「料理は好きだけど食べてくれる人がいない女の話」#ツイッター小説

 女はいつものスーパーで食材を買っていた。豚肉の厚切りロース肉、キャベツ、卵、パン粉・・・きっととんかつの材料だろうと推測できた。金曜の夜6時半、仕事を終えて自宅のある駅に着きそこから夕飯の買い物をする。今日は特に土日の分も含めて多めに買う。
 すれ違う客の中には夫が買い物を手伝っている姿を見ることもある。そう働く主婦の日常はそんなものだ、ごく普通にいる共働きの夫婦の週末。
ただ違うのは女はもう主婦ではないということ、つまり女の買い物は家族のためのものではなかった。家で帰りを待っててくれる家族はいないのだ。女がこれから帰宅して家で作る料理を待っててくれる人はいないのだ。 

 3年前、前の夫は他の女性がいるからと出て行った。相手の女性に子供ができて、自分の子供を育てたいからと別れを切り出された。あっけなかった。自分たち夫婦には子供はいなかったけど、上手くいってると思ってた。というより結婚するときに、仕事とお互いのやりたいことを優先するから子供は無理に作らなくてもいいと認識を一致させたはずだった。男性はなぜ結婚前に言ったことを平気で変えることができるのだろう。結婚前の約束は平気で破られる。きっとそれが恋愛と結婚の違いという現実なのだろう。「男性は」などと言ってしまったがきっとそれは女性も同じなんだと思ってる。女性だって結婚前には、毎朝あなたのために早起きしてしっかり朝食を作る。などと夢物語をたくさん語るものだ。絶対夫より先に起きて化粧して綺麗にする。などと立派な目標を立てる女性もたくさんいるだろう。その目標がすこしずつ薄れていくことを良しとする夫婦もいれば、お互いに約束が違うと不満を募らせる夫婦もいることだろう。ただ前夫がしたことはそんな可愛いものではなかった。本格的に浮気をして不倫をして子供まで作ってしまった。浮気と不倫の違いが何かよくわからないが、彼の場合は軽い出来心とかではなく「本気」だった。だから一番つらいのだ。自分は愛されてなかった。少なくともいつからか彼の気持ちは離れていたのに、それにまったく気がつかなかった自分のマヌケさが一番情けなかった。あの日彼から切り出されたときに上手く怒れなかったし泣けなかった。彼に対しての怒りとかはほぼ湧かなかった。女の嫌な部分かもしれないけど相手の女性がどんな人なのか自分より綺麗なのか、何が勝ってるのか、きっと最低な女で彼は騙されているんだ。私より彼を理解してる人なんていないはずだから。そんなことばかりを考えていた。後からわかることだが、それは女の間違った願望で女よりずっと彼を大切にしている人だった。

 あの日は日曜で午後にその話をされて、日付が変わらないくらいまでずっと話しを聞いた。いくらかは問い詰めたけどもうほぼ無理なんだなってわかって話を終わりにして疲れ切って寝て、次の日は早めに出社した。仕事してるほうが気が紛れてほんと仕事があってよかったとつくづく実感した日でもあった。何も仕事をしてない専業主婦ならあんな気分のまま次の日自分は何をしていただろう。どうやって気分を紛らわすことができただろう。家で一人で、あるいは前夫と二人きりで向き合ってどうにもならない議論をずっと繰り返したのだろうか。絶対に自分に気持ちが向かない彼と一方的に向き合う。渇望しか感じなかったのではないか。今思えば、自分のそんなとこも可愛くなかったんだと思う。二人の未来がどうなるかという大事な局面でも、家で寝込むわけでも、彼にすがりつくわけでもなくしっかりといつも通りに仕事に向かうことができてしまう女ということだ。仕方ないじゃない、生きるとはそういうこと。お金を得ないと生きれないのだから働かないといけない。現代人すべての共通原理だと理解してくれる人も多いことだろう。でもなぜかそういう時に気が動転して落ち込んで会社を休む、泣き崩れて何も手につかない、そういう女性が女らしい愛らしいなどと評価されてしまう昭和の名残もまだ残っている。もちろんそんなの時代錯誤で女性がか弱いものだというのはまったくの妄想だし男性女性とかジェンダーなんてくだらない区別だというのが最近の考えだろう。人は人それぞれの個性で生きるというのが最近の理想だからだ。ただ自分の場合の可愛くないというのは、あまりにも自分のことを優先的に考えてきたから、それを実行してきたから、そんな時に仕事に向かうという動作もやはり自分優先という雰囲気を与えていただろうなと今から考えればわかるのだ。そして今から考えても間違いないのは、あの日に仕事に向かわず彼としっかり向き合うという選択をしたとしても無駄だったということだ。もう何もかも手遅れだった。
 男性はよく過去の恋愛を忘れられないとか、いつまでもくよくよ未練がましいとか言われる、私もそうだと思う。職場の男性たちを見ていても恋愛だけでなくても出世競争に敗れたことや、自分の提案が受け入れられなかったという憎しみや恨みは男性のほうが根が深い。ただそれと同時に一度人を嫌いになると、それがたとえ恋愛関係にあった人だったとしても、一度嫌いになると二度と振り向かないという振り切り方は女性の比ではないと確信している。男性が人を嫌いになるときはほぼ軽蔑と同じ感情なのだ。

