「俗称は、スカトロ(糞尿愛好症:コプロフィリア)」
※性的に偏りのある刺激的な内容のため、不快な方は読むのをご遠慮ください。
私が1ミリも興味が湧かない性癖としては「スカトロ」がある。とにかく、食わず嫌いはいけないと思い、何度か動画など観たことはある。いったい何処に興奮ポイントがあるのだろうと注意深く観察したが、注意深く見れば見るほどただただ嫌悪感と吐き気しか催さない。排泄物を性に扱う楽しさは自分の遺伝子には組み込まれていないのだろうと、やや残念に思う。
ここで好きに語りたいのは正式には「コプロフィリア」についてだ。「スカトロ」という方が聞き馴染みはあるが、本来語源となった「スカトロジー(Scatology)」は学問についた名称であり、糞尿に関する生物学的・哲学・民俗学・文化学研究や考察を指すそうだ。糞尿への興味や、それを愛玩し、性的興奮・性嗜好が生じることは正式には「糞尿愛好症(コプロフィリア:Coprophilia)」と呼び、主に排泄行為、及び排泄物に対して著しい性的興奮を得る性的倒錯の中のひとつである。まあ「スカトロ」でも「コプロフィリア」でも呼び方は何でもいいのだが、この嗜好について調べてみた。
私は人の性の嗜好の形は人の数だけあると思っているので、細かく分類する気はあまりない。しかし、何でも分類から大まかな概要を知ることは大切だと思う。カテゴリから考察しないと、とっかかりが何も無いからだ。
例えばコプロフィリアではあっても、排泄行為をする性的パートナーに対する執着はパラフィリアであり、排泄物そのものに対する執着はフェティシズムであるとされる。つまりは特定の排泄パートナーに対して「この人のじゃないとイヤ!」はパラフィリアらしいし、誰が出したかはともかく「排泄物そのものがいいの!」はフェティシズムらしい。
だが断っておきたいが、コプロフィリアの本質は「排泄物そのもの」ではない。排泄物そのものに性的興奮を覚える人の方が少数派で「誰が出したものか」が最も重要らしい。性的な興奮を覚える対象が排出したものでないと意味がないようで、誰でもいい訳ではないのだ。とはいえ、興奮のポイントにも様々な種類がある。
●失禁する・させるのが好き
性的パートナーに随意、不随意を問わず失禁させる・させられることに性的興奮を覚える方々である。
尿だけに特化した性的嗜好を「ウログリア(Urolagnia)」と称したり、「ウォータースポーツ」とか「wet and messy(ウェット・アンド・メッシー)」などと呼んだりすることもある。この人たちは要するに排泄物で塗れたい訳だ。
だが「wet and messy」は何も排泄物で汚れたい訳ではない。他にも水をはじめ卵や水分の多い食べ物、ソースやスープなどの食べるもので汚れたいことに興奮する方々もいる。これは排泄物よりソフトな方々と捉えればいいのだろうか。パーティでパイやクリーム、ケーキを投げて乱痴気騒ぎする光景に憧れを抱く方もいるだろうが、あの状態が性的興奮に置き換わったイメージだろうか。確かに「普段汚れないもので汚れる」という逸脱行為は興奮を呼び覚ますかもしれない。この方々は、自らが汚れる・汚れている性対象を見ることに興奮を覚える。
また、失禁という行為に性的興奮を覚える方々もいる。これにもバリエーションがあり、衆目の中で着衣のまま失禁をする・させる、衆目の中で裸で失禁する・させる、誰もいないトイレ以外の場所で着衣のまま失禁する・させるなど様々なポイントに分かれている。「失禁」という行為はなかなか奥深く、大人になればオムツを着用して例えどれだけ周囲から許可が得られようがなかなか進んで失禁できないものだ。その境界を誰かの前で乗り越えることだけでも相当な達成感があることだろう。しかも、それをトイレではないところで行ったり、何なら衆目に晒す行為も派生していく。これらは露出症や強制露出とも相まっており強制性に対して性的興奮を覚えているのか、境界がすごく曖昧だ。「普段汚れないもので汚れちゃう・汚れさせる」ことが興奮につながり、その最上級が「汚物で汚しちゃう・汚れちゃう」なのだろうが、支配的な強制として汚す・汚されることはやはりBDSMの要素がかなり強いように感じる。だが、中核にあるのは排泄という行為であり「恥ずかしいことをさせてる・してる」ことに興奮するならばやはりそれはSMなのだろうし、「尿・便失禁する・させる」ことに興奮するならばそれはコプロフィリアなのだろう。同じ「失禁」という行為ではあるのに、性的興奮の視点が違うところが何とも面白い。これにさらに制服がいいとか、スーツがいいとか、コスプレ要素が含まれることもあり、シチュエーションへの飽くなき探究心が伺われる。
