「矛盾する、ストーリーと事実」今市事件(11)
そもそも、なぜ自白が虚偽だと感じるのか。それは、現実に起こった客観的事実と自白の内容がことごとく違うからだ。そういえば、ヒトは事実と事実の間に勝手なストーリーを作って補完する癖があると言われている。
まず、以下に記すのは、検察側の書いたストーリーだ。
ツッコミどころはもうビックリするぐらいあるのだが、とりあえずこれを受けて裁判官は、
「犯人でなければ語ることのできない具体性、迫真性を有しており、取調官の誘導やそれに基づく被告人の想像の産物としては説明が困難な具体的事実について述べられた部分が多々含まれている」
「一見すると不合理ではないかと思われる部分も含めて客観的証拠を詳細に検討すればその内容が事実と矛盾する点はなくむしろよく整合している」
と、その内容に不合理な点はなく、迫真性すらあると言い出した。
犯人じゃないとこうまでリアルに語れないだろう、と評価したのだ。だがどう読んでもその内容がスッカスカなのが隠しきれていないのだ。「事実」と違う点をひとつひとつ見ていきたい。
女児を部屋に連れ帰ったのは18時から19時の間とされている。しかし、解剖の結果、被害女児の胃の中には、給食とみられる未消化の食物が残っていた。科学捜査研究所で鑑定したところ、胃の内容物に「わかめ」、「人参のかけら」が含まれていたことがわかった。
被害者は12月1日の12時半ころから13時過ぎころまでの間に給食でわかめ御飯、ミートカボチャ、ゴボウサラダなどを食べていたことがわかっている。殺害時に未消化の給食が残っていたのだ。
成人男性が600kcalの食物を食べると3時間ほどで胃の中は空になると言われている。女児の12月1日の午後12時ごろが最後の食事(給食)だとすると、19時には胃のなかは空っぽになっているはずだ。裁判では、ストレス下でその消化は遅れるから、としたのだが消化機能をどれだけ遅く見積もったとしても午後5時から6時ごろまでには殺害されていた可能性が高いのだ。とすると、連れ帰ったとされる時間は虚偽だ。
どうやら、猥褻行為を撮影したらしいのだ。この映像があれば容疑者も被害者も特定する客観的証拠としては完璧なはずだ。
しかし、茶色の紙袋の男は裁判中に一回も出てきていない。真のペドフィリアであればこの映像データは家宝レベルのレア映像のはずで、一生大事に持っておくだろう。しかし、どこからも見つかっておらず、ましてやこの検察ストーリーにしか出現しない。捜査機関は探せなかったのだろうか、それとも消去されたのち復元できなかったとでも言うのだろうか。それっぽく載せたくせに、事実は何一つ確認されていない。
女児には性的暴行の痕跡は見つかっていない。解剖鑑定書には「外陰部には、損傷異常を認めず、姦淫等を示唆する所見はない」と性犯罪はなかったことをはっきりと明記している。なお、身体や衣類に精液の付着はない。
わざわざ紙袋まで被り、撮影までして性暴行しようとした割にはストーリー内容には直接的な性行為はなく、フランス書院風の微妙な表現で終わっている。縛った上に何ならスタンガンまで使い、完全に自分の支配に置くことができた無抵抗な女児に対し、随分と控えめな欲望の放出だ。
…いや、土地鑑の話どこいったのよ。間接証拠のひとつに遺棄現場の土地鑑の話を散々しておきながら、どうやら迷った挙句に遺棄現場に行きついたらしい。本当、土地鑑の話どこ行ったの...?
