デタラメな音楽(小泉今日子からカート・コバーンまで)
デタラメな音楽
音楽はデタラメに聴くという私のポリシーが意外なところで役に立っている。例えば妻の仕事に必要なプレイリストを作るなど。
そのために小泉今日子からロカビリー、インダストリまでが私のライブラリでランダムにミックスされる。
思えば両親ともにデタラメに音楽を聴く人達で、父親はパブリック・エネミーから小泉今日子や岡村靖幸までを垂れ流し、母親はショパンを愛好する教会のオルガン奏者でありながらルー・リードの熱烈なファンでもあった。
そんな環境であったから私の記憶のプレイリストは往々にしデタラメだったし、今もデタラメなままだ。
秋のプレイリスト
春のような秋が続いている。金木犀の香りがしていれば秋だとわかるが最近は金木犀も散っている。銀杏もない。とても宙ぶらりんで季節の谷間のようだ。
きっと一年で一番穏やかな季節だと思う。
昔、友人が秋になると繰り返しこの曲を聴いていた。もう彼と会うことはないがこの曲を聴くといつも彼のことを思い出す。
海を見に行く
自転車に乗って家の前の道から、思いつくままに走るのが最近の趣味だ。大体は道が平坦や下り勾配という理由で海の方へ向かう。
名古屋の港湾地区は大小の工場が運河に沿って並んでいる。物流の主力が水運だった頃の名残だろう。一番海に近いエリアでは、製品をそのまま船便で輸出するために大企業の施設が並ぶ。
そして週末になるとそこはほとんど無人で、まるでディストピアSFのような風景が見れる。
海を見ることができる場所の多くは立ち入り禁止だが、その隙間を見つけて、ぼんやりとして過ごす。
名古屋でも住宅街や繁華街の多いエリアで育った私にとって、工業地帯としての名古屋はとても新鮮に見える。
しかしそもそも名古屋は海の上にある街である。江戸時代の古地図を見れば名古屋駅付近も海だったことがわかる。だから今でも運河が多く、水主町など水に因んだ地名も残ってる。私の先祖もそのあたりで海運や水軍の仕事をしていた。
埋立地の匂い、つまり海水の染み込んだアスファルトの匂いに、まるで別の街に来たような気分にさせられる。海鳥達はここが自分たちの場所であることを覚えているのだろう。それを訴えるように大声で鳴いている。そしていずれこの土地も海へ沈む。
そんなことを考えながらぼんやりとしているとお腹が空くので、そのあたりで家に帰る。家に帰ると猫がお腹を空かせている。
これはストレス解消としてとても効く。
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