地方進学校という病①
それでははじめ。
号令と共にい一斉にペンが走る音が聞こえてくる。
目の前には見慣れない数式と問題用紙。
焦り、不安、恐怖。様々な感情が流れ込んでいる。
どうして勉強できなかったんだろう。
誘惑に負け前日の睡眠を優先した自分を悔いている時間はない。
捨て身の覚悟で挑む定期テストほど憂鬱なものはない。
あれから7年近くが経過した今でも高校時代のテストの夢をよく見る。
僕は自己肯定感がおそらく人一倍に低い人間だが、自身の劣等感の形成に大きく関わったのが高校時代である。
8年前、僕は富山県でナンバー1の進学校の落ちこぼれだった。
学歴や偏差値で人を判断してしまう自分の拭い去りたい価値観が形成されたのもこの頃だった。
地方出身の人間なら、誰でも共感できる話だと思うが
地方には人生の勝ちパターンなるものが存在する。
地方のナンバー1進学校に進学して、レベルの高い大学に進み、そのまま県庁や市役所、有力な地元企業に就職する。
今だに変な話だと思うが富山県においては学歴の話になると
あんたどこの高校??
と、高校名を聞かれるケースが非常に多い。
どの大学を出たかよりどの高校を卒業したかが重要なのだ。
富山県には御三家と呼ばれる進学校があり、そのどれかを卒業していると、すごい人間だと認識される。
さらに御三家には理数科と呼ばれる各学校40人だけが所属できるエリート学科があり、優秀な人間の中の優秀な人間が進学する場所という共通認識があった。
僕の両親は二人ともその御三家を卒業しており、
小学生くらいの頃から、御三家に進学することを期待されていた。
あそこに行けば幸せな人生が待っているから。
学歴という単語を知らなかった僕は両親からそう言われ続けていた。
中学時代は香取慎吾主演の西遊記の挿入歌であるガンダーラを聞きながら
僕はガンダーラに行くために勉強するんだと己を奮い立たせた。
己の学力のピークは中学時代だったのではないかと思うことがよくある。
調子がいい時は県内で1桁くらいに入る成績だったのではないかと思う。
当時から文系脳であることは理解していたが、親や塾の先生、学校の先生を喜ばせたい気持ちがあり、最難関の理数科を受験した。
非常に恥ずかしい話だが、人生でいちばん嬉しかった瞬間は高校に合格した時だったのではないかと思う。
両親、親戚、塾の先生、学校の先生、みんなが僕の合格を祝福した。
間違いなく合格発表当日の僕はガンダーラにいた。
これから先夢のような人生が待っているんだ。
ところが現実は違っていた。
そこは学力至上主義の特殊な空間だった。
文武両道を歌っていたものの、勉強ができる人間が評価の対象であったし、勉強ができない人間は馬鹿にされたり陰口を叩かれたりしていた。
僕はとにかく見下されたくないというマイナスの感情を原動力に勉強していた。
僕が高校の勉強について行けなくなるのにたいして時間はかからなかった。
高校には普通科、理数科の区別とは別に”東大コース”というものが用意されていた。
普通科、理数科合わせて上位40名だけが所属できるコースで、東大志望でなくとも強制的に所属させられる。
医学部志望や京大をはじめとする旧帝国大学を志望するものも多かったが、成績優秀なものはとりあえず東大を目指しておけという風習があった。
入学〜2年生の春くらいまでは勉強について行けていた部分もあったので、僕は東京大学を目指していた。
先生もお前の成績なら受かると応援してくれた。
僕も最初は東大コースに呼ばれていたが途中で成績が下落し、呼ばれなくなった。
その頃から明らかに教員からの自分への期待が下がっているのがわかった。
理数科の仲間たちは大半が東大コースに所属していたため、こんな人間と同じ環境にいていいのかという罪悪感すらあった。
もう一度過去の成績を取り戻したいと必死になって勉強した時期もあったが泣かず飛ばず。己の存在価値はなんなのだろうと真剣に自問したこともあった。
途中で志望校を変更したものの、東大に対してのコンプレックスは拭えなかった。
その後、第一志望だった都内の私立大学に進学し、そこそこ楽しい大学生活を送った。
就職の際、地元に戻って公務員を目指すという選択肢がった。
高校時代に勉強で挫折こそしたものの、腐っても御三家。腐っても理数科。地元においてかなりいい将来は約束されていたと思う。
一生学歴がついて回るような地元のしがらみを抜け出したくて、迷わず都内の会社に就職する道を選んだ。
縁があったのか第一志望の会社にも進学することができた。
学歴じゃない。学力じゃない。
自分でも活躍できる場所がある。自分を必要としてくれる人がいる。少しづつであるが着実に自己肯定感は高まっていった。
そんな自分を好きになれない瞬間が今だにある。
ネットメディアの高学歴の貧困という記事に出てくる
就職に失敗した東大生や一流企業を辞職してしまった東大生を見て安心してしまう。
そして、仕事で自分より能力の低い人間に出会った時、その人間が低学歴だと、やっぱりなと思ってしまう。
コンプレックスという病は心の隅に潜んでおり、ことあるごとに顔を出すのだ。
10年前の自分に伝えたい。
ガンダーラのありかを決めるのはお前の心だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今、心の傷を少しづつ癒しながら元の自分に戻れるよう頑張っています。よろしければサポートお願いします。少しでもご支援いただければそれが明日からの励みになります。