娯楽記

好きなボーカリスト

嬢王蜂のアヴちゃん
まず純粋な歌唱力がものすごく高い。声量、音域、安定。
それに加えてキャラクター性のバラエティが歌手5人分くらいある。
まさしく歌の化け物。

清竜人
概念としてスケコマシが具現化したような声。

リアリティとは

とても周回遅れだが一発録りを掲げているfirst takeでボーカルのピッチ補正がされていたことが小さく炎上していたらしい。
批判的な感想としては「一発録りの歌手の実力が聞けると思っていたのに騙された」「嘘つき」などがある。
しかし仮にピッチ補正が認められないとするなら、各楽器のエフェクトやミキシングでの調整は同じく音を編集する行為であり、これらも認められないのだろうか?
仮に認められないとするなら演奏は根本からできなくなる。ギターの弾き語りであっても録音されたギターの音とボーカルの音を調整しなければ聞けたものではないだろう。
ではピッチ補正のみが許されないとするならば、ピッチ補正とその他の編集(コンプレッサーやリバーブ処理など)はどのように区別できるのだろうか。
また音程の補正のみが許されないとするなら、それを良しとしない立場にとってボーカルのパフォーマンスにおいては音程の正確さこそが核であるといえる。
では音程の正確さを軸としないスタイルのボーカリストはどうなるのか?たとえばラップなど。
つまり音楽コンテンツを制作するために当然行われている様々な編集から、ピッチ補正のみを取り出すことになんら正当性はないと言える。
そうであってもfirst takeへの炎上は一定の支持を集めた。これは全て音楽に無知な素人の戯言なのだろうか?
思うに彼らが求めていたのはピッチの正確さではなくピュアな体験なのだ。つまりアーティストのそのままのパフォーマンスというピュアネスだ。炎上してた層は音楽に無知というのもあるが、ナイーブにそのピュアさを信じていたのだ。
このナイーブな消費者の問題は最近は下火になったリアリティ・ショーにも共通する。共通点はコンテンツとしての「リアル」を現実としてのリアルとを混同させるところにある。
プロレスがガチの喧嘩だと思って見ている人は決して多くはないのに、リアリティ・ショーとなると怒った視聴者の誹謗中傷は自殺者が出るまで加速する。
問題は作り手がナイーブになりがちな層を焚き付けるような演出や売り方をしていることだ。嘘をエンタメとして楽しむのはかなりメタ認知が求められる。だからリアルであることを売りにする。そしてそれを真に受けるナイーブな人が量産される。

みなに幸あれ

間違いなく良作映画だが不幸なことはJホラー映画として宣伝されたことだ。元々が角川のホラー映画コンペに出されたものだから仕方ないのかもしれないが。
演出も演技もキレッキレでテーマも面白い。
功利主義は正しいのかという道徳哲学に関する古典的な議論だ。監督は私と同年代なので学生時代にサンデル教授の本を読んだのだと思う。懐かしい。
ただしホラーてはない。



面白いものは金がかかる

能力のある監督と高いスキルを持った役者を集めて然るべき金を使えば高い確率で面白い映画ができる。もちろん例外はあるが。
最近は金のかかったリッチな映画ばかり見ている。今週は「PERFECT DAYS」「聖なる鹿殺し」を観た。どちらもめちゃくちゃ面白かった。
困ったらカンヌで賞を取ったものを観よう。こうして人は保守的になっていく。しかし大体において私は前衛よりもクラシカルなものが好きだし、アマチュアイズムよりプロフェッショナリズムが好きなのだ。

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