推しが卒業するということ(1)
はじめに
2024年8月25日。
僕の自慢の推し、no Filterりえちゃんが卒業した。
推し始めて742日目の出来事だった。
あの日から2ヶ月が経った。
今ようやく、あの日のこと、りえちゃんのことを振り返って文章にまとめてみようという気になっている。
気持ちが整理できたか?と言われると、正直まだわからない。今でもふとした瞬間にりえちゃんに逢えない寂しさが波のように押し寄せてくる。前向きな卒業と聞いていたからそこまで引きずる事もないんだろうけれど、そこはやはり「推しの卒業」である。心にポッカリと大きな穴が開いているかのような、今まで味わったことのない空虚さが、2ヶ月経った今でも心の中を支配しているのだった。それだけりえちゃんは、僕の中でとても重要な存在だった。
卒業の日の特典会、つまり、りえちゃんとの最後の特典会で、「今日のこと(りえちゃんの卒業)を必ずnoteに記事にするね」と僕はりえちゃんに伝えていた。りえちゃんは、「読む!読む!楽しみにしてるね!」と笑って言ってくれたのを今でも思い出す。だから僕はこの記事を、りえちゃんに捧げる最高の記事にしたいとずっと思っていた。
その記事を書き始めようとして、一体どこから書いたらよいだろうと長いこと考えていた。シンプルに卒業の日のことだけ書けばよいのだろうが、あの濃密な1日にはそれだけでは語り尽くせないものがあるのも事実だった。やはり、卒業の日のことだけでなく、りえちゃんとの出逢いや様々な思い出も含めて書いておかなければならない。2年にも及ぶ、僕とりえちゃんとの関係性の先に、あの8月25日の感動が成立していたのだから。
推しが卒業するということは、一体どういうことだろうか。りえちゃんと共に駆け抜けた2年にも及ぶ推し活の軌跡を元に、その根源的なテーマについても考えていければと思う。
1,出逢ってしまった、とんでもねえ推しに
りえちゃんとの出逢いは2年前の夏、2022年8月14日に遡る。
コロナ禍で長いこと実家に帰れていなかった僕は、少しずつ緩和され始めたその年のお盆に久しぶりに妻と静岡に帰省した。
実家のお墓が長沼にあったこともあり、そこから程近いマークイズ静岡でアイドルのイベントがあることを知った僕は墓参りついでにそのイベントに行ってみることにした。当時、SANDAL TELEPHONEや衛星とカラテア、タイトル未定などを主な現場にしていた僕にとって、静岡のアイドルといえば当時の僕の中ではfishbowlであったが、ROSARIO+CROSSさんも名前だけは知っていた。だからこの日はROSARIO+CROSSさん目当てで足を運んだ。
この回に、Marble Mapleさんと共に、のちに僕がドハマりすることになるno Filterもゲスト出演していた。
no Filterという名も知らぬアイドルに当初はまったく興味もなかったのだが、ライブが始まってみると、何だか知らないが強い力で引き込まれるのを感じた。無名のアイドルなのに、なんだこの胸踊るような楽しさは。
ひと通りのミニライブが終わり、特典会となった。レギュレーションを見に行くと、チェキ2000円とある。SANDAL TELEPHONEが2000円、衛星とカラテアやタイトル未定が1500円という値段設定と比較すると、まったく無名のアイドルに2000円はハードルが高すぎるなぁ…と思って一度は諦めかけたが、せっかく静岡まで来たし、ここで撮らないで帰ると何だか無性に後悔する気がしたので、思い切って撮ることにした。
では、誰に行こうか?
初見で推しなど決まる訳もなかったので、正直、誰でも良かった。けれど、身長が他のメンバーより頭ひとつ抜けてて目立っていた子をずっと目で追ってた気がしたので、その子に行くことにした。
それが、りえちゃんであった。
のちに2年も熱烈に推すことになるとは、この時の僕は知る由もなかった。
当時主な現場にしていた、SANDAL TELEPHONEでは小町まい、衛星のカラテアでは大槻りこを推していた僕にとって、りえちゃんは全く正反対のアイドル、「圧」など微塵も感じない、クセのない、とても明るくて楽しい印象の子だった。
いろ「え、アトジャ出るんだ!すごいね!!!」
扉に貼られたポスターを眺めながらそんなことを伝えると、りえちゃんは誇らしそうに笑ってくれた。
りえ「SHOWROOMもやってるから観に来てね!今日は来てくれてありがとう!!!」
短い時間だったがとても楽しかった。
その帰り道、サブスクやYouTubeでno Filterの曲や映像を観まくった。そしてその日の晩、りえちゃんの配信「りえにゃんるーむ」を初めて視聴すると、りえちゃんはそこでも名前を見ただけで「今日は来てくれてありがとう!」と言ってくれた。
配信で見せる自然体のりえちゃんは、人を惹きつける魅力に溢れていた。楽しかった。
この子を推しにしよう。
悩むまでもなかった。不思議な強いチカラで引き寄せられていた気もする。その日から約2年間、僕の激動の推し活が始まる。いま振り返ってみるとその2年間は楽しいだけの2年間ではなかった。
いや、そう書くと語弊がある。
2年間も通っていたからものすごく楽しかったのだ。それはそうなのだが、楽しいだけでなく、ツラさも、悲しみも、寂しさも、同じくらい存在していた2年間だった。そんな2年間の喜怒哀楽を、僕はりえちゃんと共有していた。こんな経験は今までのオタク人生に無かった。こんなにも推せたアイドルは、僕の中で初めてだった。
出逢ってしまった、とんでもねえ推しに。
推しが確定してからの僕の推し活は、徐々に静岡へ通う日々へとシフトしていく。
742日にも及ぶりえ推しの時計がこの瞬間に動き出したのだった。
(つづく)