自分はきっと軽蔑されていた。
 前夫から別れを切り出される少し前まで、私は勤めている会社の従業員育成プログラムでフランスのパリに駐在していた。海外にある取引先企業で8か月の期間限定で海外で働くことができるという従業員のモチベーションアップやスキルアップを図るという会社の福利厚生のようなプロジェクトだった。今も働いてる会社に勤めて数年が経過していたし、憧れていた海外勤務ができるということで、その募集が公開されてすぐに自ら応募した。社内で何回か面接が行われて、行きたい理由や果たせるであろう成果などを書類で提出して、最終面接ではプレゼンもしてやっと勝ち取った選考だった。いくつかの候補地があって、ドイツやスペイン、南米のアルゼンチンもあったが、どうせなら一番好きな街パリを希望した。パリは既に数回は旅行で訪れていたが、毎回行くたびに将来は長い期間パリで暮らしてみたいな、老後にパリで余生を送るのもありだなと考えるほど大好きな街だった。
 日本人はパリを訪れて一気に嫌いになる人も多く”パリシンドローム”、パリ症候群という言葉もあるらしいが、私はずっと大好きな街のままだった。日本人の多くは綺麗な建物や芸術的なスイーツに憧れが強く、期待たっぷりでパリを訪れるのだが、街には衛生的にどうかと思うほどゴミやタバコの吸い殻が散乱している地域もあるので、衛生大国の日本で育った日本人は期待とのギャップに幻滅してショックが大きくなるのだ。
 そもそもパリジャンを見て一番驚くのは、食品の買い物をするときの衛生サービスが日本とはまったく違うということだ。パン屋でフランスパンを購入した後、パリの人たちはパンを何にも包まずに手でそのまま持って車に乗り込み、しかも車のダッシュボードにそのままパンを置いて車を走りだしたりするのだ。パンは少なくとも包装紙で包んでもらって、紙袋やプラスチックの袋に入れてもらって丁寧に扱うというのが当たり前だと思っている日本人からすると確かにほんと驚く光景でショックを受けるのも理解できる。
 私もそういうことに何度も驚いたが、パリの素晴らしさはそんなことを跳ねのけるほどにどこから景色を見ても、どこから写真を撮ってももはやそれは世界遺産並みに美しい建物と街にある。詳細はうる覚えだけど、ナポレオンの甥っ子にあたるナポレオン三世が凱旋門を中心として星型状に大きな道路を作り、その道幅と建物の高さも日影ができないように計算して設計されたと何かの番組で観たことがある。
 他にもパリジャンの自由さとおしゃれを愛する人間性に見惚れてしまうということもある。カルチェラタンという古い大学が集中している地域では、セーヌ川のほとりに学生たちが集まり、何時間もコーヒーを片手に哲学や法律などについて議論を戦わせていたりする。哲学の話だけでなく、お洒落な洋服の着こなしをして恋愛話に夢中になっている学生も沢山いて、そんなパリの学生たちの青春の一コマも決して綺麗な水質とは言えないセーヌ川のほとりの景色にアクセントを加えているように見える。日本を窮屈な雰囲気だと感じてしまう私には、その自由さといつまでもおしゃべりを続けられるほどパリの人間の学問と芸術を愛する眼差しに、これが幸福論だと感じてしまうのだ。

 実はパリ行きのことを私は前夫に相談していなかった。応募する前も、最終選考に進むときも相談していなかった。選考を勝ち取り、ついに3か月後にパリに引っ越しをすると決まった時に初めて報告した。別に彼が反対するだろうから黙ってたわけではない。単にタイミングを逃したというか、実際に選ばれるかもわからなかったので、決まったら言えばいいやという感じだった。彼が私が選んだ決断に反対することは今までもなかったし、彼が長期の出張で1か月とか家を空けることもあったのでそれとほとんど何も変わらないと思っていた。出張にしては少し長い8か月、そのくらいの感覚でいた。だから初めて彼に報告したときの彼の表情に少し違和感を覚えたこともあった。今から思えば、あれがすべてのはじまりだったんだと思う。
怒りというよりは、少し諦めたような呆れた感じで、

 ”いくら何でも事後報告にしては期間の長い出張じゃないか・・・”


 自分が何を返答したかはあまりよく覚えていない。恐らく私のことだから、

 「え?・・なにかまずかった? ごめん、そんな大きな問題だとは思ってなくて」

こんな風に言った気がする。一応は謝ったけど、申し訳なさより彼の落胆したような表情に逆にこっちが驚いたというのが正直な気持だったような記憶がある。別に喧嘩になったり言い争いになったわけでなく、彼が少しだけ考えさせてくれというので数日待った後、

