2024年に読んだ写真集年間ベスト10
前書き
自分が写真を始めて一年弱、撮影行為も恐らく30,000シャッターくらいはなんとか切ってる気はしますが、それとは別に田舎に住んでいるとどうしても撮影がしづらい時間の趣味として、写真集や広告誌やファッション誌などの写真を使うメディアを読むような趣味があったりします。(あとは写真系YouTubeも雑多に)
そんななかで個人的に今年影響を受けた写真集を母数が60作品以上あったなかから10作品ほどに厳選しながら紹介していけたらと思います。
10位. スティーブン・ショア『Uncommon Places』
いわゆる平面構成の教科書ともされる一冊でもあり、アメリカの「ニューカラー」という写真流行を代表する一冊の写真集でもある。
なにげない風景を撮影した写真集でもあり、アメリカン的なロードトリップの写真集でもある。
ただ、この写真で優れているのは先述した平面構成の見事さであり、このアングルと厳密に決めてなければこれほど心地よい写真にならないというような、見事なオブジェクト配置が、色のコントラストとともに、理屈の塊となってぶつかってくる、そんな迫力が1枚1枚にあるからである。
彼がこの写真集で使用したとされる8×10という大判フィルムサイズの写真というのは、現在のデジタル写真の情報量を上回るほど、大きな印刷に向いているんだけれども、おそらくそれは、写真を撮る側観る側の態度を問うような写真の形式なのだと思う。
以後大きなフォロワーや潮流を生み出していった、写真史の中でも重要な一冊でもあり、「なにげない景色」を「選択的に撮る」という尖ったコンセプトから生まれた写真の特別な力強さを感じてほしい写真集でもある。
9位. 清野賀子『至るところで 心を集めよ 立っていよ』
単写真はごく淡々と、少しだけの心の動きを映し出したように、静かに撮られているものの、その連なるシーケンスが心をざわつかせていく。
デザイン性や平面構成が優れていて、とか色彩感覚が、というところとはまた違う部分で、他人の見るものと少しずつ位相のズレた今を眼差して見えるのが彼女の写真のように感じられていく。
『The Sign of Life』のようなややコンセプト性が強い印象を受けないからこそ、そこに深く沈み込みたくなるなにかを感じさせる。
前作が清濁とするなら、こちらは少しだけ清に寄った写真集に見えるが、この写真は問い掛けしか残してくれない。それが彼女なりの現代写真との向き合い方なのかもしれないし、永久に理解を拒んだままかもしれない。面白いのは、それが編まれたときに意味を見出そうとする、ぼくらの営為なのかも知れない。
8位. 増山たづ子『ありがとう徳山村』
真の意味での報道写真かもしれないアマチュア写真。
自分の住む村がダム建設で湖の底に沈むと知ってから、60代のおばあちゃんがカメラを始めて数年間の間に残したネガ10万点のなかからセレクトされた写真集。
素晴らしいのは、増山たづ子さんというのが思想としては柔軟なかたで、自分たちは被害者という顔では決して写真を撮らない。
その辺りの写真として向き合いかたと元々の主張は別になっていて、かつてダム建設という事実には抗っても、その工事を行う人間には人間対人間として、理性的に向き合う姿も良い。
そしてなにより素晴らしいのはシャッター数。
数年で10万、フィルム時代のプロでも見つかる生涯のネガは多くて40万だったりするなか、これだけ作品を残すほど使い込めるのは素晴らしいし、それを誇れるだけの特別な瞬間を写真に収めているのがなによりカメラマンである。
時に水平の取れてない写真もある、時に露出が低過ぎる写真もある、けれども特別な一枚は一生もんの迫力を持って見る者にインパクトを与えるし、なにより色んな角度からフレーミングしようと工夫を凝らしたばあちゃんの動きの機敏さに驚かされる写真集。
アマチュアイズムの面白さと、このひとにしか撮れない写真がここにある。
7位. ブラッサイ『夜のパリ』
夜景写真といえば、なにを思い浮かべるであろうか?