驚愕なのだが「遺体の客観的状況は本件自白供述における殺害態様と矛盾しない」としている。
さらに詳しく言うと、
「被告人と被害者とは相当の体格差があること、被害者の胸部の刺創は概ね縦10cm、横20cmという極めて限定された範囲の上胸部に密集していること、被害者の右肩の背部には薄く変色した圧痕(後の解剖により細かい擦過傷と判明)があることや、本件自白供述によれば被害者はナイフで刺された際には手足を粘着テープで縛られて身動きが取れない状態であったことからすれば、被告人が立たせた被害者の右肩を左手で強くつかむと身体の小さい被害者は相当強固に固定されることが推認される。そのような状態であれば被害者の胸壁に対して垂直方向に凶器を突き刺すことや被害者の膝が崩れても左手で上半身を支えたまま同一方向に刺し続けることが可能であると考えられる」と言い出した。
どうやら勝又受刑者は被害女児の右肩を左手一本で掴んだまま、立たせた状態で胸を刺したらしい。
さらに、粘着テープで縛られていたし、大人と子供の体格差ならその状態で肩を掴むと「相当強固に固定」されたらしい。
およそ20kgほどの抵抗する女児を片手で把持できたというのである。何なら女児はもはやグッタリと脱力していたかもしれない。子供とは言え、立位状態の人の体を片手で把持などそうそうできない。持ってるのは20kgのこけしではないのだ。勝又受刑者はマッチョとは言わないまでも弓道の達人並みの握力を持っていたはずだ。少なくとも、肩をつかむよりは腋に手を入れないと保持すら難しく見えるのだが。女児はかなりしっかり指示に従い、痛みに耐え、意識を失わずに動かずに立っていてくれたのだろう。んなアホな。
さらに、10つの刺創をわずか7秒ほどで形成したらしい。勝又受刑者はおそらく元米国特殊部隊出身の現CIA準軍事工作担当官かなにかだろう。もしかしたら事件はトレッドストーン作戦に巻き込まれて陥れられた結果なのかもしれない。あまりに突拍子もない言い分が出てくると思わず笑ってしまう。と同時に、これは女児への冒涜行為にすら見えてしまう。遺体に存在した傷が、被害者が立った状態での刺突でできるということにはかなり疑問がある。
解剖鑑定書には「遺体の胸部には10箇所程度の刺創が存在し2箇所を除き刺入口に切創を伴っていないことから、ほとんどの刺創がほぼ遺体に対して垂直方向に刺入され、そのまま同じ方向に引き抜かれたことが示されており、刺突行為の際に被害者の体勢は非常に安定していたものと考えられる」とある。
つまりは、勝又受刑者は立ったままの女児にほぼ完璧に刃を地面と水平に寝かせたまま、7秒間の間に10回、これまた完璧に遺体と垂直方向に刺したということになる。後述するが、さらに出血は胸部から下方向には垂れていない。これはもはや手品の域だ。
解剖所見にはさらに「左の上腕部から側胸部にかけて血液の付着あり。右手はやや少ないがそれぞれ手掌面までの血液の流出がある。その他、左の大腿部から下腿部、右の大腿内側に僅かにある。背面にも、左の側背部から臀部にかけて薄い血痕の流出を認める」やはり、出血は下方向にはほぼ垂れていないのだ。これは刺した時に女児は寝た状態であったことを意味する。
さらに彼はナイフコレクターだけではなく、ナイフを使った格闘の腕前も達人のレベルのようだ。
さらに、現場には血溜まりがどこにも存在しない。遺体発見現場付近にはその場で殺害されたとすれば存在するはずの、被害者から流出した大量の血液の痕跡がどこにもないのだ。
解剖結果ではおよそ1000mlもの血液が流出したとされる。しかし、遺棄現場では点々とした血痕しか見つかっていない。
これだけの出血を外に逃さないようにするためには、心臓を刺した直後に首と足首を持って瞬時にくの字に(胸を下に)するしかない。どうやら勝又受刑者は7秒で致命傷を与えたあと、瞬時にこのように体を吊ってから遺棄したようだ。