 ”君がほんとにやりたいことを止めるわけにもいかないし、応援することに決めたよ。しっかり楽しんできて” 

といつも通りに背中を押してくれた。想定通りだった。反対なんてするわけない。今までもそうだったんだから問題になるわけがない。ただいつもより少し長い期間離れて暮らすことになるだけ。これは逆に私たち夫婦の未来に向けてきっと強固な絆へとつながるトリガーになるはずだ。あまりにもお粗末な甘い考え方。あまりにもおめでたい自分勝手な解釈。やはり確信している。あれがすべてのはじまり、”終わりのはじまり”だった。


 パリでの駐在期間がそろそろ終わる8か月目を迎えるころに世界的なパンデミックが発生した。最初は大したことないと思っていたのだがどんどん情勢が厳しくなり日本へ帰国するのが難しくなる宣言も出された。まったく帰国できないわけではなかったが、帰国してからも2週間は空港近くのホテルで隔離されるというルールだったので、会社自体も世間的な批判も恐れて様子見をすることに決めた。私自身は半分は日本に帰国したいという軽いホームシックもあったが、まだパリにいられるという嬉しさも半分あり、何かを自分で決断できる状態でもないことから流れに任せようという状態だった。結果的にはフランス滞在が2か月間延長されてやっと日本に帰国できたのだが、あの頃、彼に連絡をしてもなんとなく返信がそっけないというか、私が"会えるのが遅くなるのがつらい"というようなことを送っても、「永遠に続くわけではないから」というくらいの返事が返ってきていた。少し冷たいな、何か変だなと思うことはあったけど、彼も仕事でソーシャルディスタンスとかリモートワークとか慣れないことが始まって疲れてるのかな、後輩への指導とかリモート上でやらなきゃいけないからストレスもあるんだろう、そのくらいに考えていた。日本に帰国したらまた彼と一緒に暮らして毎日美味しいものでも食べて、リモートワークだから自宅で2人で過ごす時間も増えるのだからずっと楽しくまた仲良くやっていけるのだろう。日本とヨーロッパという長距離を隔てての期間を過ごしたのだから、夫婦の絆はきっともっと深くなって幸せな日々が続くだろう、ほんとにおめでたいことを考えて過ごしていた。

 そんな私の甘い予想は帰国してすぐに打ち砕かれることになった。2か月の延長が終わってやっと日本に帰国できることになり、すぐに彼に連絡したが成田空港まで彼から迎えに来れないとの返信があった。空港に到着してもすぐに私は近くのホテルで隔離生活を送る予定だったのので、仕方ないことと思いながらも、隔離を終えた後も迎えに来れないというのは腑に落ちないなという感情もあった。交際期間から今までずっとどちらかが出張や実家に帰るなどというときは必ず空港や新幹線を降りる駅まで迎えに来るのが私たち夫婦の慣例になっていたはずだったからだ。彼が東南アジア出張から帰国するときは私も空港まで迎えに行ったし、彼が実家へ先に帰省してて私が後から合流するときも地元の空港まで彼が迎えに来る。そんなことは当たり前の私たち夫婦の流れだった。友人夫婦に言わせれば、夫婦なんてものはだんだん二人の間のルールも変わるものだそうだが、久しぶりに再会できるのにこんなそっけない対応なのだろうか。どんなに甘い考えを持っていた私でも少しばかりの不安を覚えたはじめの出来事だった。
 成田空港に到着してから近くのホテルでの隔離期間が終わり、私はレンタカーを借りて自分で運転して自宅まで帰宅した。電車やバスなどの公共交通機関を使っても良かったのだが、沢山の荷物もあるし交通機関を使って感染するリスクが高くなることも避けたかった。やっと自宅に帰宅して楽しく過ごしたいのに、感染して病院での入院なんて最悪としか思えなかったからだ。自宅では彼が待っててくれていた。リモートワークなので自宅にいただけということかもしれないが、彼はその日はどこにも出かけずに自宅にいてくれた。沢山のフランス土産をひとつずつ開封しながら、私はパリでの生活について思い出話を彼に面白可笑しくたくさん話した。「電車に乗るのもやっぱり観光として行くのとは全然違うんだよ。食事もね、フランス人ってね・・・」 延々と続く私の話に彼もいくらか楽しそうに反応してくれているように見えた。 "君はほんとにいい経験をしたんだね。君はどこでも楽しく暮らせるから僕も安心するよ" 彼の言った言葉にその時は何とも思わなかったけど、今から思えばもの凄く深い意味が含まれていた気がして、何度思い出しても体が震えるほどに寒気がする。それは自分の馬鹿さ加減に震えるのだが、彼にとったら私が帰国すること自体が寒気がする状況だったはずなのだ。その頃、彼にはもう心に決めた別の人がいたのだから。