当然現代ならば工場の写真であったり、街あかりやイルミネーション、星景写真なんかだろう。
ただ、ブラッサイが撮ったパリの時代はまだ夜景を撮るための技術というのはほとんど進歩しておらず、フィルム感度もそれほど高くはなく、なによりパリですら街灯りがそう多いわけではない。
なにしろ写真に撮られたそれは1920〜30年代に撮られた姿。
というわけで本作品では今でいうところのフラッシュ(ストロボ)の代わりとなる、フラッシュバルブという、小型の閃光弾のようなものを使って写真が撮られている。
夜の写真のなかでもとりわけ近景のものはその辺りの手法が中心で、独特の距離感で物事が描かれている。
「夜は昼の陰画ではない——」と言う序文から描かれる通り、その撮影されたパリの景色はモノクロだからこそ活きる、光の部分を彫刻したような写真になっている。(実際の印画方法もエリオグラヴュールという、版画的な手法が用いられている)
人物の収まる写真はモデルを雇って撮影した「スナップ風の演出写真」ではあるが、それを通じて描きたかったものが、ブラッサイの見たパリの夜そのものであることが面白く、それはエルスケンあたりには繋がっていくのだけれども、ほぼ同じ時代のブレッソンともドアノーとも一線を画すものになっているし、なにより写真集そのものが印刷物としての強度があるのも素晴らしい。
パリの夜、華やかではないものの静かな美しさと猥雑さによるその清濁は、自分にとって美しく見える。
6位. 畠山直哉×伊東豊雄『UNDER CONSTRUCTION』
建築家の伊東豊雄が依頼して「せんだいメディアテーク」という現代建築デザインによる図書館の建設行程を写真に収めていった写真集。
建築資料研究社、という謎の出版社から出版されていることもあり、あまり写真集として認識されてることの少ない写真集かもしれない。
ただ、写真を実に平面構成しっかりと単写真としても充分美しく撮影しながら、そこを本という形ではっきりとしたテーマをコンセプチュアルに語っていく様は実に畠山直哉さんらしいところ。
見方はさまざまであるとは思うものの、この写真集を読み終える前と後で、写真集の表紙が持つ意味への理解が変わるのは、シーケンスとして見事だなあと感じさせる。
「コンセプチュアルな写真集としてシーケンスごと読み込んでいく」ということの面白さを自分に初めて教えてくれた一冊。個人的には木村伊兵衛賞を取った『LIME WORKS』よりも写真そのもので伝わりやすくて好きな作品。
5位. 山上新平『KANON』
息を呑むほど美しい傑作。
山野の森を写したシリーズや海の波を写したシリーズに挟まる形で大きくページを割かれた、
蝶を被写体とした写真のシリーズがたまらなく美的であり印象的で、かつ昆虫写真としてのアプローチではなく、写真のなかで美しく見える存在としての、蝶の舞を動的に掬い取ったようなブレのある写真が、むしろアブストラクトでもありながら、見るものに刺さってくる画の強度に繋がっていた気がする。
序盤を飾る森の景色を捉える上でも色彩に対する眼力を強く感じたものの、それを被写体が変わって、そこに向き合う意識も変わるとこんなにも化けるのかと驚かされもするし、
写真集としての細かな造本やプリントにもこだわりが随所に見えて、正直言って、今年の出版物のなかでもトップクラスに素晴らしい内容。
ただひとつだけ言ってしまうと蝶のシリーズ単体が写真として強すぎて、シーケンスでそれほど見せられていなかった感じ。本としては作家の成長記録に収まっている。(そういうのが出版される才能が恐ろしいのだけれど)
4位. ロベール・ドアノー『ドアノー写真集 子どもたち』
ロベール・ドアノーはパリの心を捉えた作家だと個人的には考えている。
なにしろ彼に収められた写真のなかの人物たちは皆活き活きとしており、軽く気取った雰囲気にも、小洒落たパリという空気を纏って見えるものである。
そんな彼の作品集のなかでも、この写真集については「子ども」を被写体としたシリーズである。
パリの若者の恋愛模様をドラマチックに演出して写真に収めた『パリ市庁舎前のキス』のような写真こそないものの、それ以上によく撮れたなお前と感嘆するような、日常の中にある、面白くてめちゃくちゃ平面構成の見事な写真がいっぱい収められている。
子どもたちの楽しそうな姿を切り取るだけで、こうも人間味が出るのかという、ドアノー本人の優しくも鋭い視座が見えるようだ。
同時代のブレッソンと並んで、モノクロスナップ写真のひとつの完成形をつくった作品集だと思う。
3位. 奈良原一高『人間の土地』
