有罪の根拠とされる7つの間接証拠たちは、どう見ても女児と勝又受刑者を強力に結びつけるほどの証拠となっていない。これらの証拠は、勝又受刑者が犯行を行ったという前提があったとしても「整合性がある」程度のもので、「この人しか有り得ない」ものではない。
これらの間接証拠の価値を無駄に押し上げたものが、自白だ。この事件はほぼ自白により有罪が成り立っているが、この自白は強要や恫喝によって誘導された供述である可能性が高く、今もその自白の信用性については疑問が投げかけられている。
虚偽の自白といえば名張毒ぶどう酒事件しかり、狭山事件しかり、袴田事件や足利事件も密室の中で拷問や洗脳に近い方法での取り調べを受け、魂を削られ虚偽の自白を強要されている。
もちろん、一審から自白の信用性について議論はされているが、弁護側の主張はどれも虚しく無期懲役の根拠となり続けている。
なぜ、人は自分を不利な状況に追い込むことがわかっていながら虚偽の自白を行ってしまうのだろうか。誰もがみな、「自分は潔白だから否認し続けることができる」と思っているだろうが、例え無実であっても虚偽の自白をすることは確実に存在する。
私はするかもしれない、絶対にしない、などという空想は、実際に取り調べを経験しないと永遠にわかりっこない。私が言いたいのは精神論ではない。確かに、そして確実に「存在する」という「事実」だ。
では、この今市事件ではその「虚偽自白」は存在したのであろうか。最高裁では自白の信用性についてどのように評価しているのであろうか。これらの取り調べは検察官A、警察官A、警察官B、警察官Cによりなされている。公判中では、
「検察官は被告人の弁解にも耳を傾ける姿勢を示すとともに、被告人が取調べを拒絶する意思を明確にしていると認められる場合には、直ちに取調べを中止している」
とあり、一審でも
「『やっているなら正直に話せ』というだけでなく『やっていないなちゃんと言え』なども促して弁解にも耳を傾ける姿勢を示すー」
とある。
なお、前提としてこの取り調べは別件逮捕であり、本来商標法違反についての取り調べをしなければならないはずだ。逮捕中の別件の事件における取り調べは本来任意で行わなければならない。要するに、検察官はこれらの権利は守っていたと言いたいらしい。さらに続く、
「2月25日の取調べにおいては、被告人が従前の約束を翻し、 Y検察官に厳しく追及された挙げ句、席を立ち上がり窓に向かって駆け出そうとするなどの様子も見られるが〜」
「約束」というのは、勝又受刑者は後日自白することを検察官に言ってしまったことを指している。この日、彼は繋がれたパイプ椅子ごと窓に向かって走りだし、窓から飛び降りようとしている。すでに勝又受刑者はかなり精神的に参っていたようなのだ。しかし、これも適切に対応していたと判断されている。一審でも、
「取り調べ中に身体の震えや過呼吸様の症状を呈するなど、質問の内容によっては強い精神的・肉体的負荷が掛かっている様子が見受けられ〜」とあり、
「被告人は、取調べの当初から精神的に不安定な面を見せていたことから、2週間に1回程度の割合で医師の診察を受けて精神安定剤を処方されるなどしていた上、Y検察官が被告人の体調を気遣いながら取調べを進めていた様子も見られる」
やはり別件の取り調べ中も検察官はかなりの配慮を行っていた、と言いたいようなのだ。そしてこのように判断されている。
「被告人に対する取調べは、適切な権利告知任意の取調べであることへの配慮、体調への配慮が十分になされた形で進められており、供述の強要があったとは認められない」
ということなのだ。何度でも言うが、この時は商標法違反で勾留されていたため、殺人についての取り調べは任意で行わななければならず、そのことは告知義務がある。つまりは本人が嫌と言えばいつでも辞めれるはずなのだ。このような状態は、仕組みを知っていれば誰でも拒否するはずだ。なのにも関わらず勝又受刑者が拒否しなかったのは、拒否できないほど執拗に繰り返されたか、または仕組みについて十分な説明がなされなかったのか、どちらかということになる。
それでも、自白の強要はなかったとし、その自白内容についても
