「フレンチスタイル」や「パリスタイル」ってどんなの?
『フレンチスタイル』や『パリスタイル』ってなんですか?(フラワーデザインにおいて)
生徒さんやインスタライブを見ている人などから、よく聞かれる質問です。
その都度わりとしっかり答えていたのですが、
たくさん疑問のある人がいそうなので、
そういう人が検索したらこの記事が出てくらいにならないかなぁと思って、note やブログ用に書き起こそうと思います。YouTubeで同じテーマで喋っても検索にかかりやすいかもしれない。
初めて読む人も多くいることを想定して、まずは自己紹介から。
私タニグチは日本人フローリスト44歳。
日本で二つの店とパリで一つの店を展開して、月に20日パリ、10日は日本という生活をし始めてそろそろ5年になります。日本の初め芦屋の店は、ちょうど今日で17年目をむかえました。東京の店は先日10年を迎えたところです。
一応、日本人ではじめてパリに支店をもった花屋ということらしいです。
日本人で初めてパリに店をもったということではないです。日本で店を持ちながらパリに店を出したのは一番だったということです。
日本で生まれた独自のアイロニースタイルで日本パリだけでなく他の国でもちょこちょこと仕事をさせてもらっています。
さて、ということで本題に参りましょう。
フレンチスタイル、パリスタイルとは、どんなものなの?
フランスも、パリも、もちろんのことながら、ものすごい数のフローリスト、花屋、フラワーアーティストというような人がいて、
それぞれが独自のスタイルを持って花仕事をしています。
パリで生活していると、体感として花屋の数や、花屋のクオリティは、東京と別にそんなに変わりはないです。
もちろん、何の世界でもそうだとおもうのですが、日本に紹介されるパリの花屋というのは、素敵なところが紹介されますので、
パリの花屋はみんなオサレで素敵なんだろうと思っちゃう人がいるのですが、ふつーーーのというか、ダサめの花屋もたくさんあるし、
こだわりの花屋でクオリティの高い花屋の率というの、東京もそんなに変わりはありません。芦屋もそんなに変わらないです。
しかし、これはあくまで2019年いまの話です。
おそらく30年前、20年前には、大きな差があったと思います。
日本にはもちろん、独自の生け花というスタイルがありましたので、
この2.30年の中で、海外、とくにヨーロッパの影響を受けて、いまのような感じになってきているのではありますが。
そういう大きな流れでいうと、ヨーロピアンスタイル、ダッチスタイル、フレンチスタイル、パリスタイル、ニューヨークスタイルと、
何かしらの違いを感じやすかったのだろうかと思います。
生け花との違いを比べると、なんだかたくさん花を使っていたりと、
違いが誰の目にも明らかです。
しかし、昨今のようにそれが世に溢れかえっていると、
フレンチスタイル、パリスタイルと、枕詞を置いている花屋たちの
それぞれのスタイルの違いに消費者は戸惑うことになります。
あの人とあの人のスタイルは全然違うのに、どちらもパリスタイルなのか。。。
とかです。
これらは、もっと大きく捉えていただくといいんじゃないかなと思います。
では、大きく捉えて、フレンチスタイルとか、パリスタイルとはどういう花を言うのでしょう?
