マイルドヤンキーは本当に幸せか
上を見ればキリがない。
会社員をはじめて感じたことだ。
一生懸命働いて得られる月の手取り25万
年収にして420万。
年収500万を超える人は全体のわずか10パーセントほどということだ。
だがその一方で
自分と同じ、25歳の同級生で、外資系企業などに勤務し、
すでに1000万円近くの年収を得ているものもいる。
大学の友人のインスタグラムをひらけば、高級なホテルや有名料理店の食事が次々に飛び込んでくる。
いったいどこからそんな金が湧いてくるのか不思議でならない。
サラリーマンは平等じゃない。
港区で高級タワーマンションから夜景を眺めるサラリーマンもいれば
僕のように名古屋の端っこで5万の家賃で、給料日にちょっと贅沢なチャーシューメンを食べることを生きがいにしているサラリーマンもいる。
もちろん本人の能力や生産性によって給料が変わることは納得できるし、そこに異論はない。
年収や学歴、社会的地位といった序列が一生付いて回ることが苦痛なのだ。
有名大学を卒業し、そこそこ名の知れた企業にも就職したが、自分がとりわけ豊かだとは思わない。
毎日の食費、家賃や光熱費を払い、奨学金を返せば貯金なんてできやしない。
そんな時あるツイートが目に止まった。
都内で年収400万円の生活を送るサラリーマンより、地方で年収250万円の生活をするマイルドヤンキーの方が幸せだ
という内容だった。(詳細は覚えていない)
マイルドヤンキーは地方に生息する喧嘩をしないヤンキーたちだ。
彼らはいたって温厚で、仲間意識が強い。
地元、仲間、女(嫁や彼女)を愛し、
結婚は早く、若くして子供もいる。週末は家族でイオン。
溜まり場はドンキ。車からはエグザイル。
学歴には興味なし。
周囲を出し抜いて抜きん出てやろうという上昇志向はそこまでない。
むしろ人情に厚く、小学校、中学校時代からの仲間を大切にする。
地方は都会に比べて物価や地価が安いため、生活コストがかからず、車社会のため通勤で悩まされることもない。
年収や学歴でマウントを取る人間もいない。
そもそもそこを幸せの尺度にするステージで生きてはいない。
確かに地方で生きるマイルドヤンキーたちは幸せかもしれない。
だが上に書いたようなマイルドヤンキー像は
あくまで都会で働く人間が希望するよう創られた姿なのではないかとも感じるのだ。
僕の近所にもマイルドヤンキーに該当するだろうなといえる友人がいる。
彼らは確かに結婚も出産も早い。だが離婚も早い。
子育てに苦労しているシングルマザーが多いのも事実だ。
さらに地元という環境には大抵”嫌な先輩”というのが存在する。
闇金ウシジマくんに出てくる相沢みたいな奴はだいたいどこの地域にでもいるのではないだろうか。
嫌な先輩には、反社とは言わないまでも黒い噂が立っており、絡まれると何かと面倒である。
マイルドヤンキー層は横のつながりは強いが同時に縦のつながりも強固だ。
中学時代カツアゲなんかをしていた嫌な先輩が大人になっても地元をうろつき、普通に絡んでくる。
地元の絆だけでなく、同時に地元のしがらみも残り続けるのだ。
結論から言うと、マイルドヤンキーは必ずしも幸せだとは言えないだろう。
結局、人の幸せを決めるのは年収でも社会的地位でもない。
どう生きるか、誰と生きるかだ。
ない幸せを追い求めても、幸せになれないのだろう。
今ある当たり前を幸せと感じられることこそが幸せなのだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今、心の傷を少しづつ癒しながら元の自分に戻れるよう頑張っています。よろしければサポートお願いします。少しでもご支援いただければそれが明日からの励みになります。