この方々はおそらく誰かの失禁もしくは自らの失禁がいつしか性的刺激と結びついたのだろう。ヒトは性的に成熟し始めた時に受けた(性的な)体験をもとに性癖を形成すると言われている(男性は初めての射精を伴った刺激が性癖となりやすいという文献もある)まだまだ性壁の起源については科学的に解明されていないが、遺伝的な因子を素因としながらも、性癖は後天的に形成されると私は勝手に考えている。
実際に、失禁をさせることに性的興奮を覚える男性はネットのブログの中で以下のように語っている。
「ピアニカの練習をしていた時、隣の女の子が失禁してしまった。その時の体験から着衣失禁でないと興奮しない。大便は範囲外で、我慢の葛藤がわかるとさらに興奮する。教室や体育館がなお良い。大勢の周知があり、失禁したことに対して絶望していることにさらに興奮する」
この男性はどちらかと言うとサディストだ。相手の惨めさ、後悔や絶望に対して性的な興奮を覚えている。しかし、興奮ポイントの中核にあるのはやはり「尿失禁」であり、肉体的な虐めや言語的な暴力行為を求めていない。
●食べたり飲んだりするのが好き
性的パートナーの糞便や尿を食べる・飲むことにより愛情表現をしたり、食べる・飲むこと自体に性的興奮を覚える方々もいる。本来は口から入れたものが人体の中で消費され、体のいらないものとして出ていこうとしているものをもう一度口に入れようとする行為で、本来は何の実用性も意味もない行為ではある。何より臭気は強いし、口にした人が言う通り、そもそも「美味しくもない」らしい。プロの方々が「美味しくない」と言っているのだから、私たちにとっては「相当不味い」のだろう。それでも、性的興奮のために、彼らは口にする。映像を見てびっくりするが、彼らは本当にむしゃむしゃと「食べ」「勃起」している。
これらは、単純なマゾヒズム(排泄物で興奮はしないが、服従の証拠として食べる・飲む)の場合もあれば、特別なパートナーのものは興奮する(普段は食べないが特別な人の排泄物は興奮する)など、やはり様々なバリエーションを含む。
普段は確実に食べることのないもの、食べることのできないものを食べることで愛情表現をすることはある意味マゾヒズムにおける最高の口説き文句(行為?)のような気がする。「マゾヒズムは究極の自己中」で、「サディズムは究極のサービス」という言葉を聞いたことがあるが、「あなたのためなら誰もがやれないことがやれる」なんてやはりドMしか言えない。スカトロを愛する人たちって、誰もがやらないし、やる意味もないことに意味を見出しており、すごく無駄なように見えて、すごくパンクだ。無駄なことに意味を見出すという行為に対してでなく、その人にしかやれないことを最大限に発揮していることに対してパンクさを感じる。
そういえば、糞便飲み食いの伝説の動画として「2girl 1cup」がある。スカトロ趣味を持たない人であれば、もれなく動画の解説文を観るだけで見事に吐き気が催す。これは海外のハードスカトロポルノであり、あまりにも不快感が強いため「検索してはいけない」に載るほどだ。
これは、2人の女性が排泄物や吐瀉物を舐め合うという非常に過激な内容であり、黒人女性が、ワイングラスに大便をするシーンからスタートする。そして、そのワイングラスの大便を、二人の女性たちがまるでアイスクリームを食べるように舐め回したり、口に含んだりする。
さらにワイングラスに嘔吐し、その吐物を二人でむしゃむしゃと食べる。今度は、二人の女性が、その吐物を口移し交換するというなかなか突き抜けたビデオだ。この内容を書いているだけでやんわりと嘔気がする。
