯一の真実” とはいい言葉。
”しあわせ” を観念や言語でとらえようとしても苦しさがある感じがあるけど、身体感覚があれば、まさにそれよ!ですむ話ですもんねぇ(*^▽^*)
解剖すると、ツボとかチャクラっていうところにはなにも物体はないこともあって、玉石混交なので、怪しいもの、ってことになっているんだと思うけれど、これがもっと認知が上がれば逆にごまかしとかよろしくないものは廃れるだろうから、あたりまえに活用しやすくなると思うなぁ。
かつ、気を意識しなくても人間は努力だけでかなりの程度のところまではいけることもあって、いわゆる呼吸法とか気功は趣味のレベル、ということもあるかもしれない。
昔読んだ桐島洋子さんの本(『私の神さがし』)に、気功師が手を当てた瞬間、自分の体をエネルギーがシューッと駆け巡って…ということが書いてあったんですが、いわゆる気功の世界でいう小周天っていうやつかな、と思うんですが、-そこはさすが人並外れたバイタリティの桐島洋子さん、初回で実感したみたいです。
だいたい最初は、たとえ気を受けたとしても実感しない人が多いけれど、いろんな情報を総合すると、意識して呼吸法や気功の型?(あまり詳しくない)などを数か月~続けていると受け手としての感性も磨かれるみたいですねぇ。
ということは、このおこもり期、自分なりに続けてみるいい機会と思います。感染症さわぎが終わったころ、自分の感性も磨かれていて、いい気との出会いもあるかもしれないな、というたのしみに(^O^)/。
私もかれこれチベット体操は10日くらい、足芯呼吸や気をためるイメージは5日くらい?続いていまーす。はっきりわかりやすく実感する効果は、数年続いていた腰痛がないことです(*^^)v
(チベット体操をはじめてほかのエクササイズにも興味を持ち、西野流呼吸法の本を読んで、気をためて(イメージ)その手を腰にかざすのと姿勢と呼吸を気をつけているのとで腰痛がなくなってると思います、なにごともまずは充分自分でできることがあるなぁ)