「被告人が犯人でないとしたなら説明することができない事実関係が含まれているとまではいえず、客観的な事実のみからは被告人の犯人性を認定することはできない」
と判断している。つまりは秘密の暴露はなかったのだ。では、勝又受刑者の言う取り調べの内容を見てみる。
これが本当なら、かなり馬鹿げた話だ。さらに、法廷で流された取り調べの映像は以下のようなものだった。
これらを勝又受刑者が罪の意識から自白したと果たして言えるのだろうか。
ちなみに、一審では動機は「お金をもらいたかった」と述べており、凶器は「遺体を捨てた後に車から捨てた」など供述し、さらには「被害者を連れ去って自宅に戻ってくると、見知らぬ第三者が待っていた」や「被害者を拉致してアパートに連れて行った後に、助けを呼んだ男がおり、その男と一緒に殺害現場に行ったが、被害者を殺害したのはその男で、自分は現場に一緒に行っただけである」などその供述は激しく変遷している。
なお、判決では商標法違反の逮捕後から殺人での逮捕前に行なった取り調べに違法性はなく、取り調べの録音録画から考えても、取調官による恫喝や暴行が加えられた事実はなかったと判断されている。
断っておくが、これは検察官の取り調べに対してであり、警察による取り調べの内容に恫喝や暴行があったかではない。しかしこの時には、検察官からも、刑事からも取り調べは行われていたのは容易に想像できる。さらに裁判官はこう判断する。
「取調官による誘導を受けた形跡がない」
「あらぬ疑いをかけられた者の態度としては極めて不自然」
「被告は処罰について強い関心を示し、処罰の重さに対する恐れから自白するかどうか逡巡、葛藤している様子がうかがえる」
と、勝又受刑者の葛藤すら読み取ったと言い出した。
はて、もう一度事件の流れを見てみよう。
2005年12月1日、事件発生。
2014年1月29日、ブランド品の偽物を所持したとして商標法違反で、勝又受刑者、実母、弟が逮捕される。
同年2月18日、商標法違反で起訴。この日に宇都宮地検は殺人の取り調べを開始し午前中に最初の自白がされた。(とするが、わずか22行の検面調書が取られただけである)しかし弁護士との接見後、再び否認に転じる。検察官の取り調べの内容は録音録画がされていたが、警察の取り調べでは録音録画は一切されていなかった。
同年2月24日、問題の手紙が姉に渡る。
同年2月25日、検察官の取り調べ中に「もう無理」と叫び、体に結びつけられたパイプ椅子を引きずって3階の窓に向かって突進したが制止された。この様子も録音、録画されていた。
同年3月4日、弁護士から宇都宮地検に対し別件取調べの抗議が行われる。
同年4月8日、弁護士から宇都宮地検に対し再度別件取調べの抗議(2月25日から4月10日までは違法取調べの認定を受けている)が行われ、検察官による殺人についての取り調べは中止された。
同年5月29日、銃刀法違反で逮捕。
同年6月3日、栃木県警は殺人容疑で逮捕。
同年6月11日、裁判の提出された録音録画された供述がこの日に撮られる。
同年6月20日、殺人容疑での自白調書が取られる(2月18日から123日が経過)
同年6月24日、殺人容疑で起訴。
なお、取り調べだけでもその期間は3ヶ月半、255時間にも及んだ。5ヶ月近い間監禁され、毎日同じ話を厳しい口調でされるのだ。それだけでもたまったものではない。ほぼ拷問である。
おそらく家からは偽ブランド品が見つかり、すでに申し開きもクソもない状態にも関わらず23日間最大限の勾留を行い、さらに期間が切れるタイミングで商標法違反で起訴している。これでまた時間を稼げるわけだ。
そもそも、刑事事件の被疑者は逮捕の72時間と勾留の20日間を合わせて、最長で23日間の身柄拘束を受ける可能性がある。刑事訴訟法203〜205条によれば身柄が拘束された時点から72時間以内に検察官が勾留請求をしない場合は被疑者の身柄は解放されることになる。
しかし、検察官が裁判官に対し勾留請求を行い、裁判官が被疑者が罪を犯したと考えられるかどうか、罪証隠滅や逃亡のおそれがあるといえるか否か等を考慮し勾留することを決定した場合は逮捕に引き続き身柄を拘束される。勾留の期間は勾留請求の時点から10日間身柄を拘束され、さらに10日間が経過してもやむを得ない事由があれば、さらに最大10日間身柄を拘束することができる。ここで検察官が起訴した場合、裁判が継続する間は勾留され続けることになる。