結論から言って、
沢山の花を贅沢に使い、自然な雰囲気が強い、という傾向。
だと言えると思います。
もちろん、全然違うスタイルでバリバリ活躍してるパリのフローリストもいますが、多くのフローリストに見られる傾向としては、そう言えると思います。
現在のフレンチスタイル、パリスタイルがこのような雰囲気になっている理由はいくつかあると思っています。
まずフレンチスタイルというのは、パリスタイルと同義と言ってもいいと思います。パリのスタイルがフランスのスタイルに大きな影響を与えているでしょうし、人がイメージするフランスといえばパリのイメージが強いので。
そういうことも踏まえて、スタイルの出来上がった理由を説明していきます。
まずは気候。緯度でいうとパリは北海道と同じくらいです。
一年を通して、日本と比べると気温は低めです。
花は日持ちするため、消費者は、花を楽しみやすいです。
そして、フランスは広大な土地を持つ農業国でありながら、パリという都市部に沢山の人が暮らしていて、都会に暮らすパリの人々は、田舎の自然に憧れを持っていますが、多くの人がアパルトマンに暮らし自宅に庭はありません。園芸ではなく、切り花を楽しむ文化はその方が発展しやすいでしょう。
そして、今日の世界の花事情で、オランダとの距離感というのは、非常に大きな意味合いを持ってきます。
世界で一番大きな花市場であるオランダ、アールスメール。
オランダでは非常に沢山の花が作られて、また世界中の花が集まっています。
そしてヨーロッパの多くの国、またその他世界中が、アールスメールから花を仕入れています。
我々がよく使う日本の市場は、アールスメールと同じように
日本中から花を集め、オークション(せり)の仕組みを使って花を販売しています。
セリで売られる花というのは、文字情報で取引されるため、
花農家は、規格に合わせて花を作る必要があります。
一つの箱やバケツには、長さも同じ、咲き加減も同じ、茎はまっすぐの花が、50本とか揃って入っているのです。
パリのフローリストたちがよく使うランジス市場では、オランダが程よい距離にあるため、7割ほどをオランダから仕入れ、
セリの仕組みを持っていません。
仲卸の集合体と言った感じなのです。
そして、特筆すべきは、残りの3割の花なのです。
ランジス市場の中には、近隣の農家が直接持ち込んで販売するブースがいくつかあります。
また、フランスの農家の作った花を集めて販売している、農協のようなブースもあります。
これらのフランスの農家の花は、セリで販売することを前提としていないため、企画に合わせた作り方をしていません。
曲がっているもの、咲加減のバラバラなもの、が混ざっていて、非常に自然な雰囲気です。
また、フランスの花農家は、農地が広いので、ハウスをたてて、燃料を炊いて温度を管理したり、ということをあまりしていません。
こっちに植えて、刈り取ったらまた来年。あっちの畑のが、そろそろ収穫時期だなぁ。という感じです。
チューリップから始まって、シャクヤク、バラ、ダリア、
ダリアの季節が終わったら、冬はもう何もできないので、ランジス市場の農家たちのブースはみんな休みになります。
農家たちはその季節の花しか育てないので、
市場には、あまり季節外れの花は流通せず、シャクヤクの季節には、みんながシャクヤクを売って、ダリアの季節にはみんながダリアを売るというような感じです。
そして、それらの花はそれほど手をかけていないので、コストが低く、とてもやすく仕入れることができます。
こういうさまざまな背景から、
パリのフローリストたちは、
自然を求める都会に暮らす人々に、
自然な雰囲気の強く残る、旬の素材を
たくさん使って、
それぞれのスタイルのブーケを、
たばねて販売していると言えます。
そして、旬の花だけが流通の中心になると、多くの花屋が、
同じ素材を同じ時期に使うので、
素材選びで、スタイルを打ち出すというより、
もっと作風で独自のスタイルを生み出して差別化を図る必要があります。
いろいろな背景から花を飾ることが身近でよく知るお客さんたちは、そのスタイルの違いにも敏感です。
日本では、花屋はとかく珍しい素材集めに走って、それがスタイルと勘違いしがちですが、パリのフローリストたちは、こういう背景もあり、スタイルという部分には、より厳しい環境に置かれているため、新しいものが出てきやすいと言えるでしょう。