写真を趣味としたり、写真を専門的に学んだ人間でもない、アートの道を志す当時大学生だった若者が、故郷である九州、とりわけまだひとが暮らしていた頃の軍艦島(端島)や、桜島の噴火で他の町村とは断絶される過酷な土地、黒神村など、そんな場所でも力強く暮らす人々の姿を、テーマ性の高い「パーソナル・ドキュメント」として、風景スナップポートレートなどジャンルの横断に全くこだわりなく、撮るべきものを撮っていく、若き日の奈良原一高の美的センスの詩情や、広角レンズの使い手として早くも完成されてる感のある驚きの平面構成能力に、楽しさすら覚える写真集。
個人的には坑道で採掘中の炭鉱夫を撮った見開きの1枚が最高にカッコよく感じたのだけれど、こんなにコンセプチュアルでしっかりとした技術、また、こういったいろんな場所に立ち入って、ひとに寄り添うだけのコミュニケーション能力なんかにも驚嘆させられてしまう一冊だった。
2位. 細江英公『鎌鼬』
舞踏家土方巽氏とタッグを組んで、民間伝承としての『鎌鼬』を、人間という被写体、土方巽の故郷を舞台として使いながら、村人を巻き込んだドッキリのように撮影していくという、ワンテーマの写真集を編んでしまう演出と虚実の入り混じるような不思議な作品。
ただ、圧倒的に画力が強く、特に広角レンズを用いた独特のフレーミングは躍動感も素晴らしく、これぞ細江英公といったような手捌きが光る一冊になっている。
また、書籍としてもかなり特殊な一冊であり、青一色のページでシーケンスを割って、ページをいっぱいに使ったり見開きも多用した写真の構成なんかは迫力も満点で素晴らしい。印刷も一流の手仕事で、空の焼き込みなんかも階調感がしっかり残っているからこその描きかただと感じられる。
非演出の時代に対して一石を投じるような作品づくりの態度もパンクで素敵な、文句のつけようもなく面白い一冊。
1位. 木村伊兵衛『木村伊兵衛のパリ』
花の都パリ、その花盛り50年代のカラーストリートスナップを、日本人が行なっている事実がなかなか驚きである。
また、あとにも先にも香り立つようなパリの空気感を写真に封じ込めたのは彼だけな気がする。アジェ、ブレッソン、ドアノー、エルスケンにブラッサイ、写真家は数あれど、いちばん外の人間と言える彼がそれを撮影の仕草としてなしていることに驚嘆しかない。
洒脱で軽業みたいに達人芸のような一枚を撮るその姿は、やっぱり天衣無縫としか言いようがなく、このひとの力の入りすぎてないのに、バチバチにキマった写真のカッコよさはスタイルとして真似できるものではないと思う。
日本国内でのシリーズや著名人のポートレートなんかも素敵だけど、カラー写真の美しさをカメラという道具、パリという街を使って表現して、自分に写真文化への憧れを抱かせてくれた素晴らしい作品集。
(リンク先は少し印刷の質が変わるのと、版が小さくなるものの、かなり手に取りやすい普及版のようなものにしております)
後書き
気質的に短いブログ記事を書けないタイプなのですが、お付き合いいただきありがとうございます。
地味に同じ作家の作品を重複させないなどの縛りを設けていたので、本来なら入れてたかもしれない畠山直哉さんの『陸前高田2011-2014』や奈良原一高さんの『消滅した時間』などが弾かれていたりもしますが、より多様性のある作家を紹介させていただきたかったため、こういう形にいたしたました。
ちなみにミーハーな人間でもあるので、次点くらいのところに岩合光昭さんの猫の写真集や、ソール・ライター『Early Color』やら、ヴィヴィアン・マイヤーの作品なんかも候補にあったりしました。
さすがにこの数を全部自分で購入したわけではなく、半数近くかそれ以上は地域の図書館のレンタルなんかに頼っています。
写真集については、特に絶版のものなどや重要な過去の名作などを中心に割と2010年代まで揃えてたりするので、図書館の積極的な利用がおすすめです。
あとは若手写真家育成や写真文化持続のためにも、中古ではなく正規のお店(今回だと山上新平さんの作品とかが正規)から新作を買うことなどをオススメします。
さて、長くなりましたがひとつだけ言いたいことがあります。
写真集は印刷媒体としての技術力の結晶でもあるので、電子で気軽に読んじゃお、というのはお試しでしかないくらいの気持ちで居てください。
造本した方々の本気を味わいたいなら間違いなく紙の媒体で読まれることをオススメします。
それではレッツエンジョイカメラライフ、なので。
そんな自分の写真活動に興味を持っていただけた方はこちらも……。
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