時間切れが迫ると銃刀法違反を繰り出し、逮捕と勾留を延ばしている。商標法違反での逮捕勾留を経て起訴された後、100日以上も後に、殺人罪で逮捕勾留、起訴とおよそ考えられる最大限の引き伸ばし作戦が決行されている。これだけの不格好な引き伸ばしがなされたのは、途中で弁護士が違法取り調べをしていることを訴えたからだ。控訴審では殺人罪に先立ち、商標法違反罪で起訴した後の身柄拘束期間を使って44日間にわたる取り調べを行ったことは「社会通念上是認されないものであった」と認めている。
おそらく、商標法違反での起訴直後から、殺人罪の取り調べは開始されたものの、取り調べの全過程の録音・録画が開始されたのは、殺人罪での逮捕後からであった。したがって、商標法違反による起訴から殺人罪の逮捕まで、長期間にわたり本件である殺人罪の取り調べが行われたにもかかわらず、その期間の取り調べの録音・録画はごく一部しか存在しない。
この裁判で再生された取調べ状況の録画映像は検察官が女児殺害事件で再逮捕された6月3日以降のものしかないか、その映像はあるが秘匿されていると考えられる。勝又受刑者が最初に逮捕されて女児殺害事件で起訴されるまでの約5か月間のうち、録音録画がなされたのは再逮捕後起訴されるまでの23日間のみとなり、最初の逮捕から女児殺害事件による逮捕までの4カ月余の間は、女児殺害について取り調べが行われていたにも関わらず,その過程は録画されていない。
一審では取り調べの録音録画記録媒体は自白の信用性を判断するための補助証拠として使われており、一審判決では検察にとって都合のいい場面だけが提出されていることは間違いない。
なお、勝又被告は法廷で2月18日の取り調べの際には検察官Aに「ファイルを机に叩きつけられるなどの脅しを受けた」3月19日の取り調べの際には警察官Aからは、「顔面を平手打ちされるという暴行を受けた」「殺していないと言ったら平手打ちをされ、額を壁にぶつけてけがをした」「殺してごめんなさいと50回言わされた」「自白すれば刑が軽くなる」「自白すれば懲役20年で済むが、自白しないと死刑や無期懲役になる」など言われたと述べている。しかしそのような状況は当然録画されていない(ことになっている)いちいち書くが、3月19日は商標法違反で勾留されている真っ只中だ。
なお、警察官Aは「唐突に取り調べ室の壁に頭をぶつけて自傷行為に及んだ」と証言しており、警察官Cも「利益誘導ととられるような発言をしたことについては明確に否定した上で、弁護人から懲役20年か30年になると言われたなどと述べて落ち込む被告に対し、君はまだ30代だから懲役20年で出てきても50歳なので人生やり直せる」などと励ました、と証言している。
頼みの綱の家族も同じ商標法違反で逮捕されており、誰一人として彼を助けることはできない状況だ。おそらくこれも計画して行われたのだろう。このような状況が100日以上続くなかで、それでも嘘をついてまで罪を認めることはないと果たして言い切れるだろうか。
長きにわたる拘束期間、これは孤独を加速する。そして過剰な圧力、取調室の中ではどこにも逃げ場が存在しないのだ。これが女児の殺人事件ともあらば取調官からの重圧は凄まじいだろう。
このような状況では虚偽の自白は容易に起こりうると言われている。「私はそんなことはしない」などと個人の意見や決意や主観を聞いていない、現象として「起こる」のだ。
虚偽の自白には大きく3つのタイプがある。ひとつは自分の側から名乗り出る「身代わり自白」、ひとつは自分の記憶に自信を失って自分がやったのかもしれないと思い込む「自己同化型」と呼ばれるものだ。そして冤罪で無辜の人間が起こすのが「迎合型」と呼ばれるものだ。
閉鎖された空間で長い間力を持った人間から迫られれば、逃げ場はなくなる。一度認めても裁判で無実を訴えれば証拠は存在しない訳だし、とりあえずはこの苦境は乗り越えることができる、と考えてもまったくおかしくはない。