しかしながら、フレンチスタイル、パリスタイルと言ってなんとなくイメージされる花には、それら以外にも共通点を感じる部分があります。
それは、革命と呼ばれたスタイルを生み出し、多くのフローリストに影響を与えた二人のフローリストがいたからです。
まず一人目は、ジョルジュ・フランソワというフローリストです。
ムッシュと多くの人に呼ばれるこの大御所。
ムッシュとは、フランス語で、ミスターの意味なので、
日本で言うと長島茂雄くらいの偉人をイメージしてもらうといいでしょう。もしくはかまやつひろしですね。
今も現役で毎日仕事しているというこの大御所は、
ブーケロンと呼ばれる、今ではみんながつくっている丸い形のブーケは、彼が生み出したと言われています。
それは、当時はセンセーショナルなスタイルで多くの人に愛されて、今では、世界中の多くのフローリストが基本的に学ぶスタイルの一つとなっています。
ブーケロンが生まれるまでは、扇型のようなものが主流だったのでしょうか。
そして、パリの花業界で2番目に革命を起こしたのは、
クリスチャン・トルチュというフローリストです。
彼は、何をしたかというと、
ありのままの自然の美しさをブーケの中に取り入れました。
それまでは、切り花として価値のなかった、雑草のようなものにも自然の美しさがあることを人々に気づかせ、
野菜や果物、あらゆる植物の美しさをブーケにしました。
パリのフローリストたちのナチュラル志向は、いまでこそ当たり前のことのようですが、トルチュが店をオープンした30年ほど前は、フローリストたちはもっと技巧的に花をつかって何かの形を作るというようなことをしていたそうです。
私の店である、アイロニー は、
フレンチをベースにして、日本で生まれた独自のアイロニー スタイル。だと説明していますが、
このフレンチというのは、クリスチャン・トルチュの影響を受けているパリの花業界の花を中心に指していると言え、
彼の花からは多くの影響を受けています。
とはいえ、間接的にそれらを見て影響を受け、
彼の花にたどり着いたときには、彼はもうパリの店を閉めてしまった後でした。
いろいろなフローリストの花から美しいと感じるものを自分の中に取り入れて、解釈して、自分のスタイルの美しさを見つけ出して、
出来上がってきたものを、
パリの人たち、世界中の人たちに見せてみたくなり、
パリに店を出すという挑戦を5年前にしました。
今でも大変な挑戦の日々ですが、
一番報われたと思えた日がありました。
ある日突然、パリの自分の店に、クリスチャン・トルチュが訪れたのです。
彼は私の花を知ってくれていてわざわざ会いに来てくれました。そして多くの質問をしてくれて、私も多くの質問をしました。
そんな中で、答え合わせのように、自分で気づきたどり着いたと感じていた、美しさの考え方が、彼と多くの共通点を持っていることを知りました。
必然的に偉大なフローリストの足跡を知らずに辿ってきただけだったのです。
そんな中にも、日本の環境の中で、出来上がったスタイルだからこその違いというのもちろん大きくあるし、よりパーソナルな好みの違いというのもあり、そっくりかというと、全く違うようにも見えます。
さてさて、
テーマから外れて、アイロニー のスタイルの話になってきてしまいましたが、
花屋のスタイル、というのは、こういうものなのです。
フレンチスタイル、パリスタイル。という言葉は、
なんらかの特定のスタイルや、誰かのスタイルのみをあらわすのもではないし、
ましてや、自分の花に、パリとかフランスとかいう装飾をするためのものでもなく、
単なる、雑な分け方のジャンルの名称に過ぎないということです。
俺たちはロックバンドです。
とか、
うちは、フランス料理店です。
というのと同じようなものです。
ロックとか、フランス料理が、どんなものというのと同じような感じで考えてもらって、
あんなのはロックじゃない!とそれぞれご自身の感覚で、感じてもらえばいいと思います。
しかも、この話は日本的視点からみたフランス、パリという部分を前提にしていることを忘れないでください。
あ、そうそう、そもそもここに書いていることは、ちゃんと調べたり、裏をとったりしていることではなく、なんとなくの推測とか勘で、気づいてきたことなので、間違ってるかもしれませんので、
超ながながと書いておきながらキラーワードを最後に書いときます。
知らんけど。