 日本に帰国して久しぶりに自宅に帰ってから、実は不思議だと感じることがあった。なんとなく部屋全体に生活感がない感じがしたのだ。キッチンもまったく使われた雰囲気がない。お湯を沸かすポットだけが動いていたが、お皿を洗う洗剤も私がパリに移る前に使ってたものがそのまま置いてある気がしたし、料理に使うサラダ油やみりんなども新しくなった気がしないのだ。彼はもとからそんなに自炊をするタイプではないので不自然ではないかもしれないけど、パンデミックで外出自粛が要請されている時期なのに不思議だなと思った。いつも出来合いのものを買って済ませていたのだろうか。たしかに男性はたまには独身時代の大学生みたいなだらしない生活に戻りたい願望があると聞いたこともあるので、彼もそういうことだったのかな。そんな風に自分に言い聞かせた。こういう敏感さは女性ならではのことかもしれないが、私にもそんな鋭い部分はあったのだ。そしてそれが悪い予感だったことをすぐに思い知ることになる。

 次の日から私はまず会社に出社して部署の仲間たちに帰国したことを報告するために挨拶まわりをした。といっても、ほとんどの人がリモートワークなのでパソコン画面を通しての挨拶だったが、パリでの駐在経験を仲間に報告するのは、同じような話ばかりで疲れる部分もあったが、それでも海外駐在を経験した自分を誇らしく楽しく会話できたものだった。仲間たちからの"羨ましい"というとってつけたような言葉でも嬉しいものだった。日本に戻ったので、これからの仕事の担当や流れなどを上司と話して、元からいたチームに復帰することを告げられた。何もかも完璧で楽しかった。自分のやりたい事が思い通りにすべて叶っていく。ほんとに人生で一番幸せなのかもと思うくらいだった。自分は自分の力ですべて手に入れたのだ。私の選んだ今までの道は何も間違っていない。そう信じていいほど、すべてが順調のように思えた。そう明らかに順調だった、その日までは。

 その週はあっという間に過ぎて週末になった。週末は1週間の疲れが溜まっているのでゆっくり起きるのが私の常だが、まだ時差ボケが残っているのか、朝の6時になぜか目が覚めてしまった。まずコーヒーを入れてから、彼のために久しぶりに朝食でも作ろうと思いついた。目玉焼きに野菜のコンソメスープ、ホットケーキでも焼けば完璧だろう。そしてきっと彼はキッチンから聞こえてくるいろんな生活音で心地よく目が覚めて、朝食が用意されてる姿に感動することだろう。目覚めが悪い人が心地よく目覚めるには、キッチンからの生活音を聞かせるのが効果があるとどこかで聞いた。まるで子供の頃にお母さんが自分のためにやっててくれたことの生活音を聞くと心地よく目覚めることができるらしい。こんな風に彼を喜ばそうと考えるのも何年ぶりだろう。新婚の頃は毎日のようにやってたことなのに、人は変われば変わるものなのか、日常の生活に追われていつの頃からか、"お互いがお互いのペースで"を重視するようになっていた。それが自然な流れでお互いに心地いいことなんだと思っていた。
 まずコンソメスープに取り掛かった。人参とたまねぎを細かくみじん切りにして、細かく切ったベーコンと一緒に鍋で炒める。ベーコンから適度な脂分が出るので、追加のサラダ油などはいれない。野菜にしっかり火が通らなくても気にせずに水を注いで、固形のコンソメを一緒に入れて煮込んでいく。最後に塩こしょう、隠し味に少しの砂糖を入れて味を調える。最後にほんの少しお醤油とお酢をいれるのが私流で、和風にすっきり仕上げると食べ飽きないと思っている。コンソメスープが出来上がって、ホットケーキを焼こうと思ったときに、彼がどのくらい食べるかが気になった。1枚か2枚か、もっとか。もう7時近くにもなっていたので、少し起こしてもいいだろうと、彼に直接聞くために彼の寝室に行った。私は朝早くに出社して早めに帰るのが好きなのだが、彼はフレックスで遅く出社して、その分遅めに帰るパターンだったのでいつからか寝室を別にしていた。時々はさみしいと思うこともあったが、やはり熟睡できて楽という利便性には勝てなかったのだ。
 彼の寝室のドアを開けてみて、驚いた。そこにはもう彼の姿がなかった。トイレにも浴室にもバルコニーにもどこにもなかった。私はこの1時間近く、彼がまだ寝ていると思って、かいがいしく朝食作りをしていたのだ。彼が出かける理由に思い当たるものはなかった。コンビニでも行ったのだろうか、朝早くに散歩でもする日課を作った? 朝からカフェで勉強でもしている? 離れて暮らしている間に私の知らない何かが彼に追加されたような、私の知らない彼がいるような感覚を感じた。
 私は一人で朝食を終えて、彼にメールをしてみたが、すぐには返信がなかった。男性だし誘拐されたわけでもないのだから大騒ぎしても仕方ない。私は洗濯物を片付けて、お風呂に入りゆっくりして、また眠くなってきたので再度自分のベッドで軽く眠りについた。彼から返信が来たのは、昼過ぎだった。
 "ごめん、夕方には帰る。帰ったらちゃんと説明する"