そういえば、狭山事件において薬研坂で怪しげな三人組を見たと通報した男性も、善意で警察に届出を行ったのにもかかわらず犯人と疑われ、苛烈な取り調べを受け鬱状態のようになって帰ってきて、挙げ句の果てには自殺した。
捜査機関側もプライドがかかっているため、尋常ではない決意と覚悟で捜査と取り調べに臨んでいることだろう。もしかしたら正義の執行のためには多少荒療治も仕方ないと思っているのかもしれない。彼らには特殊な認知の歪みが存在しているように私には見える。
こう考える強面の刑事、検察官が「コイツが絶対に犯人である」という摩訶不思議な確証バイアスを働かせながら、正義のため、女児の敵討ちのため、新たな被害者を出さないために、絶対に犯行を認めない変態と対峙していると思っている。
虚偽の自白に至る検察官の再現動画などを見ると、実に面白い。屁理屈を並べたて、情に訴え、時には怒鳴り散らすのだが、それは全て検察官が描いたストーリーに整合しない事実が出たときだ。これは何だか、給食費が無くなったクラス会議で、犯人が手をあげて名乗り出るまで目を伏せさせ、永遠に待っている教師のようにも見える。
自白の研究で有名なドリズィン教授らは、確実に無罪であることが証明された125件の冤罪事件の分析を行なっている。その分析データによると虚偽にも関わらず、取り調べを始めて早い人であればわずか6時間未満で虚偽自白をすることがわかっている。
結局、最終的な判決では客観的証拠について、
「被告人が犯人でなければ合理的に説明できない事実は含まれていない」
とする一方で、自白については
「想像に基づくものとしては特異ともいえる内容が含まれている。体験した者でなければ語ることができない具体的で迫真性に富んだ内容だ」
としている。「真犯人じゃないかもしれないけど、言ってることは超リアル」一体どっちなんだ。さらに、
「客観的事実によれば被告人が殺害犯人である蓋然性は相当に高い」
と言いながら、
「それのみから被告人が殺害犯人であると認定することはできない」
と言い出し、
「本件自白供述の任意性に疑いを入れる余地はない」
とした。さらに、
「犯人でなければ語ることのできない具体性、迫真性を有しており、取調官の誘導やそれに基づく被告人の想像の産物としては説明が困難な具体的事実について述べられた部分が多々含まれている」
「一見すると不合理ではないかと思われる部分も含めて客観的証拠を詳細に検討すればその内容が事実と矛盾する点はなくむしろよく整合している」
勝又受刑者は超演技派で、色々言ってることは変だけど、全部をまとめるとスッキリするよね。と評価し、
「供述の変遷は処罰を免れる術がないかを逡巡したためであり供述態度からは起訴を免れないならばできるだけ早く自白供述をして受ける刑罰を少しでも軽くしようという自白に至る動機が認められ」
「本件自白供述には遺体に認められた顔面や頭部の傷害結果が発生した経緯やわいせつ行為後被告人方を出発するまでの数時間の行動など十分な説明がされていない部分や解放するために連れ出したとする被害者が全裸のままであったことなど不合理と思われる部分が散見される」
ことも
「被告人が上記のような動機に基づき本件自白供述をしたために、取調官から追及されなかった不利益な事実についてはあえて供述しなかったものと考えれば、十分に首肯することができるといえる」
現場の状況と違うとこはあるけど、罪が重くなるの嫌だからって観点からするとまあ普通だよね。などとした上で、
「被告人が認めざるを得ないと考えて供述した本件自白供述における本件殺人の一連の経過や殺害行為の態様、場所、時間等、事件の根幹部分については、十分に信用することができる」とした。
なんか、後からどうとでも言えるなら、何でもありなんだなと素直に感じる。
不思議なのだが、怪しげな間接証拠たちはそもそも自白があるからこそ成り立っている。そのため、自白が怪しいとなると全てが怪しくなるのだ。そうなれば全ての間接証拠はスケープゴートづくりのためのただの言いがかりだ。
そして、こういうのを何と言えばいいんだろう。
そうだそうだ、茶番だ。
最後に、自白の状況について勝又受刑者の認知した内容を載せる。