なぜ大勢の前で運動せねばならんのか
と、小3の息子が疑問を呈した。
そりゃ本番があったほうが一生懸命やるからでしょ、と普通に思うのだが、ひろゆきさんよろしくうちの息子はそれにも独自の理論で反してきて、非常にめんどくさい。
当人曰く、得意な人間が代表に立ってやりゃいいじゃないか、オリンピックだってそうなんだから、と。
みんな暇じゃないのに、わざわざ人を集めて、嫌がってる人間を人前に出して運動させるのって意味あります?
それってパワハラじゃないんですか?
イエスかノーで答えてください。
こういう具合である。誰かと論じて欲しいよ…対峙するこっちはとにかくめんどくせえ。
彼には片っ端から「こういうもんだから受け入れて」というのが通じない。いつからそうなのか、というと明確に、小学生になったところからだ。
経緯はちょっと遡る。
彼が小学校に入学した年は、新型コロナウイルスがちょうど流行り始めた頃だった。
楽しみにしていた入学式は中止になり、入学早々の休校、分散登校、声を出せない給食、および学校生活…
何もかもが幼稚園とは違う生活、大人だって散々参っていた頃。よくわからないウイルスに戦々恐々としながら、息子は慣れない生活と慣れない登校を頑張った。
しかし、分散登校が始まって少し経ってから、息子は登校拒否をするようになってしまった。
聞けば、なぜみんなで列になって、遠回りをして学校に行くのかわからない、という。
小学生独特のルールや、小学校ってこういうもんだよね、という、既に小学校を経験済みな私たちにとってのあるあるを彼は受け入れられなかった。
この息子の登校拒否話はまた根が深く、話せば長いので、別途、書き綴ることにしたい。
現在は落ち着いて学校には行っている息子。朝は親の車で送られて、特別支援学級に通っている。この特別支援学級の在り方も、むかしと変わったなぁと感服することばかりなので、別途、書き綴りたい。
とにかく特別支援学級に通ううちの息子だが、彼は、全校集会のような、大勢がわーっと集まる環境がどうも苦手らしい。
運動会も然り。一昨年は中止された運動会、去年は分割開催されたが、参加拒否。今年はどうする?と聞いてみたところで、タイトルコールである。
正直、私は全然構わない。
私も旦那もわちゃわちゃした人混みが苦手だし、お父さんお母さんの集まり的なのも出来るだけ出たくないタイプ。保護者会も気が乗らないし、お付き合いもこちらから積極的には求めない。
なので、運動会お休みは、歓迎ではあるんだけど。
確かに、小学生の慣習みたいなものって、なんで未だに存在してるのかわからないものも多い。
息子が嫌がるものは、集団登校、当番制の掃除、全校集会、教室や校庭で全員一緒に体操服に着替えること、前へ倣え、毎日の宿題。
なんでやらなきゃいけないの?と思うと体が固まるみたい。
学校社会が苦手な息子の将来を憂うとは言っても、集団が苦手なら個人で仕事できるし、人混みが苦手なら通勤しないで在宅ワークも出来る。
運動も、スポーツジムでもどこでも自分のペースでやれるだろうし、運動会に出ないこと自体は何も心配することはないだろう。
しかしながら何なんだろう、この焦燥感は。別の子たちは運動会の思い出を作ってるだろうに、うちの子は無い。思い出の損失を思ってため息が出ちゃう。
この焦燥感とずっと向き合っていくことだけが、私にとっての負担です。