 まだ暗くなっていない早めの夕方に彼は帰宅して、"説明する"の本題をさっそく切り出した。 
 "離婚してほしい"。
 そこから話し始めた彼の表情などはあまり覚えていない。頭が真っ白になるとはこういうことなのか。私は何か悪い夢を見ているのか。怒りや悲しみなどもほとんど感じず、彼の口から語られる理由や経緯にただ耳を傾け、なぜかとてつもなく冷静にどうにか解決できる糸口を探っている私がいた。
 私がパリに移住してからすぐ1か月も経たない内に、大学時代の友人たちと飲みに行った居酒屋でその女性と出会ったとのことだった。相手も数人の女性グループで来ていたらしい。彼の仲間内で未だ独身の友人が1人いたので、仲間内で話しかけてみろよとか、冷やかしから始まったそうだ。居酒屋の経営者が彼らの大学時代からの仲間で、あの女性グループはよく来るよ。などと情報を得て、それからその独身の友人の付き添いでちょくちょく仕事帰りにその居酒屋に集まるようになったとのことだった。その独身の友人はその女性グループの中の1人を気に入ったが、それは彼の相手になる女性ではなかったらしい。ある日、仕事中に胃が痛くなった彼は仕事を早退して近くの病院で診察を受けた。胃カメラの検査もしたが結局原因は見つからず、ストレス性の胃腸炎だろうということだった。診察を終えて、お会計を待ってた時に偶然そこで看護師として働いてた女性に再会したそうだ。体調が悪いことを説明したら、親身になって心配してくれたそうだ。具合の悪い時に誰かに助けを求めたい。優しい人に気持ちが揺れるということはよくあることかもしれない。それから体調が回復して数日してから、また居酒屋に行ってみたら、彼女も来ていた、そんなことが何回も繰り返されるうちに親しくなったとのことだった。もちろん、すべてが本当の経緯だとも思えない。いくつかは嘘が含まれていて、いくつかは真実なのだろう。一体どうやってそこから仲良くなり、連絡先まで交換する仲になったのか。問い詰めたい部分もあったが、その経緯まではやはり怖くて聞けなかった。だって、つまり彼は恋に落ちたのだ。きっと彼のほうから気に入って、アプローチしたとしか思えなかった。病院で偶然会ってから、居酒屋に頻繁に行くようになったのも、それが理由としか思えない。問い詰めれば、もうそこには私にとって絶望的な真実しかない気がした。

 この段階ではまだ私は二人がやり直せる方法があるかもしれないと、慎重に糸口を探っていた。何年もの間、夫婦としてやってきた二人なのだ。彼だって長いこと安定した生活をしてきたのに、それを捨てて新しい人生になんて新しい人となんて不安で仕方ないのではないか。やっぱり安定した生活が一番だと思う部分もあるのではないか。束の間のロマンスに心を奪われて自分を見失っているだけで、少し時間が経てばきっとまた私のもとへ戻ってくるかもしれない。ここはただ我慢なのだ、決して別れることは認めずに少し距離を置きましょう。そのくらい曖昧にしておいたほうがいいのだ。
 
 "子供ができたんだ" その一言で私の淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。夫婦の間で長いこと築いてきたはずの絆もすべて一瞬にして粉々にする既成事実、私たちの間にはなく最近知り合っただけの女性との間に生まれた新しい絆、それも強固なダイアモンドのような絆、それがご懐妊なのだ。新しい命とはすべての人間にとって素晴らしい喜びであると同時に、残酷な事実でもある。今でいうそれにより結婚に向かう"授かり婚"をする人も多くいる。別に悪いことではない。それで本当に幸せになるカップルも数多いのだから。ただ覚悟を決めてなかった人間に人生を変えるような覚悟を与えるというのが、新しい命なのだ。避妊をしていなかったのか、彼に問い詰めた。避妊をしないくらい軽率な彼ではないし、そのくらい本気だったのかということを知りたかったからだ。もう私との人生なんて頭になかった、もう彼女とのことしか考えてなかった。そういうことだったか遠回しに確認しなければいけないと思ったのだ。

 "自分は子供ができない体質だと思ってたんだ。だから大丈夫だと思って"

意外な答えだった。私たち夫婦に子供ができないことを彼は自分の体質だと思っていたのか。まったく知らなかった。気づいてあげられてなかった。

"でもまさかできてしまった。僕の問題ではなかったんだよ。それに僕も父親になりたい。"

 まるで私が問題だったとでも言いたいのか。彼からの無慈悲な発言に自分の鼓動が早くなったことがわかった。怒りよりも、彼はずっと自分に問題があると悩んでいたこと、自分を責めていたのだとわかって、私だけが能天気でいたことに恥ずかしさを感じた。もちろん納得いかないこともある。だって子供は自然な流れでいいって結婚前から何度も話したじゃないか。それなのに、自分も子供の父親になりたいとはどういうことか。あまりにもひどいではないか。もしも相談してくれたら私だって診察を受けたかもしれないし、治療に通ったかもしれない。それなのに何も言ってくれず、語ってくれずにこんな結末を迎えるなんてあまりにも勝手ではないか。頭の中に今までの昔の彼の表情がどんどん思い出された。祝日に大きな公園に散歩に行ったとき、彼の高校時代の友人に子供が生まれたとき、彼の妹に子供が生まれたとき、どんなに思い出しても、子供が欲しいなんて言わなかったし、子供ができて羨ましそうな表情なんて見せなかった。どうしてもそんな表情は思い出せない。私はほんとに彼を見てきたのだろうか。私は一体彼の何を見てきたのだろうか。