かなりのショッキングさだが、これはアンダーグラウンドの特殊映像でもなく、2007年にMFX Mediaという会社が制作したブラジルのスカトロ・フェティッシュポルノ映画で、「Hungry Bitches」というタイトルの予告編だ。このネーミングも秀逸すぎる。
また、何にでも1番手と2番手は存在する。このビデオが有名になったのち亜種として「2girls1finger」というビデオも注目された。これは1人の女性がもう1人の女性の口に指を突っ込み、嘔吐させたり、食糞をするという内容である。これらはインターネット界隈では伝説的動画となっているため、興味のある方は食事時間をずらした時間帯に見ていただければと思う。
この界隈の方々の尊敬するところは、本当にムシャムシャとまるで炒飯でも食べるかのように糞便を咀嚼するところだ。食糞尿にこだわる方々もいれば、汚物として痰や鼻水なども対象となる方々もおり、これも一種の愛情表現と見なすことができる。飲食だけでなく、体に塗りつけたり、愛でたりする行為に感じるある種の覚悟にも似た行為は、やはり尊敬でしかない。
●排泄を見るのが好き
普段隠されるべき行為を見たいという場合、窃視症の変形とも考えることができる。これらはアダルトビデオなどでもスカトロではないジャンル「盗撮」として独立して並べられていることが多い。この窃視に関しても曖昧な部分があり、窃視事態に性的興奮を覚えることもあるし(隠れて普段とは違うものが見れる興奮・女性のあられもない姿が見れる興奮)、排泄の窃視でなければならないのであれば、スカトロの割合が大きいのかもしれない(排泄行為という秘められた行為を覗く興奮)しかし、特定の対象の羞恥を見たい場合はサディズムの変形とも考えることができる。
●医学的側面から
この界隈の方々は排泄物の匂いすら脳内で別のものに変換されている訳ではないと思うので、臭気についての話はあまり意味をなさないだろう。香りは人にとって重要なセクシュアリティを高める因子ではあるが、おそらく愛好者たちは、インドールだろうがスカトールだろうが、匂いなど気にならないだろうからだ。正確には、匂ってない訳ではないが、それが不快ではないだろうからだ。プロの方々は匂いや味で対象の健康状態も何となくわかるというのだから、賞賛に値する。確かに、便秘が続いたりすればより臭気は強くなるだろうし、硬さや食べたものでその味?は変化するだろう。
健康な人間の尿はほぼ無菌である事から、浴びようが飲もうが問題はないと思われる。しかし、膀胱炎や尿道炎などを患っている場合はもちろん無菌ではないため、あまり推奨できない。さらに、尿を採取した後にある程度時間を経過させてしまうと、尿素はアンモニアとなるため、あまり飲んだりするのは推奨できない。
大便に関しては、動物には糞を栄養素の再吸収や消化の補助のために食する種も存在するが、ヒトの体はそのような構造にはできていない。ごく少数、秋田県のマタギの料理にはスカ料理というウサギの腸内の未消化の糞を食する特殊な料理も存在する。食しても胃液により大腸菌は殺菌されると思われるが、口腔に傷などがあると感染の危険性はあるし、寄生虫に感染する可能性もあるため、火を通さずに糞便を食することは推奨はされないだろう。また、便を性器に塗りつけたり、体に塗りつけたりする行為も病原菌が直接粘膜に触れる可能性があるため、あまり推奨されないだろう。
健康な便は、水分が60%、消化できなかった栄養素が5%、腸壁細胞の死骸が20%、腸内細菌が15%(ビフィズス菌や乳酸菌、大腸菌や連鎖球菌、ウェルシュ菌など)と言われている。人によって腸内細菌の比率は異なるし、食べた内容によって未消化の食物繊維の量は変化するので、自分のはともかく、人の便を食べると便秘や下痢を引き起こす可能性は十分にある。何より、この内容であれば、絶対に美味しくはないだろう。
コプロフィリアはSMの延長線上である気はする。糞便自体に性的興奮を起こさないのであれば、排泄する側と、それを受ける側が絶対に存在し、その点が最も重要視される。特別な存在のものにしか興奮しないのであれば、受ける側は排泄する側をどれだけ愛でているのかを(少し屈折してはいるが)体を生贄にして表現する。性的な行為から最も遠ざかったものに性的興奮を覚えるという面白さが、そこにはある。