なお、この日は雨は降っていない。そのため、雨で血液が流される可能性はない。ここが殺害現場とするのならば、絶対に大量の血痕が残ってなければおかしいのだ。苦し紛れなのか検察サイドは「ルミノール反応は出てるから、それなりに染み込んだ」として「単なる滴下痕としては説明できない量の血痕が残っていると考えられる」と判断された。
本田教授は血液は現場の地面にはほとんど染み込まないと証言しているが、「その根拠が明らかでなく合理的とはいい難い」と意味不明理論でバッサリ切り捨てられている。それでもいいのなら、ルミノール反応のみから「それなりに染み込んだ」と判断するところに全く科学的根拠はないと言ってあげたい。
どう考えても血液は粘稠度の低い水ではないため、1リットルもの血液がほぼ痕跡を残さない程度まで地面に染み込んでいないことは中学生でもわかりそうなものなのに。
地上に落ちた血液が土中にしみ込むことはほとんどないという点も実験による裏付けもある。つまりは、遺棄現場が殺害現場でないことは紛れもない事実なのだ。
殺害時刻は午前4時とする割には、死後硬直が不自然である。
女児の死後硬直については「顎で強度、首ではやや緩解、肩やや緩解するも中等度、肘、手首、指は最強に発言、下肢、股関節、足関節とも発現している。死後経過事件は、死後解剖まで約1日から2日と推定される」とある。
さらに「遺体の死後硬直は中等度緩解しており、冬は死後硬直の開始がやや遅れることから死後40時間を経過しており、死亡推定時刻は同月1日午後5時ごろ」だと考えられている。死後硬直の経過時間からすると、12月1日の夕刻には殺害されていたと考えられる。
さらに、解剖時の直腸温度は7℃であった。死後、直腸温度は体重50kgの大人では冬季であれば1時間に1℃程度低下すると考えられている。12月1日の午後の気温は10℃を超えており、死後、体重の軽い子供でも大人の1.5倍程度の降下速度と考えると、起点である37℃から7℃まで低下するには20時間を要すると分析されている。直腸温度から考えても、被害者の死亡推定時刻は1日午後10時ごろとなるのだ。胃の内容物からも、死後硬直からも、直腸温度からも、少なくとも12月1日の殺害であることはほぼ確実なのだ。
あまりにも内容が酷かったためか、控訴審では東京高検が女児の殺害場所を遺体の発見現場の林道から「栃木県か茨城県内とその周辺」に変更する「訴因変更」の請求を東京高裁に行っている。さらに、殺害時刻についてもこれまでの主張から13時間以上拡大し、「1日14時38分ごろから2日4時ごろまでの間」と変更を請求している。あまりにもストーリーが現実とかけ離れすぎていたのだろう。もう滅茶苦茶だ。
証拠品はどこかに捨てたらしいのだが、捨てたところを記憶していないことになっており、さらに、それらは発見されていない。スタンガンも発見されておらず、箱だけだ。自宅で使ったから、室内にありそうなものだが。
女児の遺留品は細かく切って捨てたらしい。それとは別に、女児の持っていたものとよく似たランドセルと運動靴が、事件直後にごみ集積場に捨てられていたようだが。
そういえば、1審では遺棄したとされた日に勝又車がNシステムに記録されていたことについて、平成19年1月ごろに警察官から事情を聴取された際には、茨城県には「朝日の写真を撮影するために2回行っており、1回目は道に迷って撮影できず戻ってきたが、2回目は写真を撮って帰ってきた」と証言している。この写真はどこにも存在してなかったのだろうか。少なくとも、犯行時間に別の場所にいた証明になりそうだが。
これだけ「事実」と「自白」が異なるのに、不思議理論と妄想とを駆使して事実と事実の間を豪快な力技で繋げて満足しているようにも見える。とにかくはっきり言えるのは、事実に基づいたストーリーではないことだ。真犯人がいるのであれば、この裁判は恐ろしく無駄な時間を費やしているということだ。
私が真犯人であれば、こう思う。
「自分の身代わりが刑務所にいるうちは、安心して日々の生活を送れる」