 しばらく長い沈黙が過ぎて、私は口を開いた。「それで、ここ最近はその女性の家で過ごすことが多かったってことね。今日も朝からずっと。」

 彼はうなづいてから答えた。つわりの酷い時期で、少しでも近くにいてあげたいこと、もう何か月も前から彼女の家でほぼ半同棲で暮らしていることを教えてくれた。それからもう一つ、その女性は夜勤のある看護師だと一緒にいる時間が取れないからと、日勤で定時で帰れる歯科助手に転職してくれたと教えてくれた。もう完敗だった。無理だった。看護師から歯科助手に転職とかきっと収入も下がるはずなのに、そんな決断を彼のためにできてしまう女性なのか。お見事だ。私には誰かのために自分のキャリアを犠牲にするなどできるのだろうか。自分に問いかけながら笑いそうになってしまった。犠牲にするどころか、真っ先にフランス行きを選んだではないか。自業自得なのだ。きっと今、誰かスピリチュアル好きな人が近くにいたら、私に厳しく宣言するだろう。これはカルマだと。



 女は慣れた手つきで卵をとき、厚切り豚ロース肉の脂身の部分には少しだけ包丁で切れ目を入れて小麦粉をお肉にまぶしていく。厚切り肉には切れ目を入れると火の通りが良くなるし、食べるときに歯切れもよく食べやすくなる。卵には少しマヨネーズを入れて、パン粉がまとわりやすく味もまろやかになる自己流の隠し味をしていた。専門店やプロが揚げ物を揚げるときは、大量の油で専用の鍋やフライヤーなどを使うのだろうが、家庭で揚げ物をするときは油を節約したいのと飛び跳ねでやけどの危険を避けたい、さらに後からの掃除も大変なので、少なめの油で揚げる。フライパンに1cmほどの油の量で充分なのだ。女はどんどんとんかつを揚げていく。1人用の夕食とは思えないほどに5枚も6枚も揚げていく。揚げ物というのは、慣れてくるととても楽しくストレス発散にもなる料理だ。人間というのは何かを生み出さないと疲れが取れないと聞いたことがある。ただ寝てても、横になってテレビを見てても疲れが取れないのだそうだ。何か文章を書くとか、プラモデルを作るとか、裁縫をするとか、何かを作ることで新しい発見や想いが生まれるのでそういうことで人間の疲れた心は癒されるらしい。生み出すとは生産するだけではなく、掃除や片付けのようなリセット型でもいいらしい。捨てるや片付けるという作業は減らしていくように見えて、こころの中に余裕やリフレッシュという新しい隙間を生み出すからだ。そして自分にもできたという達成感を得ることができる。
 女がとんかつを夢中で揚げるのは実はストレス発散とか楽しみというだけでなかった。明日の土曜日に友達夫婦の家に遊びに行くので、お土産にカツサンドを持っていくつもりだった。友達夫婦の子供たちが前に美味しいと喜んでくれたからだった。それに前の夫が女の手料理の中で一番喜んでくれたのもとんかつだった。

 
 彼はよく週末にとんかつをリクエストすることが多かった。疲れた体にエネルギーをチャージしたいからとか言っていたけど、とにかくとんかつが好きだった。カツカレーにすることも、卵でとじてかつ丼にすることもあったけど、普通にキャベツを添えてソースで食べることが一番好きだったように思う。週末は学生時代の友達とコートを借りてバスケットボールをすることが趣味だったので、パンに挟んでカツサンドにしてもっていくこともとても多かった。カツサンドは他の卵サンドやハムサンドなどと違ってあまり温度を気にしなくていいところも最高だった。あまり保冷などを気にしなくてもいいので、お弁当として持っていきやすい。しかもアルミなどで包んで持っていけるので、お弁当箱を持って帰ってきて洗う必要もなく便利なのだ。
 彼はそんなにマッチョでもなく騒がしくもないが、根本的にスポーツを愛する体育会系の永遠に男子というタイプだった。もちろん物を深く考えないとかそういうことではない。芸能人のくだらないスキャンダルや名誉棄損訴訟などの話題にはいつも馬鹿馬鹿しいという顔をして、"こんなのどっちが多く3ポイント決められるとかで勝負決めちゃえばいいのに" というくらいに何かを蒸し返したり、いつまでも問題が長引くようなことが嫌いな勝負論で生きている人だった。女性の愚痴などは長く聞けずに、それならAかBかどちらかしか選択肢がないと言ってしまうようなさっぱりした人だった。そこが欠点でもあり、そこが一番好きなとこだった。もう彼がこのとんかつを食べてくれることはない。女はそんなことを思い出して涙目になりながらとんかつをもくもくと揚げていた。認めたくないが女性は好きな男性のために料理の味付けも変えてしまう生き物だ。世界中のフェミニストたちには怒られてしまうかもしれないが、やっぱりそうなってしまうものだと思う。だからこそ別れた後がつらい。料理みたいな感覚が大切な作業は頭でも理論でもなく、体が覚えてしまう。染みついてしまうものだから。新しい味付けなんて簡単には変えられない。上書きなんてすぐには完了しない。いっそのことこんなレシピ忘れてしまいたい。新しいレシピを覚えなおしたい。そんな風に思うことも少なくなかった。

 
 次の日の午後、私は予定通りに友達夫婦の家にお邪魔した。もちろんカツサンドを持参して、さらに途中のデパートでシュークリームも調達した。たしかあの家の子供たちは、チョコレートも甘いものも好きだったので、たっぷりとチョコレートでコーティングされた種類にした。今日のお招きは子供たちが主役のお祝いなので、子供が好きなものを選びたかった。先日、長女と長男の七五三参りをして写真を撮ったというので、その写真をみせてもらいに七五三のお祝いに友達夫婦の家にお邪魔するという流れだった。
 友達夫婦の奥さんの方は私の新卒で入社した会社の同期だった。今でこそ、お互いを下の名前で、"Kyoちゃん", "Wakaちゃん"と呼び合うほどの仲良しだが、実は最初入社したばかりの頃から、2年くらいはあまり仲良くなかった。何があったわけでもないはずなのだが、なんとなくお互いに住む世界が違う気がして、生きてきた歴史や略歴の全てが違う気がして、お互いに距離を置いたところからはじまった気がする。私は初めから技術部のエンジニア配属だったし、彼女は営業アシスタントの配属で、同期といっても最初の基礎研修が終わる1か月を経過した頃から、研修内容も変わり全く違うプログラムで研修が進む。だからといって配属が別だから全員が仲悪くなるわけではないのだが、なぜか最初は明らかにお互いが距離を置いていた。おそらく私の文句ばかり言うような愚痴っぽいところが彼女には理解できず、私もいつも先輩たちに愛想よく、さらに落ち着いた態度で文句ひとつ言わずに無理しているように見える彼女を疎ましく思っていた。私からすると先輩にいくら可愛がられたって所詮はその先輩が人生のすべてを守ってくれるわけでもないし、自分だけが言いたいことも言わずに我慢してても、結局は人間関係は損するだけなのだ。人間性がいくら素晴らしいなんて評判になっても、自分の人生を、収入を守ってくれる最大の評判は '仕事のスキルが高い' 以外に存在しないのだ。それなのに、いい子ちゃんアピールをする日本人女性の多いことに私は昔から憤りを感じていた。だからこそ同期のKyoのことを最初から苦手という意識で思い込んでしまった。後から二人で大笑いして話すことになるのだが、Kyoももちろん私のことが苦手で、なぜこの人は1ミリもいいことがないのに文句ばかり言うのだろう、人の悪口を楽しそうに言うのだろうと不思議に思っていたそうだ。彼女からすればネガティブな発言をいくらしてもほとんどのことは自分の思いどおりにはならないのだから、するだけ無駄で、そんなことより早く帰宅して楽しい趣味でもすればいいのに、ほんとに時間と頭の使い方の愚かな人だなと思っていたのだそうだ。

 そんな昔話を思い出しながら友達夫婦の家に到着した。そんなに大きくはないが閑静な住宅街にある綺麗な一軒家で駐車スペースには、ファミリー向けのワンボックスカーが停められていた。車の後方にもドライブレコーダーが装着されていて、心配性でしっかり者のKyoらしいなとつくづく感心させられた。玄関にもきれいな観葉植物が置かれていて、家って住んでる人や家庭内の雰囲気が外側からわかるものだなと再びつくづく感心させられた。
インターホンを押すと5歳の坊やとともに旦那さんが出迎えてくれた。旦那さんはしわのない綺麗にアイロンがかけられたポロシャツを着ていて、それこそKyoが毎晩のようにしっかりアイロン仕事をしているんだろうなということを容易に想像させた。なぜならこの旦那さんは、昔はそんな几帳面なタイプではなかったからだ。実はこの彼も私たちと同じ会社の従業員で3つ年上の先輩だった。技術部のエンジニアだったので、私と同じ部署の先輩で当然に私の方が仕事で関わることが多かった。毎日のようにパチンコに行くようなどうしようも人だと思っていたので、数年後にKyoから付き合っていると聞いて、ほんとに驚いた。何がいいのだろうか、休みの日は外でパチンコをするか家で1日中ゲームをしているというこんなだらしない人の何がいいのか、まったくわからなかった。しかも仰天したのは、Kyoのほうから彼にアプローチをしたとのことだったからだ。人間はよく恋愛相手に自分にないものを求めるというが、それにしてももっと欲張ってもいいと思ったからだ。現にKyoを狙っている男性は他にいくらでもいたのだから。

 今こうして目の前にいる私の仕事の先輩、つまりKyoの旦那様はたしかに羨ましいほど素敵なパパだ。子供たちと一緒に遊びながら、Kyoと私の女同士二人で会話できる時間を自然に作ってくれている。一緒に働いていた時、そんなことができる人だっただろうか、とふと考えてみる。先輩は新卒社員の育成とか後輩の指導とか積極的にするタイプでもなく、かといって上司に取り入って自分のポジションを守りにいくような計算高さも感じられず、ただ淡々と仕事をして自分のことが終われば帰るというイメージしかなかった。

「先輩ほんといいパパって感じだね。一緒に働いてる頃は、あんまり想像もできなかった。」私の言葉に、Kyoもにこやかに頷く。

「Wakaから見ればほんと信じられないだろうね。ほんとだらしないイメージ強かったもんね。よく彼のご両親にもね、息子をまともな人間にしてくれてありがとう。なんて言われるのよ。」Kyoはまだ何か続きがありそうに笑ったので、私はただ頷いて続きを聞きたい素振りをした。

「私がそう教育したとか、そんなこと絶対ないと思う。私は彼はきっと誰よりもまともな人だって、ほんのわずかだけど確信してたの。

 あの会社って、ほとんど全員が自分の出世のために一生懸命で、よくも悪くも社内での立ち回りとか、人間関係とか上手くできるように成長していくじゃない? 特に営業部なんて、お客の前でも上司の前でも自分がよく見えるように仕事ができるように見せることばかり上手になって、他の細かい仕事とかお客様へのケアとかまったくやってくれない人が多かった。特に私みたいに営業アシスタントやってると、嫌ってほどそんなことばかり毎日見えちゃって、辛いこともあった。

 彼はね、たしかにそういう上手に立ち回るタイプではなかったけど、営業アシスタントにも理解できるように新商品の技術的な説明を丁寧にしてくれたり、実は夜遅くに会社に戻ってきて、後輩が忘れたであろう、機械のメンテナンスも1人で点検してる姿も何回か見てたの。

 そういうのって意外と芯がしっかりしてないとできない。みんな自分のことで精一杯で、誰にもアピールせずに静かにやるべきことこなすって、実は一番難しい。そういう部分になぜか絶大な信頼をもってしまったんだよね。実際はただ、営業部がモンスターだらけだったから、異常によく見えてしまっただけなんだろうけど。」

 そういって笑うKyoの笑顔は、ほとんど勝者に見えた。誰かに勝ったというわけではなく、Kyoはきっと自分の信じた道に勝ったのだ。誰もが驚いたこの結婚は、間違いではなかった。彼女は人生の大きな賭けに勝ったのだ。
少なくとも今のところは。

 帰り道、先輩が私が帰りやすいように、乗り換えのいらない駅まで車で送ってくれた。
「Waka、前の旦那さんのことは辛かっただろうけど、自分にしっくりくる相手なんて、1度じゃ見つからない人もたくさんいるから。君もゆっくり探したほうがいい。」

 先輩が車内で言ってくれた。ほんと見つかればいいんですけどね、私みたいなわがままな女にも。そんな風に簡単に答えて、少し笑い話なんかして、暗いモードにならないように気をつけた。きっと、Kyoはいつも私のことを心配して、先輩にもよく話してるのだろう。Kyoはよく私の元夫のことを怒っていた。そんな人、最低だから縁が切れて良かったと思うべきだとか、もっとWakaに似合う人を見つけて、幸せになるべきだとか、私以上に彼に対して、怒りをもってくれて私をかばってくれていた。だけど私はやはり、怒りより自分への情けないという感情の方が強かった。Kyoはあんなだらしないというイメージしかなかった先輩の素敵なところを誰よりも早くに見つけて、信じることができて、そしてその信じた人のかけがえのない存在に、家族になれたのに。私は、元夫のそれにはなれなかった。かけがえのない存在になるのが難しいということではない。私にはその資格がなかったようなものなのだ。

 次の日、元夫の妹から連絡があった。元夫が再婚した今の奥さんが亡くなったということだった。遺書があり、自殺と思われるとのことだった。今の奥さん、つまり私が元夫と別れることになった原因の、あの看護師の女の人。あの女性が死んだ? 私の元夫に愛されて、子供も生まれて幸せなはずのあの女性が亡くなった? しかも自死で。

数日後の通夜に向かう途中で、頭の中で何度もいろんな思いが巡ったが、どうしてもわからなかった。自ら命を投げ捨てる人の気持ちなんてもちろんわかるわけがない。ただひとついえることは、私よりずっと幸せなはずではなかったのか。そして私から元夫を奪った分、誰よりも彼を大切にするべきは彼女ではなかったのか。それなのになぜ、自ら最悪な道を選んでしまったのだろうか。
                             次回に続く



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